*************************************
「安楽死の為の旅“自殺ツーリズム”という現実」(8月27日、R25)
美味しい空気、長閑な風景-アルプスの山々に囲まれたスイスに、こうしたイメージを持っている方も多いと思います。事実、観光立国としてのスイスは非常に人気が高く、ジュネーヴやチューリッヒ等の都市部やマッターホルン、モンブラン等の山間の町を避暑地に選ぶ海外からの旅行者は、年間約840万人(2008年度)に上ります。
では、“Suicide Tourism”という言葉を聞いた事が在るでしょうか。直訳すると「自殺ツーリズム」。中々穏やかで在りませんね。
実はスイスでは安楽死等の自殺幇助が法的に認められています。詰まり“Suicide Tourism”とは、外国人が安楽死の場を求めてスイスに遣って来る社会現象の事を指します。安楽死を目的としてチューリッヒを訪れる人は年間約200人に上ります。
現在、安楽死に関して世界で最も進歩的とされるスイスを始め、米国オレゴン州・ワシントン州、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク等の欧米諸国では安楽死が容認されていますが、自国を訪れる外国人にも同等の権利を与えているのはスイスだけです。
勿論実施には医師の厳しい審査が在ります。唯、末期癌等の不治の病や、耐え難い苦痛を伴い回復を見込めない慢性疾患患者等は、患者本人と家族、医師が熟慮した上で在れば、自殺幇助を受けられる事になっています。
こうした制度に付いて、スイス国内にも反対する声が無い訳では在りません。実際、今年5月には、チューリッヒで自殺幇助の是非を巡って住民投票が行われました。が、結果は現状維持派の圧勝。自殺幇助禁止への反対票に85%、“Suicide Tourism”の禁止に78%の反対票が投じられ、何れも否決されました。「最期を如何に迎えるかは、自分自身に選ぶ権利が在る。」という市民の意識が証明された事になります。
1941年から安楽死が認められているスイスでは、こうした意識が国民に深く根付いています。死に場所に自国を選ぶ旅行者を不名誉だと感じるスイス人も少なくはありませんが、今回の住民投票の結果を鑑みるに、当面此の制度が廃止される事は無さそうです。
言わずもがな、日本に於ける安楽死幇助は刑法上「殺人罪」の対象となる犯罪行為です。唯、是非は兎も角、高齢化が加速する日本でも安楽死幇助を認める様、制度導入を求める声が高まる可能性は在るでしょう。スイスの事例は、僕等にとっても決して他人事では無いかもしれないのです。
*************************************
スイスが自殺幇助を法的に認めている国なのは見聞した覚えが在るけれど、同国を訪れる外国人にも同等の権利を認めているというのは初めて知った。一時期、近しい人間を病で次々に失った事も在り、自分にとって「生と死」は決して遠い存在では無い。だからこそ「生と死」に関連した記事を、過去に何度か書いて来た。
父親もそうだが、「生きたくても生きられなかった人達」を少なからず見送って来た経験からすると、自ら命を絶つ行為は“原則的に”肯定出来ない。しかし「安楽死」という記事で記した様に、癌でのたうちまわり乍ら亡くなった祖母の姿を思うと、「完治の見込みが全く無く、且つ継続的な苦痛を伴う病に罹患した患者に限っては、安楽死を認めて上げたい。」という気持ちも在る。「患者を何とかして生かそうとするブラック・ジャック」と「不治の病に苦しむ患者を安楽死させるドクター・キリコ」と同じ鬩ぎ合いが、自分の心の中にも在るのだ。
死期が迫っているのなら、苦しみながら(肉体的にはもちろん、精神的にも)、ただ医療技術によって生き伸ばされるよりも。
本人の意思で有意義に過ごせるなら、例え1ヶ月1週間でも、医療技術で伸ばせる命は延ばしてほしい。
しかし、ただどれだけ生きさせられるか、その技術を競うかのごとき医療実験のモルモットにはなりたくないという意味で。
「人間らしく生きる」というのも人其れ其れに考え方が違う訳で、自分の考える「人間らしく生きる」という在り方も、人によっては「其れはおかしい。」と思われる場合も在るとは理解しているのですが、兎にも角にも自分なりに「人間らしく生きる」という「形」が破綻している場合には、自分も「安楽死」(又は「尊厳死」)は肯定。完治する可能性がほぼ無く、苦しみ乍ら「生かされているだけ」というのは、見ていて非常に忍びないし。