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ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

脱線事故に思う事

2005年04月27日 | 時事ネタ関連
兵庫県尼崎市JR宝塚線で起きた脱線事故。死者数81人、負傷者数456人(4月26日現在)という数は、乗車していたとみられる約580人の9割以上が死傷した事となる、JR史上最悪の大惨事となってしまった。何時もと変わらぬ1日を送るであったろう犠牲者の方々。そんな肉親を、理不尽且つ悲惨な形で一瞬にして失わなければならなかった御遺族の方々の心中を思うと、心が重い。

原因究明には未だ時間が掛かるで在ろうが、当該車両の運転手の適性面も指摘されている。運転士歴は11ヶ月と日が浅い彼だが、車掌時代を含めると過去3年間で3回の処分を受けているという。今回の脱線事故の背景に、伊丹駅でのオーバーラン(所定停車位置から40m超過。)した事で生じたタイムロスを取り戻すべく、尋常ではない速度超過が在ったとも言われているが、過去にもオーバーランで処分を受けていたという。

又、運転中に居眠りをしていたとして処分を受けた事も在るという。睡眠時無呼吸症(SAS)を疑わせる話だが、JR西日本としては「今年2月に医学適正検査にも合格しており、SAS等身体的&物理的な問題は一切無かった。」という見解を出している。ゲーム脳云々という話も出ているが、事実は別にして、人の命を担う運転手として適性が著しく欠けていたのは事実だろう。

今回の件に関しては、確かに運転手の適性面でかなりの酷さが在ったとは思う。でも、思うのは安全面に於いて余りにも”人”に頼り過ぎてはいなかったか?という事。どんな人間でも、少なからずポカは在る。そのポカの程度に差異は在るが、そういったポカをメカニカルな部分でもっと補う必要が在るのではないかと。適性の在る人間が運転士を務めている限りに於いて、うっかりミスを起こしてしまった場合でも、安全面で”吸収”出来る措置が採られていたのかどうかが問題ではないだろうか。

以前、海外業務を行なっていた際、海外の工場で働く人から色々な話を聞かせて戴いた。中でも印象に残っているのは、”ポカ避け”の事。労働規範が今一つの国に於いては、現地従業員の労働災害が大きな問題となっていた。労働作業中に機械に身体を挟み、切断(最悪のケースは死亡。)してしまう事も決して珍しくはなかったという。特に経済的に豊かではない国にあっては、事故によって貰える見舞金目当てに、わざと手足を挟んで切断する人間も居なくはない。その地ではそれなりの金額に当たるのかもしれないが、僅か数万円の見舞金の為に自身の手足を切断するというのは哀しい現実だ。

相次ぐ事故を如何にして防ぐか。そこで考え出されたのがポカ避けだった。例えばプレス・マシンの場合、それ迄は利き手でプレスの昇降ボタンを押し、もう片方の手でプレス品をプレス部分に置いていたのを、左右に昇降ボタンを設置し、両方のボタンを同時に押し続けないとプレスが昇降しない様に改めたという。これにより、プレス品を先ずは置き、そしてプレスボタンを押すという作業になり、誤って手足を挟む事が避けられる事となったのである。口頭及び注意の掲示で危険性を促すだけではなく、危険の芽自体を摘み取ってしまうという発想だ。

宝塚線でこういったポカ避けが充分採られていたのか、それが問題になるだろう。多くの人命を預かる分野だからこそ、コスト面の問題も在ろうが、最大限のポカ避けは講じられて然るべきではないだろうか。

今回の事故に伴い、NHK等では鉄道関連の番組の放送延期を決めたという。事故の被害者及びその家族達に配慮したというが、これは正直どうかとも思う。地震や津波事故、猟奇的な犯罪等が起こった際に、そういった事柄をテーマにした映画等の番組が放送延期を余儀なくされるケースはまま在る。この様な場合は未だ判るのだが、鉄道を利用した旅番組迄”自粛”してしまうのはやり過ぎではないだろうか。あくまでも当事者ではない自分なので、当事者感情を無視した考えだと指摘されてしまうかもしれないが、何かマスメディア側の過剰反応を感じてしまう。

恐らく、クレームを避けたいというマスメディア側の意識が多分に在るのだとは思う。思うに、紅白でのトチリ(”ミソラ発言”や”仮面ライダー発言”等。)が余りにも大きく取り上げられる様になってから、こういった過剰反応が酷くなった様な気がする。(その反面、「NG大賞」といった番組を臆面も無く放送してしまう所が、マスメディアの不可思議な所では在る。”プロ”としてNGを面白おかしく扱われるのは恥と思わない所に、芸能界やアナウンサー界の”質”の低下の根が在るのではないだろうか。)

その気持ちも判らなくも無いが、今回の延期措置は一寸過剰の様な気がする。
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7 コメント

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安全とはかくももろく (kawahara)
2005-04-27 10:06:11
客の安全より、自社の利益を。従業員をギリギリの精神状況まで追い込んでもコスト削減と完璧を求める体質。



JRだけに限りません。今後こういう事故は増える気がします。

他山の石としてもらいたいのですが・・・。



あと運転手に関する見出しを見ましたが(中には親にインタビューと踊っている悪趣味なものも)、憶測記事の範囲を超えないのではないのでしょうか。ここまでの大事故、速度だけが理由とは考えられないのです。運転手に関わる比重も高いかもしれませんが、今の段階では慎んでもらいたいです。



それにしても関西で酷い事件事故が続きますね・・・。村上春樹の「アフターダーク」ではないですが、何かの悪意の連鎖を感じます。



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Pokayoke (ウサギ猫)
2005-04-28 07:22:35
はじめまして。

わたしも、製造業につとめている1人として、ぽか避け。



英語にもなっているこの言葉、その最先端を走っている日本でこのようなPokayokeが起きてしまうとは、残念で仕方が無いです。



利益と安全。簡単に天秤にかけているような気がしてなりません。
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Unknown (ぱーちぇ)
2005-04-28 23:17:30
こんばんわ、久しぶりです。

今回の事故についてLOVELOG内でも様々な意見がありましたが、その中で気になったのが「マスコミの無神経・誤解だらけのいい加減な報道」に対する怒りです。私も最初はJR側や運転士に過失があるというマスコミの報道を鵜呑みにしていました。訪問者の中で「マスコミの間違った情報を鵜呑みにするのは良くない」という記事を読み、考えさせられました。これらの情報を鵜呑みにした自分にものすごく腹が立ちました。しかし、それと同時に自分達の勝手な解釈・鬼の首を取ったかなような報道ぶりに憤りも感じました。



現時点では原因はこれから調査をしないと判らないはずです。それまで必要最低限の報道にとどめるべきだと思いますが・・・

正直、今はテレビは見る気になれません。

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痛ましすぎて‥ (higu)
2005-04-29 14:51:38
行き過ぎた合理化が今回の背景にあるのではという見方もありますが、JRが合理化を進めたのはある意味当然です。民営化されたのに合理化をしなければそれこそ批判されます。ただそこに‘行き過ぎ’がなかったかは調べる必要があります。

JR西日本は本州の会社ですので割と経営はいいようですが実は東日本・東海・西日本の‘本州三社’のなかではもっとも経営基盤が弱いと言われていました。東日本は首都圏、東海は東海道新幹線とドル箱を抱えていますが西日本の関西圏は首都圏ほどの需要もなく阪急、京阪、阪神、などとの熾烈な競争。山陽新幹線も東海道とは格段の差があります。さらに路線延長の半分がローカル線。その‘補填’を‘アーバンネットワーク’と呼ばれる関西圏の路線でしなけければなりません。

JRは民営化後京阪神の路線に力を入れてきました。その結果、かつて私鉄王国と言われた関西にJRが覇を唱えたのです。JRが私鉄を凌駕したもの、それは『スピード』でした。JR西日本は民営化後サービスは以前よりもさらに向上しました。特急のような快速列車、速さ。そして今回も取りげられた‘絶妙な乗換え’。関東に引っ越して「西日本の方がよかったなあぁ」と正直思っていました。

その反面信楽高原鉄道列車事故、救急隊員死傷事故なども西日本は犯しました。特に「信楽」は今回の事故がおきるまでは平成に入って最大の大惨事でした‥。

(事故当時、私は隣町に在住していました。また大惨事が繰り返されて‥。私の親しい人に被害に遭われた方はいませんでしたが、あの事故の遺族は…今回の事故を聞いてどう思われているのでしょうか……)

日本の鉄道は世界一正確で安全です。その安全への信頼が大きく揺らいでいます。‘回復運転’への批判が出ていますが、時刻表との一分の差も『遅れ』と捉え定時運行を要求していたのは利用者であり、日本の社会です。鉄道会社が‘安全こそ最大にして絶対のサービス’と今回の事故を痛ましすぎる教訓として再発防止に努めるのは当然です。しかし我々の意識にも多少の問題があったと考えるのは筋違いでしょうか。鉄道が時刻表どおりに動く『神業』を常に求め続ける社会風土も、見直すべきではないでしょうか。



最後に、鉄道番組が延期となりましたがNHKの乗り尽くしの旅に関してはやむをえないとも思います。この企画、春編と秋編の予定で今月30日に春編が終了する筈でした。その春編の終着駅が福井県の越美北線九頭竜湖駅。この駅は‘JR西日本’の駅です。遺族や被害者の心中、JR西日本の社会的責任を考えますと延期も致しかたないでしょう。この番組自体は好感の持てるものだっただけに、残念です。ただ、「JRに殺された」と言う遺族の方の気持ちを考えますと…。





失った命は絶対に戻ってきません。亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。









最後に

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>higu様 (giants-55)
2005-04-29 19:34:40
書き込み有難うございました。



JRが民営化された以上、コスト減を図り、採算性を上げて行かなければならない事は理解出来ます。唯、多くの人命を預かっている輸送業という立場を考えると、安全面にコストを最大限割かなければならないと思います。問題は、採算性を考慮した上で安全面に”最大限”のコストを割いていたかどうかだと。



JR西日本が、関西圏に於いて他の鉄道会社と熾烈な争いをしている事は報道等で初めて知りました。確かに、ライバル達に打ち勝つ為の”武器”が、スピードで在ったのでしょうね。その点では同情を覚えますが、だからと言ってその代償(必ずしもオーバースピードだけが、今回の事故の原因だとも思いませんが。)として、多くの人命が失われる事となったので在れば、それは本末転倒ですよね。



日本の鉄道に正確さを余りにも求めた事が、今回の事故の背景に少なからず在るのかもしれないというのは、自分も同感です。その意味では、御遺族の御一人が語っておられた、「(対応に当たっている)JRの職員を責め立てても仕方ないでしょ。今回の事故は社会の中の”緩み”が引き起こした事とも言え、その意味では自分達も責任が無いとは言えないし。」といった趣旨の言葉が、胸に突き刺さります・・・。



NHKの”乗り尽くしの旅”は自分も好きです。日々の忙しなさをふと忘れさせてくれる番組ですよね。でも、あの番組(春編)の終着駅がJR西日本管轄で在ったとは知りませんでした。それであれば、確かに御遺族の気持ちを考えて延期した措置は判ります。
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あえてこういう見方をします (久保課長)
2005-05-03 16:32:29
集客競争、過密ダイヤ、軽量車体、新型ATS非導入、そして日勤教育・・・今回の事故には様々の背景があり、それぞれに納得させられるものです。JR西日本という会社の体質そのものに批判が集まるのももちろん頷けます。でも、私にはどうしてもそれらが「後付け」的なものに聞こえるんですよね。

事故原因は究明されていませんが、置き石等ではなく運転士によるミスである可能性が極めて高い状況です。私鉄との競争に勝つためにスピードを追求することは営利団体として当然だし、ミスをすれば日勤教育という懲罰を与えるのも理に適っていることと私は思います。もしも槍玉にあがっているこの日勤教育がなかったとしたら、運転業務が散漫になりこのような惨事がもっと多発していたかもしれないとも思うのです。人の命を預かる職業だからこそ、個のプライドを傷つけるほどの懲罰があってしかるべきなんじゃないかと。

どうやら高見運転士は、当然求められるべき運転技量も、日勤教育に対するストレスに打ち克つ精神力も、両方持ち合わせていなかったようです。あえて辛らつなことを言いますが、こんな人間が電車の運転士などという重要な職務につく資格なんて全くなかったはず。やりたいことをやれる能力がなければやってはいけないのです。それを見抜けず彼を運転士として雇い続けていたという意味において、JR西日本が責任を取って尻拭いをしているのは当然のことです。



人間だからミスを犯すのは仕方ないこと、これは否定しません。しかし、医者をはじめ人命に関わる職業に就いている者はこのような考えは絶対持ってはいけないはず、「多少のミスは仕方ない」と心の片隅にでも思っている人間は今すぐ辞表を出すべきだと思います。
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>久保課長様 (giants-55)
2005-05-04 17:27:27
書き込み有難うございました。



今回の事故、運転士にも当然責任は在ると思います。ですから、責められて仕方ないとは思うのですが、JR西日本の姿勢に「死人に口無し。」とばかりに全てを運転士の過失におっ被せようとしているのが自分には感じられました。



人命を掌る職業に就く者は、普通以上に自分を律する事が求められると自分も思います。唯、日勤教育なるものの内容が、報道されている通りである”ならば”、あれは教育ではなく単なる苛め行為だと思いました。運転士としての心構えを叩き込むというのと、駅構内にずっと立たせ、電車が入って来る度に大声で「私は電車を遅らせました!」と叫ばせたり、日勤教育中に一切のプライバシーを与えない事(トイレに迄管理者が付いて来る。)等は、違うとしか思えないんです。



”意味の在る”更生教育で在れば、厳しさを伴ったものでも賛成ですが・・・。
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