一昨日、安全保障関連法案が衆院本会議で、与党等の賛成多数で可決された。同法案に付いては、各種世論調査で反対が6割近くを占め、賛成している人達ですら「政府は此の法案に関し、充分に説明しているとは思わない。」と多くが答える中、与党は数の論理で強引に推し進めたと言わざるを得ない。
集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定を批判する等、村上誠一郎元行政改革担当相は、「是々非々で言動出来る。」、 自民党では稀有な政治家。今回の安全保障関連法案に付いても「問題在り。」として、反対の意思を明らかにしていた。
「『此の法案には問題が在る。』とか『頑張って下さい。』と態々伝えてくれる自民党の議員は少なからず居るけれど、小選挙区制で公認や人事が党幹部に完全に握られてしまった事で、昔の様に自分の考えを旗幟鮮明に出来なくなり、心の中では反対していても、結局は言い成りになってしまう議員許り。特定秘密保護法で政府にとって不都合な情報は出なくなり、政府に人事権を握られた事で官僚も物を言えなくなった。安倍政権が暴走する環境が出来上がってしまった。」といった趣旨の発言を村上氏はしていたが、一昨日の採決では、自民党籍の衆議院議員で村上氏と若狭勝氏の2人が「体調不良」を理由に欠席した他は、見事な程に全て賛成。若狭氏は判らないが、村上氏の場合は「反対」の意思表示として欠席したのだろうけれど、きちんと出席した上で反対して欲しかった。(野党の対応にも、同じ事が言えるけれど。)
採決後、小泉進次郎氏が政府の姿勢を批判していたけれど、“言うだけ番長”で何もしない彼だから、想定内の事。「おかしい。」と思っていても、結局は物を言わずに黙りを決め込んだ議員が結構居たのだとしたら、そんな連中は案山子と置き換えてしまえば良い。民主党の様に内部がゴタゴタしているのもどうかと思うが、政府に対して疑問すらも呈せない自民党は、もっとどうかと思うし、不気味以外の何物でも無い。
「支持率が下がりそうな出来事が起こると、直後に支持率アップの為のパフォーマンスを行う。」というのが、安倍首相の場合は顕著。「今回も間違い無く、パフォーマンスを繰り広げるだろうな。」と思っていたが、翌日の昨日、「当初予定していた2倍もの総工費が掛かるとして、大反対の声が挙がっている新国立競技場の建設案。」を、安倍首相が見直すと発言。総工費の大幅削減自体は大賛成だが、支持率アップの為のパフォーマンスというのが余りにも露骨。
「以前、小泉純一郎首相をバックアップすべく、“怒りのパフォーマンス”という猿芝居を演じた森元首相。」だけに、今回も「『見直しに反対している。』とされた森喜朗元首相を説き伏せ、安倍首相が見直しを断行する。」というシナリオが出来上がっていたのは、想像に難く無い。*1
「国民の皆様の声に耳を傾け乍ら、オリンピックが成功する様、万全の準備を進めて行きたい。」と安倍首相は言っていたが、国民の多くが反対している「特定秘密保護法案」や「安全保障関連法案」等を“自分の趣味”で推し進める一方、「3年前、『国民に消費増税という重荷を背負わせる以上、国会議員は率先して自らの身を切らなければいけない。次期通常国会内(2013年1月28日~6月26日)で衆議院議員の定数削減を確実に行う。」とした“国民との約束”を放置し続けているのだから、国民の声に傾けるとしている安倍首相の耳は、随分と都合良く出来ている様だ。
*1 建設案の見直し決定に対し、「『国が、たった2,500億円も出せなかったのかね。』という不満は在る。」と森元首相は語ったそうだが、「たった2,500億円」という部分に激しい怒りを覚えた。先月、「のぞみ225号」で焼身自殺した男性もそうだが、必死で働いて来ても、食べて行くだけで精一杯という人間が少なく無い状況下、莫大な血税を投入するというのに、「たった2,500億円」は無いだろう。
「納めるべき金を逃れ、政治資金で私的な買い物をする。」様な連中が政治家には多いから、血税も「所詮は人の金。何れだけ無駄遣いし様が、全く問題無し。」と思っているのだろう。巫山戯た話だ。
熟慮を重ねそれでもなかなか判断できなければ優柔不断と非難される。無論果断に苦渋の選択は必要なわけだが、一方、強引でも即断即決すれば強いリーダーシップと評価される。
決めてしまえばあとは野となれ山となれ、どうせ責任を取らないなら、個人の趣味で決めてしまえの土壌が出来上がっていますね。
やはり他者から与えられた民主主義は根が浅いと感じます。
無念!
日本の政治に付いては、何方付かずな決着が多い事にフラストレーションを持っていましたけれど、良く言えば“決める政治”、本質を言えば“唯我独尊的政治”をこう迄見せ付けられると、不気味さと怖さを感じます。極端な方向に振れるというのは日本人の国民性と言っても良いでしょうが、政治に関してもそうですね。
「熱し易くて冷め易い。」や「形式に固執する。」という日本人の特質は、政治“屋”にとっては利用し易い。自分が「首相公選制」に反対するのも、そういった日本人の特質に危うさを覚えるからです。
昨夜のTV放送で、早速“安倍親衛隊”の1人・平沢勝栄氏が、「安倍首相の強いリーダーシップが在ったから、見直しを決められた!」と言っていましたが、支持率アップの為のパフォーマンスなのが見え見えで、鼻白んでしまった。
麻生太郎氏が会見で、「彼のデザインに決まったのは民主党政権時で、詳しい事を俺達は知らない。」と語っていました。確かに決まったのは野田政権時(解散を表明する数日前)で在り、其の責任の一端は在ると思う。でも、其れから2年半以上が経っており、其の間、自民党政権は此の件を放置していた訳で、「我々には全く責任が無い。」という態度は、余りにも無責任。何でも彼んでも「民主党時代は~」と馬鹿の一つ覚えで揶揄する安倍首相といい、頭の中が余りに幼稚。
第二次世界大戦で亡くなられた多くの国民は、こんな現状をどう思うか?生きたくても生きられなかった彼等の無念さを思うと、唯々申し訳無い。