映画界の巨匠、フランシス・フォード・コッポラ監督。その娘で、やはり映画監督のソフィア・コッポラ女史が監督した作品「マリー・アントワネット」を鑑賞。
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時は18世紀。プロイセンの脅威からフランスとの同盟関係を強化すべく、オーストリアの皇女マリア・アントーニアは14歳の若さでフランス国王ルイ15世の孫ルイ・オーギュスト(後のルイ16世)と政略結婚させられ、フランス王太子妃マリー・アントワネットを名乗る事になる。
優しい風貌のルイとの幸せな結婚生活を夢見た彼女。しかし「フランス流を尊び、オーストリアから来た彼女を小馬鹿にする、上辺だけ取り繕ったヴェルサイユ宮殿の人々」と「趣味の錠前作り&狩りに明け暮れ、彼女に全く愛情を示そうとしないルイ」という現実を前にして、マリー・アントワネットは哀しみと寂しさに苛まされて行く。やがて彼女はそれ等の苦しみから逃避する為、高価な靴やドレス、御菓子*1やシャンパンへの浪費、ギャンブルや絢爛豪華なパーティーを催す事に直走る様に。又、夫のルイ16世はイギリスの勢力拡大に対抗すべくアメリカ独立戦争に肩入れし、資金援助をアメリカに次々と行なう等、国王夫妻の多額な支出が自国フランスの民を困窮へと追い込んで行き、遂に民衆の怒りは頂点に達して・・・。
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「神父や国王等大勢がベッドの脇に集まり、衆人環視の中で迎える新婚初夜。(食事の際も大勢が見守る中で、粛々と召して行く不気味さ。)」や「毎朝、自室でマリー・アントワネットは真っ裸にさせられた上、より位の高い人物から順番に1枚づつ衣服を身に着けさせられる”儀式”。(寒さに震えながらも延々と待たなければならず、着衣の最中により高い位の人物が入出して来た場合には、着衣させる順番がその人物に委譲されて行くアホらしさ。)」等、呆れ返ってしまうシーンが次々と続く。あれだけ”無意味な”人間を多く抱えていたら、それだけで財政が逼迫するだろうに・・・とつい思ってしまう。
マリア・アントーニアがフランス王室に輿入れする際、国境で王室関係者に彼女が引き渡されるシーンが描かれているのだが、その為に設えられた?建て物内で彼女は御付きの者達から離された上、着衣や持ち物だけでは無く、連れて来た愛犬迄も取り上げられていたのには驚かされた。故郷で在るオーストリアに纏る物を一切を捨て去り、見も心もフランスに捧げよという事なのだろう。
フランス王室を滅亡へと追い遣った”傾国”として描かれる事の多いマリー・アントワネットを、この映画では「フランス財政が破綻した責任の全てが、彼女に在る訳では決して無い。」としている所は一定の評価をしたい。しかし大半は、「国王ルイ15世とその愛妾デュ・バリー夫人との乱れた関係。」、「夫からの愛情を得られないマリー・アントワネットが、御忍びで出掛けた仮面舞踏会でスウェーデン陸軍のハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵と出逢い、やがて女たらしの彼との愛欲の日々に浸り切って行く様。」、「国家の財政が困窮し、飢えに苦しむ民衆の怨嗟の声を聞かされた際、マリー・アントワネットが『パンが無ければ、ケーキを食べれば良いじゃない。』と家臣に言い放ち、民衆が更に激怒したという逸話。(食べ切れない程の豪華な食事を毎日食し、”おまけで”これ又食べ切れない程のケーキを食していた彼女の、「主食が無くても、おまけのケーキを食べれば済むじゃない。」という邪気の無い発言として良く引用されるこの逸話だが、実際にはフィクションとの事。)」等、それなりに当時の歴史を知っている人間ならば、まあ知っているで在ろう出来事の羅列。歴史にそれ程詳しくない人ならばより楽しめるのかもしれないが、個人的にはやや退屈でも在った。
又、斬新と言えるのかもしれないが、作中で使用されているポップ・ミュージックが自分には非常に違和感を覚えさせられた。バロック音楽とは言わない迄も、もっとシックリ来る音楽の方が良かった気がする。18世紀の世界にドップリ浸かっていたのに、あの音楽が流れる度に現実に引き戻されてしまったのが残念な所。それとルイ16世一家がフランス革命勃発によってヴェルサイユ宮殿を後にする所でストーリーが終わっているのが、何とも尻切れ蜻蛉な感じで物足りなかった。ルイ16世一家が囚われの身となり、彼及びマリー・アントワネットが断首台の露と消えて行く所迄描いた方が良かったのではなかろうか。
総合評価は星2.5個。
*1 御菓子といえば、マクドナルドが”朝マック”(午前10時30分迄の限定販売。)の新メニューとして発売開始した「マックグリドル」を遂に食した(ベーコン&エッグ・チーズをトライ。)。メープル・シロップを使ったバーガーという事で、「一体どんな味なのだろうか?」と興味津々だったのだが、個人的には「もう二度と食したいとは思わない。」代物。甘ったるいホット・ケーキの間に塩味の効いたベーコン等の具材が挟まっており、これが甘さと塩辛さが渾然一体となっていれば良いのだが、自分の舌にはそれぞれが勝手に”自己主張”している様な纏まりの無さしか感じ取れなかった。元々カレー・ライスにレーズンやパイナップル等、甘い食材を入れるのが苦手という事も在るのだろうが・・・。
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時は18世紀。プロイセンの脅威からフランスとの同盟関係を強化すべく、オーストリアの皇女マリア・アントーニアは14歳の若さでフランス国王ルイ15世の孫ルイ・オーギュスト(後のルイ16世)と政略結婚させられ、フランス王太子妃マリー・アントワネットを名乗る事になる。
優しい風貌のルイとの幸せな結婚生活を夢見た彼女。しかし「フランス流を尊び、オーストリアから来た彼女を小馬鹿にする、上辺だけ取り繕ったヴェルサイユ宮殿の人々」と「趣味の錠前作り&狩りに明け暮れ、彼女に全く愛情を示そうとしないルイ」という現実を前にして、マリー・アントワネットは哀しみと寂しさに苛まされて行く。やがて彼女はそれ等の苦しみから逃避する為、高価な靴やドレス、御菓子*1やシャンパンへの浪費、ギャンブルや絢爛豪華なパーティーを催す事に直走る様に。又、夫のルイ16世はイギリスの勢力拡大に対抗すべくアメリカ独立戦争に肩入れし、資金援助をアメリカに次々と行なう等、国王夫妻の多額な支出が自国フランスの民を困窮へと追い込んで行き、遂に民衆の怒りは頂点に達して・・・。
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「神父や国王等大勢がベッドの脇に集まり、衆人環視の中で迎える新婚初夜。(食事の際も大勢が見守る中で、粛々と召して行く不気味さ。)」や「毎朝、自室でマリー・アントワネットは真っ裸にさせられた上、より位の高い人物から順番に1枚づつ衣服を身に着けさせられる”儀式”。(寒さに震えながらも延々と待たなければならず、着衣の最中により高い位の人物が入出して来た場合には、着衣させる順番がその人物に委譲されて行くアホらしさ。)」等、呆れ返ってしまうシーンが次々と続く。あれだけ”無意味な”人間を多く抱えていたら、それだけで財政が逼迫するだろうに・・・とつい思ってしまう。
マリア・アントーニアがフランス王室に輿入れする際、国境で王室関係者に彼女が引き渡されるシーンが描かれているのだが、その為に設えられた?建て物内で彼女は御付きの者達から離された上、着衣や持ち物だけでは無く、連れて来た愛犬迄も取り上げられていたのには驚かされた。故郷で在るオーストリアに纏る物を一切を捨て去り、見も心もフランスに捧げよという事なのだろう。
フランス王室を滅亡へと追い遣った”傾国”として描かれる事の多いマリー・アントワネットを、この映画では「フランス財政が破綻した責任の全てが、彼女に在る訳では決して無い。」としている所は一定の評価をしたい。しかし大半は、「国王ルイ15世とその愛妾デュ・バリー夫人との乱れた関係。」、「夫からの愛情を得られないマリー・アントワネットが、御忍びで出掛けた仮面舞踏会でスウェーデン陸軍のハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵と出逢い、やがて女たらしの彼との愛欲の日々に浸り切って行く様。」、「国家の財政が困窮し、飢えに苦しむ民衆の怨嗟の声を聞かされた際、マリー・アントワネットが『パンが無ければ、ケーキを食べれば良いじゃない。』と家臣に言い放ち、民衆が更に激怒したという逸話。(食べ切れない程の豪華な食事を毎日食し、”おまけで”これ又食べ切れない程のケーキを食していた彼女の、「主食が無くても、おまけのケーキを食べれば済むじゃない。」という邪気の無い発言として良く引用されるこの逸話だが、実際にはフィクションとの事。)」等、それなりに当時の歴史を知っている人間ならば、まあ知っているで在ろう出来事の羅列。歴史にそれ程詳しくない人ならばより楽しめるのかもしれないが、個人的にはやや退屈でも在った。
又、斬新と言えるのかもしれないが、作中で使用されているポップ・ミュージックが自分には非常に違和感を覚えさせられた。バロック音楽とは言わない迄も、もっとシックリ来る音楽の方が良かった気がする。18世紀の世界にドップリ浸かっていたのに、あの音楽が流れる度に現実に引き戻されてしまったのが残念な所。それとルイ16世一家がフランス革命勃発によってヴェルサイユ宮殿を後にする所でストーリーが終わっているのが、何とも尻切れ蜻蛉な感じで物足りなかった。ルイ16世一家が囚われの身となり、彼及びマリー・アントワネットが断首台の露と消えて行く所迄描いた方が良かったのではなかろうか。
総合評価は星2.5個。
*1 御菓子といえば、マクドナルドが”朝マック”(午前10時30分迄の限定販売。)の新メニューとして発売開始した「マックグリドル」を遂に食した(ベーコン&エッグ・チーズをトライ。)。メープル・シロップを使ったバーガーという事で、「一体どんな味なのだろうか?」と興味津々だったのだが、個人的には「もう二度と食したいとは思わない。」代物。甘ったるいホット・ケーキの間に塩味の効いたベーコン等の具材が挟まっており、これが甘さと塩辛さが渾然一体となっていれば良いのだが、自分の舌にはそれぞれが勝手に”自己主張”している様な纏まりの無さしか感じ取れなかった。元々カレー・ライスにレーズンやパイナップル等、甘い食材を入れるのが苦手という事も在るのだろうが・・・。

映画評論を生業にしている人達の中には、結構好い加減な人物も居る様ですね。それこそ実際に作品を見ずに、映画会社から渡された”原稿”をそのまま転記する様な”御用評論家”も居ると聞きますし。某有名映画評論家(タレント?)の様に、「感動しました!」とか「○○年生きてて良かった!だってこんな素晴らしい作品に巡り会えたんだから。」等と無意味に連呼しまくっている者も居ますし(苦笑)。
申し訳無いのですが、この作品を絶賛されている映画評論家とはどうも自分は価値観が相容れないです。「時代が異なっていても、現代の同年代の女性は共感を覚える人物像」というのは確かにそうなのでしょうが、それならば敢えてマリー・アントワネットを題材にしなくても良かったのでなかろうかという気がしてしまうんですよね。
前にも書いたとは思うのですが、当時のフランスでは窓から汚物を投げ捨てる事が多く、それを避ける為に日傘が、そしてそういった匂いを消し去る為に香水が発達したという話が在ります。そもそもあの裾の広がったドレスは、何処でも一寸腰を下ろして用を足す為だったとも言われていますので、当時の彼の国は結構悪臭が漂っていたのかもしれませんね。
そうそう、あれは完全に別売りのホット・ケーキです。甘いなら甘い、辛いなら辛い、両方合わせるならば渾然一体となる様に仕上げて貰わないと、どうもねえ・・・。
僕はルイ16世に対する歴史の評価は少し厳しいのではないかと思ってます。以前自分のブログに書いたことがありました。
http://blog.livedoor.jp/alamein/archives/50530115.html#trackback
パンがなければケーキを・・・
という話は中国の王朝の米がなければ肉を食べればいい。からのとったフィクションらしいです。
最近ではフランス革命は英国情報部の工作によるものとの説もあります。
写真で見た時はマフィンの代わりにポテトっぽい味のバンズとかチーズ入りバンズで挟んだかと思っていたのですが、口にして蜂蜜入りホット・ケーキだったと知った時は・・・もう・・・。
ホットケーキ、目玉焼き、ソーセージといった「アメリカの朝飯」の1セットを、バーガーという形でひとまとめにしたようのですが、やっぱり別々でないと・・・。
(あと、別のファーストフード店で「あんこバーガー」とかいう商品を見かけました・・・。)
ただ、我が国でも甘いおかずというものが存在しており、玉子焼きや煮豆、佃煮等といったおかずが私達の食卓に並んでいました。
そんな甘いおかずに抵抗感を持たずに食していた人もいれば、「ご飯のおかずにあまいものは嫌」と抵抗感を示す人もいます(ちなみに、タレントの伊集院光氏は、玉子焼きをご飯のおかずにする事を抵抗感を示しています)。
あと、おかずではないのですが、「スイカに塩」のように、一方の味覚を際立たせる手段として正反対の味覚を活用するという事も、我が国で昔から行われていました。
要は、甘さがしょっぱさや辛さといった他の味覚からはく離しなければ、おかずとして受け入れられるのではないのかと、私は思うのです。(そんな感じで、「酢豚にパイナップル」や「イタリアンの前菜における、生ハムにメロン等のフルーツ」に馴染みました。)
最後に、まだ食してないのですが、とある有名なカレーうどん屋のメニューにある、「カレーうどんの具にバナナの天ぷら」とかって合うのかどうか気になります(試す勇気はありませんが)。
マックグリドルを食されましたか。「アメリカの朝食1セットを、バーガーという形で一纏めにした」というのは、正にその通りですね。それで全てが渾然一体と調和していれば良いのですが、不協和音を奏でている代物だったと思います。
玉子焼き等の甘いおかずや、その食材が本来持っている味を際立たせる為に、全く正反対の物を添加する(スイカに塩の様に。)は在りだと思うのですが、どうもカレーにレーズンやパイナップルというのは苦手なんですよね。味というのも在るのでしょうが、もしかしたら自分の場合は視覚や触覚で”異物”として捉えてしまっているのかもしれません。ミキサーで粉砕した状態だったら、意外にスンナリ食せてしまうのかも。
我が故郷・名古屋は、食に関してかなり変わった文化を持った土地柄と良く言われます。味噌カツやグリーン・ティー等、一寸方向性の変わっている飲食物は昔から在ったのですが、割合最近では「抹茶&小豆スパゲッティー」なる物も登場しているとか。元名古屋人の自分でも、流石にこれは食すのに勇気が要りそうです。
当時は「パン」は一等小麦で作られてました。
ドイツに「純粋ビール法」てのがあり、水とホップと小麦しかビールを名告る商品は使ってならぬ!て法律があります。似てる。
中世以来の職業ギルドは三部会にブルジョワジーまたはプチプルとして参加してました。
その既得権益で、パンは一等小麦しか使えなかったのです。
対して、「お菓子」テリトリーは砂糖を入れる代わりに、二等以下の小麦を用いていました。
「お菓子を食べれば」というのは、実は品質の落ちる二等小麦を、パンに用いろ!という考えなのです。フランスは産業革命に遅れるくらいにギルドの支配が強くて、王家しか、こういう事を言えなかったのです。
ボンクラの代名詞である亭主のルイ16世ですが、なかなか味な事をしています。当時は「啓蒙派」の巨頭が世界初の「百科事典」を作ろうとしてました。
個々の著作者に印税を与えていたら百科事典は出来ませんでした。そこで今で言う「コピペ」で金を支払わずに無断転載しよとしていた。「新聞」が登場するのは第二帝政からです。伝達はパンフレットで行われたので、「コピペ」は暗黙の了解でした。
でもルイは、文化人の遺族が訴えた手紙に反応して、無断転載による百科事典を禁じたのです。これに対して庶民の「近代化を阻んだ」と
悪評価されてきました。
ルイは「書物を書いた人や家族に、その報酬が支払われなければ、書物を書く人がいなくなり、我国は衰退する」とゆるさなかった!
百科事典が成立するのは、彼が処刑されてからです。貴族ゆえの世間知らずは間違い有りませんが、啓蒙と近代化の為に「世界初の知的所有権」を認め、それが国の知的水準を下げると
みぬいた最初の君主でした。
私は案外に、このフ夫婦はバカでなかったと思っております。
昔、「大トロ」や「松茸」は高価な存在では無く、寧ろ貧乏人でも普通に食せる食材だったという事を知り、驚かされました。「パン」や「菓子」も又、時代の変化と共に、其の価値が変わっているのでしょうね。
「人」の評価も同様で、時代の変化だけでは無く、評価する人によって異なったりするのが面白い。