これは覚書です。
2021年5月30日午後1時ごろ、飯場山下山中、九電の鉄塔のところで転倒。
↓のような階段の角に左足脛を打ち付ける。肉がよれたような感覚があった。
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ズボンをめくったが、スポーツタイツを履いていたので、傷の程度は分からず。
ただ、脛が波打っているのはタイツの上から見えた。
すぐにタオルをあて、膝用のサポーターで止血する。
そこで119番しようかとも考えた。
でも階段を数段下りてみると、歩ける!!
あと30分という距離でもあったので、鎮痛剤を飲み、リュックは夫に任せ、ポールで
体を支えながら下る。
結局1時間かかった。
そこは福岡市だったので、1時間で久留米に帰れると判断し、久留米に向かう。
車中、どこの病院にするか話し合ったが、一番混んでいる救急病院をはずし、
でも救急になっている新〇〇病院にすることにした。
2月にかかったときの印象が良かったのが最大のポイント。
3時に病院に入り、ズボンとタイツを脱がせてもらった瞬間医師は、
「ここでは無理、聖〇〇〇へ救急車で運ぼう」と。
私は、痛みもほとんどないし、出血もそうひどくないので、簡単に考えていたのに・・・
でも交渉の結果、この病院で処置をすることになった。
え~できないと言った女医さんに縫ってもらうの???
それから看護師と女医さんが、「これしかないなら、こっちで」などと話す会話を聞いていたら
正常ではいられなくなった。
優しい看護師さんに「お願い、眠らせて。怖くて声を聞いていられない」と頼み、眠らせてもらった。
これも大腸検査のときのを思い出してのこと。
でも目が覚めても、まだ縫っている。
「内部は9針」と聞こえた。そして縫い終わってから「19針でした」と。
内部と外と別々なのか、一緒なのかは分からないけど、大事だったのは分かる。
よくこの怪我で下りて来れましたね~とか、久留米までよく帰ってきたね~とか、
看護師さんたちは感心というか、呆れていた。
その後レントゲンをとり、骨折はないことを知る。
結局、明日電話してから聖〇〇〇の整形へ行くように言われ、終わったのは18時半。
ずっと待ちぼうけの夫は、遅い!!というけど、
大きな病院なんてこんなものよ。
姑の時だって、舅の時だって、私はずっと付き添って来たんだもの。
縫う前は、なんとか歩けたのに、縫うと突っ張って歩けない。
コロナの検査も受けて、18000円也。休日夜間の手術は高い!!