昨日、帰宅途中に書店に寄ったら、小説「遺譜 浅見光彦最後の事件(上)&(下)」が山積みされていた。浅見光彦シリーズは作家・内田康夫氏が生み出し、数多く映像化された大人気作品。
4年前、内田氏自身が「浅見光彦の“最後の事件”を書く。」と宣言していた。当初は2012年中に上梓予定だったが、色々在って2年遅れの上梓となった様だ。
書店で後書きだけ立ち読みしたが、浅見光彦の34歳の誕生日パーティーでストーリーは始まるとか。浅見光彦シリーズを読み込んでいる方ならば御判りだろうが、此れは非常にショッキングな設定。と言うのも、同シリーズ内で浅見光彦の年令は常に「33歳」というのが不文律(回想シーンとかは別だが。)で、そんな彼が34歳を迎えるというのは、“浅見ワールド”を根底から覆す様な事態なのだから。
「定年という物が無い作家稼業に於て、人気シリーズの大団円をどうするか?」というのを、内田氏はずっと考えておられた様だ。同氏の頭の中には「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」の存在が大きく在り、「浅見光彦の“最後の事件”を、きちんと書き上げなければいけない。」という思いが強かったのだろう。(「今後、浅見光彦シリーズが上梓されない。」という事では、必ずしも無い様だ。「最後の事件から遡った時代設定での作品」というのも在り得そうだし。)
敬愛する手塚治虫氏には、未完に終わった作品が結構在る。ファンとしては、結末を読めなかったのが非常に残念なのだが、「人は誰しも、何時何時、どういう形で死を迎えるのか、全く判らないという現実が在る以上、“残された人達”が残念がらない様に、クリエーターが作品の最後を事前に用意しておく。」というのは、個人的に「在り。」だと思う。
・・・と前振りが長くなってしまったが、今日の記事を書こうと思った切っ掛けは、昨夜放送された「ワールドビジネスサテライト」【動画】内の「死後のスマホデータ」という特集に在る。「死んだ後、特に急死した後、自分のスマホ内のデータをどうするか?」というのが、此の特集のテーマだった様だ。「様だ」と書いたのは、TVを点けた所、此の特集の終わりの部分が放送されていて、肝心な部分は見逃してしまったので。
ネット上の情報を拾うと、「ラストメッセージ」という会社が紹介された様だ。同社は「自身が亡くなった際、(自身の)PCやスマホのデータが消去される様、
生前に準備する
サーヴィス
を提供している会社。」で、
「利用者がデータ消去に必要なパスワードを纏めた“機密ファイル”を作成し、ロックした物を、外部のストレージに預ける。→利用者自身が、信頼を置ける第三者を“バディ”として登録し、ストレージのパスワードをバディに預ける。→機密ファイルのロック解除キーを同社に預ける。→
生存確認のメールが同社から毎週送られ、メールへの反応が一定期間滞った場合、バディに安否確認の依頼が行く。→バディによって利用者の
死亡が確認された際には、同社からバディに対し、機密ファイルのロック解除キーが送られる。→バディが、データを全て消去する。」という仕組みらしい。
6年前、「更新されなくなったブログ」という記事を書いた。自身がブログを始めて以降、多くのブロガーさんと交流させて貰った。覗かせて貰うのが楽しみなブログの中には、更新がストップしてしまった物も少なく無い。「ブロガーさん自身が、更新ストップの理由を書かれているケース。」も在るが、「理由が判らない儘、唐突に更新がストップしてしまったというケース。」も在る。感覚的に言えば後者が殆どで、「どうしたんだろう?何か在ったのだろうか?」と心配になってしまう。御元気ならば良いのだが、「不測の事態により、ブロガーさんが急死された。」という事も在り得るだろう。
「自身が急死した場合、運営していたブログをどうして欲しいか?」と問われたら、様々な答えが返って来る事だろう。「こつこつ書き上げて行った“作品”だから、自分が死んだ後でも、多くの人に覗いて貰えたら嬉しい。」という人も居られるだろうし、其の気持ちは理解出来る。(昨夜の「ワールドビジネスサテライト」で出演者の1人が、「5年前(だったか?)に亡くなった友人がブログを運営していて、亡くなって以降、更新自体はストップしているのだけれど、私を含め、其の友人を知る人達が友人を偲んで当該ブログを覗き、書き込みをしたりしている。」といった趣旨の話をしていた。)
唯、自分の場合で言えば、「亡くなった際には、自身のブログを完全消去して欲しい。」という思いが在る。覗いて下さる方々との交流が非常に楽しく、「頂戴した書き込みに対して、レスを付ける事が出来なくなってしまった。」という状況は、書き込みして下さった方に対して非礼に感じてしまうからだ。又、「万が一、記事の中に誤った記述が在った場合、其れを何方が指摘して下さったとしても、対応が出来ないのは忍びない。」というのも在る。
giants-55さんの仰るように、死後のメンテが出来ない以上、閉鎖・消去して欲しいという思いの一方で、生きて活動した証を残しておきたいという「未練」も多少はあります。
家族に「〇〇は他界しましたので更新は出来ませんが、生前の希望によりこのまま残します」と、最後のコメントを書き込んでもらうとか・・・(笑)。
所有物に関しても、どれを誰に残すとか、どういう風に処分してほしいとか、ちゃんと記録して残しておかないと、後で家族が処分に困ることになりますね。
「生きて活動した証を残しておきたいという『未練』」、此れは凄く判ります。素晴らしい作品を生み出して来られたクリエーターの方々には足元にも及ばない自分ですが、無い頭を使い、気合だけは込めて記事を書いて来たという面は在りますので、少しでも多くの方々に覗いて戴きたいという思いは在り、其れは自分の死後で在っても無い訳では無い。
御世辞では無く、悠々遊様のブログは写真を多用され、非常に読み応え&見応え在る内容ですので、自分のなんぞよりは遥かに残され続けた方が良いと思っていますし。
家族に後を託すというのも、方法論としては在りでしょうね。唯、自分の場合、家人はPC関係に疎いので、其れは無理なのですが。
昨日の特集の中で出演者の1人が、「海外の話だが、Facebookをしていた妹が亡くなり、其のアカウントを姉が引き継いで、妹を偲ぶ意味で皆と遣り取りしていたら、Facebook側から『当人以外は不可。』という事で、使用出来なくなってしまった。其処で姉が『其れはおかしい。』と裁判に持ち込んだが、結果的には敗訴してしまった。」という趣旨のコメントをしていました。そういう問題って、今後は増えて行くんでしょうね。
「断捨離」という言葉が流行る以前より、「身の回りには、極力最小限の物しか置かない。」という生活を心掛けています。女優の高峰秀子さんがそういう生活を心掛けているというのを知り、「良いなあ。」と思って始めたのですが、其れでもAV等、エロ関係で捨てられない物が在ったりします。
世の中には、色んな人が居ますね。真面な人も多いのだけれど、妙な人も少なく無い。人が嫌がっているのを判らないで、迷惑行為をしている人も居る一方、人が嫌がっているのを判った上で、態々迷惑行為をするという、石原慎太郎的人物も。