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小規模なテロが頻発する様になった日本。一つ一つの事件は単なる無差別殺人の様だが、実行犯達は一様に、自らの命を擲って、冷たい社会に抵抗する“レジスタント”と称していた。彼等は所謂「貧困層」に属しており、職場や地域に居場所を見付けられないという共通点が見出せるものの、実生活に於ける接点は無く、特定の組織が関与している形跡も無かった。何時しか人々は、犯行の方法が稚拙で計画性も無く、其の規模も小さい事から、一連の事件を“小口テロ”と呼び始める。
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近年はユーモラスな作品も手掛けているが、貫井徳郎氏の小説の魅力は、初期の頃の「重いテーマを扱い、読後感が非常に暗い作風。」に在ると思っている。そういう点が苦手な人には苦手なのだろうけれど、少なくとも自分は結構好きだったりする。今回読了した同氏の「私に似た人」は、初期の作品を思わせる作風だ。
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「そんな事、少なくとも猪原さんは信じていない癖に。此れは新しい形のテロなんですよ。組織なんて古臭い物は、背後に居ませんって。テロの実行犯は相互に繋がりが無く、黒幕同士さえも面識が無い。関係が希薄な者達が、時代の空気に背中を押されたんだか追い詰められたんだかして起こしているのが≪小口テロ≫なんです。(後略)」。
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貧困層に属する人達を相手に、ネット上で「トベ」と名乗る人物が「貴方達が不幸なのは、貴方達が悪いのでは無い。貴方達を不幸にしている社会が悪いのだ。」と“小口テロ”を使嗾。どういう理由で在れ、全く無関係な人達を殺傷する等のテロ行為は許されないし、自身の不幸を社会の所為にする様な安直さは好きじゃない。でも、そんな自分でさえも「トベ」の主張に心動かされてしまう部分は正直在るし、「『トベ』の様な使嗾者によってテロが続発する社会というのは、決して遠い未来では無い様にも思えてしまう。」所が、今の日本が抱えている“病巣”なのかもしれない。
ネタバレになってしまうけれど、「『トベ』として逮捕された人物が、実は別の『トベ』に使嗾され、『トベ』の後継者として他者を使嗾していた。」という状況が判明する。「トベ」の手法に否定的な思いを持ち乍らも、結局は「トベ」の影響下から逃れられない人も居たりと、此の小説を読んで感じたのは、「善意の人で在っても、否、善意の人で在るからこそ、トベの様な使嗾者に成り得てしまう。」という怖さだった。
特に印象に残った章は、「川渕政昭の場合」と「奈良坂俊和の場合」。前者は何とも言えない虚脱感が、そして後者は憐憫の情と遣り切れ無さが、“澱”として心に残る。
最終章の「片倉亮の場合」の最後では、「暗闇の中に灯る小さな明かり」が在るのだけれど、全体を通して言えば、陰鬱感と遣り切れ無さが溢れた作品。でも、今の日本が抱える問題点を見詰め直すという点では、読み応えが在った。
苦手な人には苦手な作風だろうが、総合評価は星4つとする。
「朝鮮人を皆殺しにしろ!」等、常軌を逸した野卑な言葉を投げ掛ける組織“在特会”は、「国籍による区別を主張する物で、集会、表現の自由で在る。」と主張しているとか。では、彼等は自分や自分の家族に対して「日本人を皆殺しにしろ!」等と言われても、集会や表現の自由だから、問題無し。」と言えるのだろうか?
又、ヘイト・スピーチをしている連中に不快感を持つのは理解出来るけれど、そういう連中に対して野卑な言動をし返している連中も同類。
ヘイトさんを“見捨てた社会”に憤りを覚えるのは判るけれど、だからと言って何の罪も無い人達を殺傷するのでは、上記した連中と一緒。トベのした行為を、ヘイトさんが喜ぶとは到底思えない。
唯、「悪意の塊の様に思えた人物が、抑々は悪意の塊では無く、寧ろ善意の人だった。」というのは、読者に問題提起する部分が多い様に、個人的には感じました。