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ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「永遠の0」

2013年07月20日 | 書籍関連

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「娘に会うは死ねない、妻との約束を守るに。」。そう言い続けた男は、何故自ら零戦に乗り、命を落としたのか。

 

終戦から60年目の夏、佐伯健太郎(さえき けんたろう)は死んだ祖父・宮部久蔵(みやべ きゅうぞう)の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんで来る。

 

記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。

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書籍が売れない。」と言われ続けている中、刊行する作品が売れに売れる稀有な作家の1人が百田尚樹氏。放送作家の彼が小説家としてデビューしたのは7年前で、其の作品が今回読了した「永遠の0(ゼロ)」。文庫版だけでも200万部以上売れているそうなので、既に読まれた方も多い事だろう。

 

大学4年の時から4年連続で司法試験を受験するも不合格となり、すっかり遣る気を無くしてしまった佐伯健太郎。26歳の今年は受験する事無く、仕事もしないでぶらぶらしている状況。そんな彼にフリーライターをしている姉・慶子(けいこ)が、或る依頼をする。「終戦の数日前に神風特別攻撃隊員、所謂“特攻隊員”として26歳で亡くなった“祖父”の宮部久蔵が、どういう人物だったのか?」を調査して欲しいと。

 

健太郎等の祖母・松乃(まつの)が久蔵との結婚したのは昭和16年で、其の翌年に娘・清子(きよこ)を儲けている。清子は、健太郎等の実母だ。松乃と久蔵との結婚生活は僅か4年で、其の殆どを久蔵は戦地で過ごしている。戦後、松乃は再婚し、其の相手が賢一郎(けんいちろう)。血が繋がっていない自分と其の子供で在る健太郎達を慈しんでくれた賢一郎を大事に思う一方で、「本当の父親は、どんな人だったのだろうか?」という思いが強まって来た清子の気持ちを慶子は慮り、健太郎への依頼となったのだ。

 

「決して偉ぶらず、人の気持ちが判る人だった。」、「凄腕パイロットだった。」といった証言が在る一方、「海軍航空隊一の臆病者で、何よりも命を惜しむ男だった。」等、久蔵を蔑む証言も多く、健太郎と慶子は戸惑いと悔しさを感じるのだが、調査を進めて行く中で、「何よりも命を大事にしていた久蔵が、どうして特攻隊員として死ぬ事になったのか?」を知る事になる。

 

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・それを知った時、米軍日本軍の思想はまったく違うものだったのだと知った。「VTヒューズ」は言ってみれば防御兵器だ。敵の攻撃からいかに味方を守るかという兵器だ。日本軍にはまったくない発想だ。日本軍はいかに敵を攻撃するかばかりを考えて兵器を作っていた。そのたるものが戦闘機だ。やたらと長大航続距離、素晴らしい空戦性能、それに強力な20ミリ機銃、しかしながら防御は皆無-。「思想」が根本から違っていたのだ。日本軍には最初から徹底した人命軽視の思想が貫かれていた。そしてこれがのちの特攻につながっていったに違いない。

 

当時の海軍について調べてみると、あることに気がついたのよ。それは日本海軍の人事は基本的に海軍兵学校席次ハンモックナンバーって言うらしいけど、それがものを言うってこと。」。「卒業成績が一生を決めるってことだね。」。「そう、つまり試験の優等生がそのまま出世していくのよ。今の官僚と同じね。あとは大きなミスさえしなければ出世していく。極論かもしれないけれど、ペーパーテストによる優等生って、マニュアルにはものすごく強い反面、マニュアルにない状況には脆い部分があると思うのよ。それともう一つ、自分の考えが間違っていると思わないこと。

 

・おそらくその頃は、人間の死に対して鈍感になっていたのでしょう。新聞でも「玉砕」という文字は珍しくありませんでした。玉砕の意味ですか?全滅という意味です。ひとつの部隊総員が死ぬことです。全滅という言葉を「玉砕」という言葉に置き換えて、悲惨さを覆い隠そうとしたのです。当時、日本軍はそういう言葉の置き換えをあらゆるものにしていました。都会から田舎避難することを「疎開」と言い、退却を「転進」と言いました。しかし「玉砕」はもっともひどい例だと思います。そこに死を美しいものに喩えようとする意図があります。やがて新聞紙上に「一億玉砕」という言葉も躍るようになります。連日、新聞などでそうした多くの死を見ていると、命がどんどん軽いものに思われてきます。毎日、戦場で何千人という人が亡くなっている中で、十人ほどの特別攻撃隊が出たところで、それほどの衝撃はありませんでした。

 

特攻は十死零生の作戦です。アメリカB17爆撃機搭乗員たちも多くの戦死者を出しましたが、彼らには生きて帰れる可能性がありました。だからこそ勇敢に戦ったのです。必ず死ぬ作戦は作戦ではありません。これは戦後ある人に聞いた話ですが、五航艦司令長官であり、全機特攻唱え宇垣纏長官が特攻出撃を前にした隊員たち一人一人手を取って涙を流しながら激励した後、『何か質問はないか?』と聞いたそうです。その時、ミッドウェーから戦っていたベテラン搭乗員が『敵艦に爆弾を命中させたら、戻ってきてもいいでしょうか?』と尋ねたそうです。すると宇垣長官は『ならん。』と言い放ったそうです。。ぼくは思わず、えっと声を上げた。これが特攻の真実です。勝つための作戦ではなかったのです。特攻の目的は搭乗員の体当たりなのです。そして、沖縄戦の後半は志願するもしないもない、通常の命令で行われたのです。

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「兵士1人1人を、丸で“使い捨ての物”の様に扱っていた軍部。」、「部下には『国の為、命を捨てよ!』と命じる一方、自分達は命を惜しんだり、責任転嫁汲々とする軍上層部の“官僚的体質”。」等、戦地で命を落とした兵士達の無念さを感じてしまう状況が、日本軍に少なからず在ったのは確かだろう。

 

愛国心を必要以上に他者に強いる為政者程、私利私欲充足許りを考え、いざ戦争が起こると“安全地帯”に逃げ込むもの。(「“安全地帯に居るが決定し、“安全地帯に居る”親父が命令し、そして何も知らない若者達が戦って死ぬのが戦争。と表現した人が居たけれど、正鵠を射ていると思う。)本当に愛国心を持つ為政者ならば、「戦争絶滅受合法案」の様な物を制定しようとするではないのか?今も昔も、胡散臭い連中には留意しないといけない。

 

戦時中に久蔵と関わった2人の人物が、調査を進めて行く中で“意外な正体”を見せる。全く予想もしていなかったので、「そういう事だったのか!」と驚いてしまった。伏線の張り方が実に上手いし、ストーリー展開も読者の関心逸らさない秀逸さ。

 

一寸気になったのは、次の記述。

 

「戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張った。まるで国を愛することは罪であるかのように。一見戦前と逆のことを行っているように見えるが、自らを正義と信じ、愚かな国民に教えてやろうという姿勢は、まったく同じだ。その結果はどうだ。今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家文化人を生み出した国はない。」。

 

元海軍中尉で、戦後一部上場企業の社長を務めたという男性が口にした言葉だ。ブログでは何度も書いている事だが、所謂自虐史観」は自分も好きじゃないけれど、声高に「自虐史観は許せない!」と叫んでいる人達が言う様に、日本を軽蔑している日本人が多いとは思えない。極めて少数派だと思うし、「日本のした事は全て悪い。」と主張する人達もそうだが、「日本が行った事は全て正しい。」と“事実”迄をも全否定する様な人達も同様に、全く信用する事が出来ない。主張こそ全く違うけれど、「自身にとって都合の良い事柄は全て正しいが、不都合な事は全て事実では無い。」という考え方は、身勝手という点で全く同じだから。

 

又、戦前及び戦中、新聞やラジオといったメディアの中には、「戦争」を賛美する様な報道をしていた癖に、敗戦となった途端手の平を返した様な報道姿勢に転じた所は在ったと思うし、中には「愛国心を捨てさせる様な論陣を張った。」と迄は考えないけれど、「自虐史観的な報道」と言われれば「そうかなあ。」と思う所も確かに在った。でも、だからと言って、「特定のメディアの報道が、全て事実では無い!」と決め付ける姿勢は正しく無いだろう。

 

其れに、戦前及び戦中の市民に付いて記された文献を読むと、「閉塞感抱えていた国民の中には、『戦争によって、明るい未来が来るのではないか?』といった期待も少なからず在った。」様に感じる。戦争を賛美したメディアや政治家も問題だが、深く考えずに追随して行った国民が少なく無かった“としたら”、“追随して行った”国民にも問題が在ったのではないだろうか?

 

メディアの上層部への“接待漬け”が功を奏しているのか、与党に対して歯が浮く様な大絶賛を続けているメディアが多い。深く考える事無く、そんな“雰囲気”に乗せられて、盲目的に与党を支持すれば、此の国は再びおかしな方向へと突き進む事になるだろう。

 

近年、文章として記された“表面の部分だけ”を取り上げ、本質的に其れとは異なった主張を叫ぶ人が、結構目立つ。上記の記述が気になったというのは、「永遠の0」を確りと読めば、百田氏が言わんとしている事は全く違うのが判るで在ろうに、“表面の部分だけ”を取り上げて「~は売国奴だ!」なんぞと騒ぎ立てる人がそうな点に在る。

 

読み応えの在る作品で、総合評価は星4つとする。


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4 コメント

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this way (noga)
2013-07-20 03:00:18
安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意(本音)の人ならそうなる。
縁起でもないことは、頭が受け付けない。口に出してもいけない。
これは、平和ボケのようなものか。

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

>親戚のじいちゃんはガ島で地獄を見てきた。
>「あれは決して国のために尊い命を落とす姿じゃ無かった」という言葉を忘れない。
兵卒は優秀。参謀は愚鈍。日本語脳の定めであるか。理不尽に耐える心を養うべきか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。

不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養 (洞察力) がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。

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>noga様 (giants-55)
2013-07-20 12:10:49
初めまして。書き込み有難う御座いました。

「白虎隊の悲劇」等、日本人は「敗者」に対して深い思い入れを持つ事が少なく無い。斯く言う自分も同様な訳ですが、「理不尽な形で亡くなった者達」へ哀悼の意を表するのは良いのだけれど、じゃあ「何故、彼等は理不尽な形で亡くならなければいけなかったのか?」という点に思いを馳せる必要“も”在ると思うのです。時の為政者達の“自己保身”や“詰まらないプライド”の為だったり、“場当たり主義的な作戦”だったりが在ったのではないかという事を、きちんと検証し、もしそういった事が在るならば、同じ過ちを繰り返さない為にも、確り肝に銘じなければいけない筈。そうじゃないと、亡くなった人達が浮かばれない。

「自虐的で在る。」のと、「同じ過ちを繰り返さない為に、是々非々で過去をきちんと検証する。」というのは全く違う。記事でも書いた様に、「何で彼んでも、日本の行為は不正。」というのがおかしい様に、「日本の行為は、無条件で全て正しい。」というのもおかしい。主張は全く異なっていても、其の根っこに在る“排他的思考”は全く同一と思うので。

「美しい国」だ何だと口にし、愛国者面をしている連中程、戦争になったら“安全地帯”に逃げ込み、結局戦地に送り込まれて死ぬのは、何も知らない若い連中。そういう“事実”が古今東西の歴史を顧みればごろごろ転がっている事を多くの人が認識しなければ、“避けられる過ち”を繰り返す事になるでしょうね。

今後とも、何卒宜しく御願い致します。
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Unknown (マヌケ)
2013-07-21 22:50:09
武力による抑止がなければ、残念ながら平和が保てない現実があります。 しかし、人間が命を惜しむことなく兵器となって突撃してくることは、核兵器と変わらぬくらい相手にとっては恐ろしいものがあると思います。 神風の記憶はアメリカだけでなく、おそらく近隣諸国にとっても、今でも脅威なのかもしれません。  二度と戦争はしませんと誓っても信じてもらえないくらい、日本は恐ろしいと近隣諸国は思っているのかもしれません。 憲法が危ない方向に改正されるようなことがあれば、近隣諸国の反発はとても大きいかもしれません。 神風も回天もたくさんの小説や映画でとりあげられてきて、そのどれもが過去の戦争の反省の視点から描かれています。 その時の多くの苦しみや涙をこれから先も私たちが受け継いでいかなくては、亡くなられた多くの祖先の思いが無になるのではないでしょうか。 ネットで騒いでいる変な似非右翼の連中は、自分たちだけが生き残れると思っているのでしょうか? もしも、敵がたくさんのミサイルを原発に向けて打ち込んできたら、こんな小さな島国ではだれひとりとして生きることはできないのにね。 山本五十六の搭乗機が撃墜されて、その時に護衛の役を担っていた戦闘機のパイロットたちが、その後死ぬまで毎日出撃命令を受けていたことが、上層部により懲罰だったことを、この小説で知りまして、ならば、暗号を解読されていたにもかかわらず、それを改めなかったマヌケな大本営はなんなのかと憤りましたね。 と、言いますか、大本営のやつらは自分たちだけ生き残って、余生を全うして、恥ずかしくないのかと。
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>マヌケ様 (giants-55)
2013-07-21 23:38:21
書き込み有難う御座いました。

自分は当然乍ら、戦前~戦中に掛けてをリアル・タイムで生きていません。終戦から68年が過ぎ様としている今、自分と同じ様に“太平洋戦争を知らない人間”が大多数を占めている。実際に経験していないからこそ、様々な方向からの記録や証言に当たり、個々人が自分の頭で考え抜いた上で、「何故、愚かしい事態に突入してしまったのか?二度と繰り返さない為には、此れからどうすれば良いのか?」を真剣に考えないといけない。そうしないと、彼の戦争で命を落として行った人々が浮かばれない。

「石油等、資源の輸入がアメリカ等から全面的に止められた事で、日本は戦争に突入せざるを得なかった。」という背景は確かに在ると思いますが、戦争突入は果たして其れだけが理由だったのか?当時の為政者達の驕りや、戦争で私腹を肥やそうと考えた連中が居た事も、結構在ったのではないかと。

「正義」や「愛国」を口にする事は決して悪い事では無いのだけれど、必要以上に声高に其れ等を叫び、又、自身の主張を他者に強いる連中は、個人的に全く信用出来ない。経験上、そういう連中は概して、私利私欲の充足許りを考えているケースが多かったので。

「国の為に死ね!」と散々言い乍ら、いざ自分が「死」に直面する事態になると、ケツを捲って逃げたり、責任を部下に押し付けたりするという輩は、本当に恥ずかしい。
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