![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/2e/6b941c8752c3d1c7384591dfdd63d60e.jpg)
************************************************
昭和九年会:「昭和9年」に生まれ、大活躍した芸能人が多かった事から、1976年に愛川欽也氏と長門裕之氏が中心となり、結成された親睦団体。
************************************************
一時期、爆笑問題の太田光氏が良く口にしていた「昭和九年会」。彼は自分と同世代で在り、又、自分と同じくマニアックな所が在る。だから、昭和九年会という親睦団体に対し、「何故か気になる。」という部分が在ったのではないかと思っている。「自分(giants-55)の父親が、昭和九年会の面々と同世代。」という事も在って、自分も昭和九年会は非常に気になる存在で、過去に当ブログでも何度か取り上げて来た程。
コメディアンで俳優、歌手でも在った財津一郎氏が、14日に慢性心不全で亡くなられていた事が明らかになった。享年89。近年の芸能人では一般的になった、「近親者による告別式が済んだ後での発表。」という形だ。合掌。
自分よりも上の世代だと、財津氏と言えば「コメディー番組『てなもんや三度笠』【動画】での浪人・蛇口一角(へびぐち いっかく)役。」の印象が強いのではなかろうか。(自分の母親も、そう言っていたし。)自分は此の番組をリアル・タイムで見た事は無いが、此の番組で彼が披露した「(手を頭の後ろから回し、反対側の耳を掴んで甲高い声で叫ぶ)『ヒッジョ~にキビシィ~ッ!』や『~してチョ~ダィ!』というギャグ【動画】。」は馴染み深いし、子供の頃に真似した事も在る。
でも、自分にとってリアル・タイムで“初接触”した財津氏となると、TVアニメ「ピュンピュン丸」【動画】のOP曲「ピュンピュン丸の歌」【歌】を歌っていた、歌手としての彼だ。「キビシィ~ッ!」や「サビシィ~ッ!」といった彼のギャグが織り込まれたユニークな此の歌を、当時の子供達で歌わなかった者は存在しないだろう。
“金八フリーク”の自分としては、TVドラマ「3年B組金八先生」(第1シリーズ)で彼が演じた「英語教師の左右田役」はどうしても外せない。今回の訃報で知ったが、「2011年3月27日に放送された『3年B組金八先生ファイナル』に左右田先生役で出演したのが、彼の最後の芸能活動だった。」と言う。自分は此の番組を見たし、当時「さようなら、金八先生!」という記事も書いた。其の中で書いたけれど、「左右田先生として彼が登場したのは非常に嬉しかったけれど、声に張りが無く、衰えを感じた事はショック。」で、正直「余り長くは無いのでは・・・。」と思った物。其れから11年頑張って来られたのだから、大往生と言って良いかも知れない。
そして、「こてっちゃん」【動画】や「タケモトピアノ」【動画】のCMでの彼の姿も、忘れられない人は多いだろう。タケモトピアノのCMに関しては、「最終ヴァージョンの物は、今年の8月迄約23年間放送され続けた。」というのから凄い。
で、話を戻すが、財津氏は「昭和九年会」のメンバーの1人だった。此方に(主な)メンバーが紹介されているが、女優・中村メイコさんが同会のメンバーという記憶は全く無い。「『昭和九年会』と言えば、男性会員“だけ”。」というイメージだから。又、同様に「俳優・石原裕次郎氏が同会のメンバーという記憶も全く無い。」のだ。確かに彼も昭和9年生まれで、同会に入会はしていたかも知れないが、集まりには参加していなかったのではなかろうか。
自分の記憶で言えば、同会のメンバーで最初の物故者は手品師の伊藤一葉氏【動画】。「此の件に付いて、何か御質問は御座いませんか?」という決まり文句が流行語にもなったが、1979年9月30日、45歳の若さで亡くなられた。そして、次に亡くなられたのが矢張り手品師の初代・引田天功氏【動画】で、((伊藤氏が亡くなったのと)同じ年の12月31日に、矢張り45歳の若さで亡くなっている。
以降、昭和九年会のメンバーは次々と鬼籍に入られた。「同会のメンバーとして記されてはいるが、そういう印象が全く無い。」という中村メイコさんや小説家・筒井康隆氏、俳優天田俊明氏は御存命だが、自分の中で「財津氏は、『昭和九年会』メンバーの最後の存命者。」という思いがずっと在った。なので、今回の訃報を受け、「『昭和九年会』の“最後の方”が逝かれた。」という感じがしている。