ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

“クリエーターの人間性”が“作品の価値”に影響を及ぼしているとか

2023年05月22日 | 時事ネタ関連

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ピカソの作品価格が落ちている訳-時代の“再評価”が始まった」(5月14日、クーリエ・ジャポン

生涯で何人もの女性と関係を持ち、其のスキャンダラスな私生活でも知られる画家パブロ・ピカソ。ジェンダー問題に敏感な現代社会は、此の天才をも「再評価」し様としている。

其の破天荒な人柄や女性に対する振る舞いが、彼の作品の価格に影響を与えた事は無かった。だが、状況は変わりつつ在る。スペインエル・パイス」は、「アート情報サイトMutualart.com』に於けるピカソの作品価格に“疲労感”が見られるとし、彼の歴史の中で前例が無い事だ。」と報じた。

2023年4月(2023年1月~4月)に、オークションに出品されたピカソの作品は1,798作在る。其の内の55.2%に買い手が付き、合計の落札金額は9,700万ドル(約130億だった。過去の例を見ると、2022年の落札金額の合計は約5億1,100万ドル(約688億円)。2021年は年間で5,522作が出品され、73%近い4,001作の売買が成立し、落札金額の合計は6億6,700万ドル(約898億円)に及んだ。紙は此の数字を下落兆しと見ているが、同時に、「残り8ヶ月の伸びを見る必要が在る。」と慎重な姿勢も見せる。

とは言うものの、暗い影が見え隠れしている。エコノミスト」誌によると、1999年以降、ピカソの作品の価格は、同時代の他作家の2倍の速さで上昇していた。然し2023年に入り、価格は下落している。但し、オークション全体の平均価格もだ。Mutualart.comによると、今年オークションで落札された作品の平均価格は3,776ドル(約50万円)で、2022年の4,401ドル、2020年の5,252ドルと比べても低い

ピカソ作品の価格の低下に付いて、幾つかの原因が考えられる。エル・パイスは、此の世界的な危機の時代に、コレクターが所有作品を手放す事に弱腰で在る事、加えて、ピカソの私生活への疑問を要因挙げる。エコノミストも同様に、ピカソの女性に対する「下劣な振る舞い」と、「現代の芸術家へのピカソの影響力の低下」を指摘する。

没後50年に当たる2023年、美術館関係者だけで無く世間でも、時に暴君的とも言える、女性達へのピカソの行動に批判が高まっている。エコノミストは、サルヴァバドール・ダリバルテュスも含めた著名な芸術家の作品も、彼等のプライヴェートでの振る舞いによって、批評家やコレクターの目から価値が失われてしまったとし、世界各地で開催される没後50周年の展覧会何の様に受け止められるのか、コレクターの不安を伝える。

他方で、スペイン・マドリードに在るソフィア王妃芸術センターの前館長マヌエル・ボルハ=ヴィレルは、「長期的に、ピカソの重要性が薄れて行くとは思えない。」とエル・パイスの取材に語る。

ボルハ=ヴィレルの読みは正しいのだろうか。今後のピカソの立ち位置は、此れから開催されるオークションの結果で明らかになるだろう。
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日本では著名人が犯罪行為で逮捕されると、其の人物に関係する物がどどっと“封印”されるケースが少なく無い。例えば俳優が逮捕されると、彼(乃至は彼女)が出演していたTV番組映画等が“御蔵入り”に。「作品と出演者の行状を、100%リンクさせるのはどうなのかなあ?」という思いも在るが、其れが日本の現実だ。

其の作品が描かれた時代にもよるが、ピカソの作風には基本的に魅了されない。でも、少なからずの人が高く評価しているのだから、凄い芸術家なのだろう。

「芸術家と呼ばれる人には“概して”変人が少なく無く、其の行状には眉を顰めてしまう様な事も多々在る。」と言われたりする。ピカソも、其の例外では無いだろう。だが、時代によっては「其の変人振りが在ったからこそ、作品に深みが出ている。」なんぞともて囃される事も在れば、現代の様に「其の行状が好ましく無いクリエーターの作品は、高く評価すべきでは無い。」という時代も在るのだなあと、元記事を読んで感じた。


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Unknown (悠々遊)
2023-05-24 15:19:41
作品と創作者の人間性(思想信条行状発言等)は分けて評価すべき、という考え方がある一方で、不可分であるという考え方もありますね。
どちらも正論なのでしょうが、例えば極右思想で歴史修正主義者で知られる作家の小説が、たとえ世間で高評価を受けていても(作品内容が作家の思想を反映しているわけでないとしても)私は読む気にはなれません。
これは私の中に偏見があるせいなのでしょう。
その作家の思想信条を知らずに作品だけに接していたら、評価は変わっていたかもしれないと思うと、これは現在という時代をその作家と共有しているゆえの事だとも思えてきます。

一方で、過去の時代の物事を現在の時代の物差しで評価することの危うさも感じます。
こちらのブログ記事でいえばピカソの行状で作品の価値が評価されるかもという例。
ピカソの生きた時代はそれまでと同じように男尊女卑が、程度の差はあれ「当たり前にまかり通っていた」時代であり、逆に現在のような「ジェンダーフリー」などという考えを示そうものなら変人扱いされたであろう時代。
そんな時代の空気の中を生きた作家を、現在の基準で評価するのはフェアじゃないと思うんですよ。
例えば現在、ほとんどの人たちが「当たり前の事」として思考し行動していることが、100年後の未来ではとんでもなく不道徳なこととして断罪されるかもしれない。
その時、私たちはそれを「そのことに思い至らなかった不明」として恥じる必要はあっても、だからといって未来の尺度で断罪されることは不当だとも思うでしょう。
過去の経験の積み重ねの上でそれが「不道徳」なこととして認識されたわけで、ごく単純に比喩すれば「あと出しじゃんけんで負けたようなもの」だから。
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>悠々遊様 (giants-55)
2023-05-24 17:40:15
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

今回の悠々遊様の御考え、凄く理解出来ます。と言うのも、自分も同じ考えだからです。

作家の百田尚樹氏が文才の在る方だというのは認めていますし、「永遠の0」等、心打たれる作品も生み出されている。だからこそ、“以前は”彼の作品が上梓されると、全てを読み漁っていました。

でも、「安倍元首相の言動は全て、無条件で正しい。」といった感じの主張や極右的な言動が余りも酷くなり、自身の考えと少しでも異なる者に対する野卑な罵倒をするに到っては、「あんな良い文章を書いていても、中身は薄っぺらい人なんだな。幾ら『作品と書き手の人間性は別物。』とはいえ、此処迄酷いと作品自体が噓臭く思えてしまう。」と感じる様になり、「自分の考えとは相容れないリベラル派及び左派は愚民で在り、どんなに汚い言葉で詰っても構わない。」という思いをアピールしたいが為だけに上梓した(としか思えない)彼の「カエルの楽園」(https://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/a0963e4368746eb70708800896a54943)で、完全に”見切り”を付けました。

どんな主義&主張を持とうが、明々白々に違法だったり、他人様に迷惑が掛からないので在れば、其れは全くの自由。でも、仮に異なる主義&主張で在っても、相手に対する最低限の敬意は必要。そんな物が欠片も感じられなくなった百田氏なので、彼の作品を読む事はもう無いでしょう。

「(特定の)時代の空気の中を生きた作家を、現在の基準で評価するのはフェアじゃ無い。」、此れも同感です。今は差別表現とされるのですが、嘗ては「盲(めくら)」という言葉が普通に使われていました。でも、今は「目の不自由な人」等に置き換えなければいけない。個人的には「『盲』という言葉を使っても、全く差別的な意識が無い人も居れば、逆に『目の不自由な人』という言葉を使っても、心の中では差別意識で一杯の人も居るだろうに。」と思ってしまう訳ですが、「盲」という言葉が普通に使われていた時代に生み出された名作が、時代が変わって「『盲』という言葉は差別的なので、作品自体も許せない!」とされてしまうのは違うと思うんです。

では、「百田氏と彼の作品も同じでは?」という疑問を持たれる方も居られるでしょう。「“今を生きているクリエーター”と“過去を生きたクリエーター”とでは、“判断基準”は自ずと変わるのではないか?」というのが、自分なりの答えです。
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