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ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「西暦」と「元号」

2017年12月26日 | 其の他

「書類上で年号を記す際、西暦元号戸惑う。」というのは、多くの人が経験する事だろう。自分の場合、「『今年が何年なのか?』、西暦ではパッと思い浮かぶけれど、元号となると少し考えてしまう。」という事が多い。又、「書類上で年号を記す際」では無いが、「『昭和』で置き換えると、今年は『昭和何年』になるのだろうか?」と時々思ったりするけれど、そういう時には「自分が生まれたのは『昭和〇〇年』で、今年『XX歳』になるから、『〇〇+XX』で『昭和△△年』だ。」と計算するのも面倒臭い。

 

「元号なんか無くして、西暦1本にすれば良いのに。」と思ったりした事も在るが、そうなると元号が冠された歴史上の出来事、例えば大化の改新」は「西暦646年の改新」(学生時代、「大化の改新」と言えば「西暦645年」と習ったけれど、今は「西暦646年」と教えている様だ。)なんて味気無い表記になるのだろうし、「保元・平治の乱」や「建武の新政」、「承久の乱」、「明暦の大火、「享保の改革」、「寛政の改革」、「天保の改革、「安政の大獄」等も同様だろう。

 

今回の記事を書くに当たって色々調べた所、誤解していたり、初めて知る事柄が在った。「西暦元年(A.D.元年)」は、イエス・キリストが誕生したとされる年。」と捉えていたのだが、実際には「イエス・キリストが誕生したとされる年の“翌年”。」という事になっているのだとか。

 

又、「平成元年」が「1989年1月8日」から始まっている様に、「西暦元年は、イエス・キリストが誕生したとされる12月25日から始まった。」と思い込んでいた。でも、「西暦元年は、イエス・キリストが誕生したとされる翌年。」という事になると、西暦元年の前年の12月25日から始まった。」という事になりそうなのが、西暦という概念は「西暦525年(となった年)、ローマ神学者で在るディオニュシウス・エクシグウスによって算出&設定された物で在り、要するに『西暦元年から524年は、飽く迄も“概念上の存在”にしか過ぎない。との事。

 

そして、西暦の“始点”はイエス・キリストが生まれたとされる12月25日では無く、1月1日迄遡るという解釈になっているとも。そうなると今日「2017年12月26日」は、「西暦元年1月1日」から736,689日目という事になる。


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2 コメント

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Unknown (悠々遊)
2017-12-27 11:42:08
昔何かの本に、イエス・キリストの生年は西暦前4年と書いてあったように記憶しているのですが、1年のズレでしたか?
いずれにしても紀元や元号は時の権力者によって、何度も改定が繰り返されてきているので、西暦にしても1000年か1500年前辺りからが、月日も含めて「正確」にカウントされてきているのではないでしょうか。

私も基本的には西暦に統一でよいと思っています。
何かにつけて便利ですから。
ただ、昭和から平成に変わった時には、書類に書く年号は公文書で決められていない限り、西暦ばかり使っていましたが、いつの頃からか平成も併用するようになり、慣れって怖いなと思ったものです(苦笑)。

西暦に統一したからと言って、それまでの元号を抹消する必要はなく、歴史上の出来事は従来通り西暦との併記でよいのではないでしょうか。

日々の暮らしにとって有益な伝統・文化は継承していくべきだと思いますが、逆に生活に不便を強要するだけのようなそれは、歴史の記憶としては残しても、自然の成り行きに任せて解消していくべきだと思います。

たとえば歴史的に貴重な文化財だといってわずかばかりの補助金を出すだけで、現にそこに住居している住民に生活の不便を強いている「○○家住宅」などと呼ばれる建造物などは、いかがなものかと。
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>悠々遊様 (giants-55)
2017-12-27 14:16:12
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

イエス・キリストの生年、「西暦前4年」という説も在るのですね。幾つか調べた所、「西暦前1年」と記された物許りだったのでそう記したのですが、改めて調べてみましたら、以前は「西暦前1年」というのが主流な捉え方だったものの、今は「西暦前4年」、乃至は「西暦前6~7年」という説が主流の様ですね。(http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000137319)要はハッキリしない(其れこそ神代の話ですので、ハッキリしないのは当然なのかもしれませんが。)御教示有り難う御座いました。

「西暦に統一したからと言って、其れ迄の元号を抹消する必要は無く、歴史上の出来事は、従来通り西暦との併記で良いのではないでしょうか。」というのは、同感ですね。基本線は西暦表記で、元号表記で無ければ不都合乃至は不便な場合が在れば特例とするというのが、判り易い形だと思います。


以前。、、「2番じゃ駄目なんですか?」という発言だけを切り取られ、蓮舫議員が可成り叩かれましたね。彼の際、「一番を目指すのは決して悪い事では無いけれど、“血税”を投入する以上、何が何でも1番になれば良いというのでは駄目。『1番になる為に無駄な金銭(箱物や高額な人件費等)を投入した。』り、『1番になる為に投入した総額より、得た“収益”が少なかった。』りだったら、其れは『是が非でも1番にならなければならないという考え方はおかしいと思う。』と、自分は記しました。

同じ様な観点から、其れ程の必要性が感じられずに、自然な形で淘汰されて行くので在れば、歴史的な遺構とされる物を無理して保護する必要は無いでしょうね。
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