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「『皇太子の所為で、アポイントに遅れます笑。』 ホリエモンのツイートが又々物議」(6月18日、J-CASTニュース)
元ライブドア社長で実業家の「ホリエモン」事堀江貴文氏(41歳)のツイートが、又、波紋を呼んでいる。交通規制で足止めされた事を憤る内容なのだが、其の経緯に付いて堀江氏は、「皇太子が通るからとか、よー判らん理由。」と表現した。
此れが「不敬」だとして、ツイッター利用者からは批判の声が相次いでいるが、堀江氏は「私は少なくとも、敬うに値する事実を知らん。」と意に介さない。
波紋が広がっているのは、堀江氏が2014年6月17日にツイートした内容だ。首都高速出入り口の写真付きで、「皇太子が通るからとか、よー判らん理由で、首都高が目の前で閉鎖されて途方に暮れる笑。皇太子の所為で、アポイントに遅れます笑。」等と、予想外の足止めに憤る内容だ。此のツイートには多数の反応があったが、其の中には朝日新聞の宮内庁担当記者の物も在った。記者のツイートでは、交通規制の理由を「皇太子様は午後、スイスを訪問する為に、羽田空港から政府専用機で出発します。公務に向かう皇太子様の車列が移動する際は警備の為、止むを得ず交通規制される事が多く、堀江さんの様に一般の方の足に影響が出てしまう事も在ります。御急ぎの所、御気の毒です。」等と解説したが、其の他のツイートの大半が、堀江氏のツイートが失礼だとして、堀江氏を批判する内容だ。堀江氏は、此れ等の批判に反論し乍ら、独自の主張を展開した。
「あんた一体、皇太子を何だと思ってんだ?」という声には、「人間。」と返信。改めて「其れは判ったから、敬う気は在るのかって事だよ。」と皇太子様への敬意に付いてと問われると、「皇太子を、何で敬う必要が在るんだ?私は少なくとも、敬うに値する事実を知らん。」と応じた。
「皇太子では在りません。皇太子殿下です!」*1という指摘は、「馬鹿か笑。」と一笑に付し、「皇族の方々は、自分の意思で其処に生まれた訳では無いにも拘らず、日本の象徴としての大変な役割を務めておられるので、或る程度の敬意は払った方が良いかと思います。」という忠告にも、「だったら、辞めちゃえばって思う。少なくとも俺は強制もしないし、必要だとも思ってない。」と反論した。
堀江氏は皇室に対しては特段の興味や関心を持っていない様子で、重点を置いていると見られるのが、「単に不便なのを、便利にしろと言ってるだけだが。」といった利便性に関する観点だ。堀江氏は皇太子様の外国訪問自体は批判しておらず、「ヘリで行けば良いのに笑。其の方が、コスト安いと思うんだが。」と持論を展開している。皇太子様が御住まいの赤坂御用地の近辺には赤坂のアークヒルズ、永田町の首相官邸、市ヶ谷の防衛省等にヘリポートが設置されている事が知られている。此れ等のヘリポートから羽田空港にヘリで移動すれば、交通規制の対象が減らせるという意見の様だ。
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良くも悪くもホリエモンの言動は、世間の耳目を集める。頭の良い人物なので、自身の言動による影響を“計算”しているとは思うが、共感出来る物も在れば、「其れは違うでしょ。」と思う事も。
今回の彼のツイート、ヘリでの移動云々は扨措き、皇太子に関する記述が「不敬」だと、少なくとも自分は感じない。強いて言えば「皇太子の所為で」の「所為」という部分が非礼な言い方という事になる“かもしれない”が、其れ以外は批判される様な内容では無いと思う。勿論、此れは私見で在り、「失礼な記述だ。」と思う人が居たって、其れは個人の自由だ。
大事なのは「“社会的に影響力の在る人物”が、“公の場”で特定の対象に対し、“明々白々に”非礼な言動をした場合は別だが、そうで無ければ他者から『非礼だから直せ!』と強いられる筋合いでは無いし、況してや特定の対象に対して『敬意を持て!』と強制されるべき物では無い。」という事だ。
以前にも書いた事だけれど、自分は皇室が好きじゃない。否、正確に言えば「不気味な程に皇室を持ち上げる報道姿勢」が好きじゃない。皇族関して「XX様は、何万種類の○○を全て記憶されています。」みたいな、余りにも在りえない“超人伝説”を縷々報じられると、非常に白けてしまう。ワイドショーで“北の国”の馬鹿げた超人伝説を取り上げ、其れ等に付いて散々馬鹿にしていたコメンテーター達が、皇族の超人伝説が縷々報じられると、「XX様は、素晴らしいです!」なんぞと“御追従合戦”に興じ出したりするのだから笑ってしまう。
「6年前、当時の都知事だった石原慎太郎氏が、『皇太子』と呼び捨てにした。」事が問題となった。「皇太子の意向も質した上でだね、国を代表して皇太子に協力して戴こう。」等、「皇太子様」とか「皇太子殿下」と言わなかった事が批判されたのだ。
「説明責任を果たさない石原都知事」という記事を過去に書く等、石原慎太郎氏は“人として”大嫌いなのだが、此の「皇太子呼び捨て事件」に関しては、批判される石原氏に同情した。「戴く」という謙譲語を用いており、皇太子に対して敬意を表していない訳じゃ無いし、(此れは異論や反論が在るのは承知しているが)“感覚的に”「天皇」や「皇太子」という言葉自体が、既に「敬称」を含んでいると、自分は捉えているので。
「『天皇』や『皇太子』という言葉は、敬称を含んではいない。」という“説”に従ったとしても、皇室典範の第23条によると「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする。前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」と記されており、「皇太子“様”」というのは、敬称として誤りという事になる訳だ。
又、そんなに敬称に拘るので在れば、「チャールズ皇太子」とか「ウィリアム王子」なんぞと呼ぶのでは無く、「チャールズ皇太子殿下」とか「ウィリアム王子様」等、同様に呼ばないと片手落ちだろう。
先月、「課外授業で訪れた小学生達が、記念撮影をし様として天皇の歌碑に上り、其れを引率していた教師も注意をしなかった。」というのが、大きく取り上げられていた。「歌碑に上る事自体」は良くないし、小学生達、そして注意しなかった教師が非難されるのは仕方無い事。でも、気持ち悪さを感じたのは、「天皇陛下の歌碑に上るとは、何たる非国民か!」といった“論調”での批判が、少なからず見受けられた点。「不敬罪を復活させろ!」と言わん許りの主張には、全く共感出来ない。くどい様だが、非難されるとしたら「歌碑に上るという行為」と「其れを叱らなかった」事で在る。
「敬意」や「愛国心」等は他者から強いられるべき物では無いし、其の“形”や”内容”は、人其れ其れ異なって良い。皆が皆、同じ“形”や“内容”を強いられるなんて、“北の国”と一緒だ。
*1 昔は「火星ちゃん」とか「おスタちゃん」等、成人した皇族でも、愛称を用いて報じられていたと言う。勿論、TPOに応じて使い分ける必要は在ると思うが、そういった愛称の方が「皇室」や「皇族」に対して、親愛の情をより多くの国民が持つと思うのだが。
日本で最初に最高権力者になった血筋の末裔だという理由では納得できない。血統を敬えなんて、競走馬としてのサラブレッドじゃあるまいし。
敬うべきは個々の人格であり、人柄だと思うんですが。
思い過ごしかも知れませんが、皇室を無条件に受け入れている人たちには、皇族方の人格や人柄よりも皇室の権威を敬い、その恩恵に授かろうとする卑しさを感じてしまいます。いわゆる「権威をかさにきて」という・・・。
海外の某高級ファッション・ブランドが大好きで、其処の商品を買い漁っている女性タレント(現在70代)が以前、TV番組で所有品を見せて、其の素晴らしさを滔々と話していました。好き好きは人其れ其れですから、他者がどうこう言う筋合いでは無いのですが、「赤、黄、青、緑等、ド派手な色を並べ立てただけとしか思えない信玄袋状のバッグ。」を手に持ち、「最高!」と言っているのを見て、「真ん中に大きくブランド・マークが付いているから素晴らしいと言っているだけじゃないのかなあ?色合い等、下品としか思えないんだけど・・・。」と思ってしまった。
本当に「最高!」と思っているなら別ですが、「特定のブランドだったら、何でも良い!」というのでは、個人的には「何だかなあ・・・。」という思いが在ります。
悠々遊様が書かれている事、自分も同感です。個々の人格や人柄を“自身の頭”で判断し、其の事で「敬意」を表するなら判るのですが、「皇族だったら、全て良い!」というのでは(こういう人達は、雄略天皇や後白河天皇等も素晴らしいと思っているのだろうか?)、上記の様な「無思考さ」を感じてしまうし、中には「権威を笠に着る」様な人も居る様に思えますから。
愛国心を必要以上に叫ぶ人の中には、「こんなに愛国心を持っている自分って、何て素敵なんだろう。周りも、そんな自分を素敵と思ってくれているに違い無い。」といった自己陶酔を感じる場合が在ったりする。自己満足で済ませている範囲ならば良いのですが、其れを他者に無理強いするのは駄目。「敬意」も同様だと思います。
そう言えば、先年亡くなられた三笠宮家寛仁殿下には、「ヒゲの殿下」という愛称がありましたね。
今の皇太子殿下も、子供の頃は、徳仁(なるひと)というお名前から、「ナルちゃん」なんて呼ばれてましたし。
昭和のいい時代には、そういう愛称がごく自然に広まって、国民と皇室との距離が近かった気がしますね。
今の時代、そんな愛称がほとんど登場しないのは何故なんでしょうか。
「ナルちゃん」に倣えば、皇太子殿下のご息女は「アイちゃん」と呼ばれてもおかしくないのに、なんでどのマスコミも判で押したように「愛子さま」としか呼ばないんでしょうか。
なんか最近、皇室を取り巻く空気がすごくコチコチになってる気がするんですが。雅子妃が体調を崩されてるのは、その辺にも原因があるのでは。
皇室関係者もマスコミも、一度そうした愛称を募集するなり、考案してみてはどうでしょうか。
微笑ましい愛称が広まれば、国民との距離も近くなるし、雅子妃の気分も和らぐんではないでしょうか。
自分はリアル・タイムで知っている世代では無いのですが、「火星ちゃん」や「おスタちゃん」、「ナルちゃん」といった愛称には、ついつい頬が緩んでしまう様な、何とも言えない親近感を覚えます。「髭の殿下」なんていうのも、畏まった言い方よりも遥かに良い。
仰る様に「愛子様」と「様付け」をして、在り得ない様な超人伝説を垂れ流すよりも、「愛子ちゃん」とか「愛ちゃん」と呼んだ方が、ずっとずっと多くの国民が親近感を持つと思う。イギリス王室に対する報道には行き過ぎの嫌いを感じるけれど、でも彼の開けっ広げさが在るからこそ、多くのイギリス国民が親近感を持っているとも言える。
「宮内庁の人間が、自分達の格を高め様としている。」のか、其れとも「政治家達が、政治利用をし様としている。」のか、実際の所は判りませんが、皇室や皇族を必要以上に高め様としている連中が居るのではないかという気がしています。「国民と歩む皇室」を常々口にされている今上天皇にとって、そういうのは本意で無いと思うのですが・・・。