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巌流島の決闘の背後には、限られた者だけが知る小次郎暗殺計画が在った。キリシタン弾圧へと急速に舵を切る幕藩体制下、存亡の機に直面した細川家の謀略に、若き日の武蔵は巻き込まれる。「俺は使い捨てられて終わるのか?」。保身の時代には大き過ぎる“将器”を抱え、生涯迷い続けた男・宮本武蔵の実像が此処に明らかとなる。
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「巌流島の決闘」を知らない人は、そう多くは無いだろう。ましてや決闘した2人「佐々木小次郎」と「宮本武蔵」の事を全く知らない人となると、極めて少数派と言えよう。斯く言う自分、両名の事は勿論知っているのだが、彼等に関する深い情報は意外と知らなかった。吉川英治氏の小説「宮本武蔵」は読んでいないし、7年前に放送された大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」も最初の数回を見ただけで止めてしまったし。だから佐々木小次郎に関しては「物干し竿」と称された長い剣を使用していた。」や「秘剣『燕返し』の使い手。」、「巌流島の決闘では武蔵の“心理作戦”に苛立ち、敗れ去ってしまった。」位の事しか、又、宮本武蔵に関しては「幼少時の義父との葛藤。」や「二刀流の使い手。」、「飛んでいる蝿を箸で何匹(頭)も捕まえた。(串で刺したという説も。)」、「書画で優れた作品を残す芸術家でも在った。」、「兵法書『五輪書』を著した。」、「50代迄童貞だった。」位の事しか知識が在らず、今回加藤廣氏の小説「求天記 宮本武蔵正伝」にて彼等に付いて多くを知った次第。
「天草四郎=豊臣秀頼の落胤説」(詳細)は知っていたが、「佐々木小次郎=キリシタン説」(詳細)というのはこの小説で初めて知る事だった。明智光秀の三女にして戦国大名の一人・細川忠興の正室だった細川ガラシャが敬虔なキリシタンだったのは有名な話だが、その元侍女・清原マリヤに仕えていたのが小次郎の妻・糸で、彼女がキリシタンだったのは間違い無い様だ。それ故に「小次郎自身もキリシタンだったのではないか?」という説が出来、巌流島の決闘も“単なる決闘”では無く、幕府によるキリシタン弾圧に先んじて領内のキリシタンを排除しようと考えた細川家が、“キリシタンの象徴とも言える小次郎を殺害する為に利用した決闘”と作者が想定しているのが興味深い。
宮本武蔵が生まれたのは1584年と言われている。これが事実とすれば、“天下分け目の戦い”と称される関ヶ原の戦いの時には僅か16歳という事になる。1614年~1615年に掛けて起こった大阪の役で徳川家康の天下取りは成就する訳だけれど、“実質的には”関ヶ原の戦いでの勝利で彼が天下人になったと言える。時代は「個々が刀で斬り合う」形から、「集団により飛び道具で戦う」形へと移り変わって行った中、「天下取り」という意味でも「剣で生きる身」という意味でも武蔵は“時代遅れの存在”とい言え、その事で懊悩し、やがては達観して行く武蔵の人間臭さに心惹かれる物が。
戦国の世では別段珍しく無かったとされる「衆道」に付いてサラッと触れられていたり、合戦の場での人の心の動きが詳細に記されていたりと、読み応えの在る作品だ。印象深い記述は幾つか在ったが、細川家の筆頭家老・松井興長が父・康之から得た言葉が特に印象に残った。
「信仰は、人の<心さし(志)>つまり信念の問題であり、他人が口出しすべきものではない。しかし、上に立つ者や為政者が、特定の信仰を持つ場合は、えてしてその信仰が部下や民衆に悪影響を与えるので自戒すべき。」
政教分離の原則を、改めて考える必要が在るのではないか?
総合評価は星4つ。