「冬のソナタ」は全く見た事が無いのだが、このドラマに出演していた役者の名前は3人だけ知っている。ペ・ヨンジュン氏、チェ・ジウさん、そしてパク・ヨンハ氏。韓国ドラマに全く関心の無い自分ですらその名前を知っているのだから、我が国で彼等の事を全く知らない人は少数派に属していると言っても良いのではないか。それ程有名な韓流スターのパク・ヨンハ氏が、自宅で首吊り自殺で亡くなった。「末期癌の父親の看病疲れ。」、「事業立ち上げのストレス。」、「信頼していたマネージャーとの金銭トラブル。」等々、自殺に到った理由は幾つか挙がっているが、「親の看病疲れ」だったとすると「昨年の清水由貴子さんの悲劇」とオーヴァーラップして遣り切れない思いになる。此処ずっと年間の自殺者数が3万人を超える我が国だが、こちらのデータを見ると「10万人当たりの自殺率は日本の24.4人に対し、韓国は21.9人。」と結構な高さ。特に近年は有名人の自殺が相次いでいる事も在って、彼の国の人々に「自殺」は重く伸し掛かっっている事だろう。
昨日、パク・ヨンハ氏の葬儀が執り行われ、その模様がニュース番組等で取り上げられていた。日本から駆け付けたファンと思しき人々も結構見受けられたのだが、棺が運び出された際に違和感を覚える光景が。号泣し乍らも、片手に持った携帯電話で棺等をバシャバシャと連写しているファンが何人か居たのだ。哀しい思い出を写真で記録しておきたいのかもしれないけれど、マスメディアの人間ならいざ知らず、大好きな人の葬儀でああも写真を撮り捲るというのが個人的には凄く不思議。
林家ペー氏並みに写真を撮るのが大好きな人が親戚に居る。自分が子供の頃よりその人は良く写真を撮っていたのだが、結婚式の様な慶事の場は良いのだが、弔事の場でもバシャバシャ写真を撮るのには閉口するばかりだった。三回忌の様に遺族の哀しみが薄れて来た場なら未だ我慢出来るが、亡くなったばかりの葬儀の席で写真を撮り捲られる、それも焼香している所を間近で撮られたりするのが堪らなく嫌だった。パク・ヨンハ氏の葬儀の場で連写していた人達からすると、何とも思わない事なのかもしれないが・・・。
昨日、パク・ヨンハ氏の葬儀が執り行われ、その模様がニュース番組等で取り上げられていた。日本から駆け付けたファンと思しき人々も結構見受けられたのだが、棺が運び出された際に違和感を覚える光景が。号泣し乍らも、片手に持った携帯電話で棺等をバシャバシャと連写しているファンが何人か居たのだ。哀しい思い出を写真で記録しておきたいのかもしれないけれど、マスメディアの人間ならいざ知らず、大好きな人の葬儀でああも写真を撮り捲るというのが個人的には凄く不思議。
林家ペー氏並みに写真を撮るのが大好きな人が親戚に居る。自分が子供の頃よりその人は良く写真を撮っていたのだが、結婚式の様な慶事の場は良いのだが、弔事の場でもバシャバシャ写真を撮るのには閉口するばかりだった。三回忌の様に遺族の哀しみが薄れて来た場なら未だ我慢出来るが、亡くなったばかりの葬儀の席で写真を撮り捲られる、それも焼香している所を間近で撮られたりするのが堪らなく嫌だった。パク・ヨンハ氏の葬儀の場で連写していた人達からすると、何とも思わない事なのかもしれないが・・・。
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いくら敬愛するスターのファンとはいえ、あの葬儀に行ってるおばさんたちは、よほど金とヒマをもてあましている人たちですね。あのおばさんたちのダンナはよくOKしたものです。
私も、先日友人の葬儀に参列しましたが、時間的にも経済的にも、キツイ状態の私たち一般の貧乏人にとっては、親しい友人の葬儀に参列するのも大変で、どうしても故人の死を悼みたいから、万障を繰り合わせて参列したしだいです。
お世話になりご縁がある人でも、遠方の人ならば、断腸の思い出不義理したりします。
そんな私にとって、違和感のあるニュースでしたね。
50年ぐらい前の葬式の写真とかだと結構記録的価値があるのですが(当時のとある農村では喪服を着ている人が皆無だったりする)、今のシステマチックな葬儀ではあまり意味がないように思います。
>10万人
韓国の人口は日本より少ないですから、結構大きい数字ですね。
ところで、ばばこういちさんについてこんなコラムを見つけました。ご存知かもしれませんが、紹介しておきます。
http://kunyon.com/shucho/100621.html
まあ「いわゆる」を「所謂」と書くなどという「何でも漢字で書けばかっこいい」と思い込んでいる痛い厨二病末期患者がやることをやってないだけマシに見えますけどね^p^
自分自身の御金で行ってるのでしょうし、普段は家族の為に家事に勤しんでいる中で数日を訪韓に当てている方も居られるでしょうから、十把一絡げで「何だかなあ。」と思ってしまうのはいけないと思いつつ、日々数百円のランチで済ませる等カスカスの生活を送っている御父さん達が居る一方で、近所のママ友と豪華なランチを食している御婦人達を目にしてしまうと、雫石様の様に感じてしまう気持ちは自分にも正直在ったりします。この辺の感覚は、男性と女性とでは違ったりするのかもしれませんね。
葬儀の際の集合写真、自分もこれは違和感を覚えます。数年経った時にこの写真を見て、「嗚呼、この時は・・・。」と懐かしむ要素も在るのかもしれないけれど、結婚式の様な慶事なら判るのですが、弔事の集合写真で懐かしむというのは今一つピンと来なくて。まあ、そもそも写真に撮られるのが苦手というのも、自分の場合には在るのだけれど。
ばばこういち氏の記事、御紹介戴き有難う御座いました。書いておられる鈴木邦男氏は所謂「新右翼」と呼ばれる方ですが、極右と呼ばれる方達に在り勝ちな「唯一無二的な思考」では無く、「柔軟でリベラルな思考」には常々共感を覚えています。(個人的には右翼的思想に相容れない事が多いのだけれど、彼の主張には納得出来る部分が結構在るので。)そういった方からも高く評価されたばば氏というのは、改めて凄い人だったのだなあと思った次第。妬み多き自分なんぞは、彼の爪の垢を煎じて飲まなければいけなかった。
当ブログでは、意図的に漢字を多用しています。と言うのも、個人的に漢字が好き(その形状の美しさが好き。)というのも在るのですが、自身の幼少時の経験から敢えて多用。子供の頃の自分は生意気に大人向けの小説を読んだりしていたのですが、当然乍ら読めない漢字や意味の判らない言葉が一杯載っている。「どういう意味なんだろう?」と辞書を引き引き読み進めた事で、本に対してより親近感を覚えたし、判らない漢字や言葉が減って行く事の楽しさみたいな物も感じたりしました。
本を余り読まない子が増えていると言われる昨今、「難しい漢字や意味の判らない言葉が出て来たから、もう嫌!」と本を放り出してしまっている子も少なくないのではないかと常々自分は思っていました。「自分が体験したスタイルで、少しでも本を読む面白さに目覚めてくれたら良いなあ。」という思いから、敢えて漢字を多用し、クリックすればその意味合い等が判るようにしている点を御理解戴けると幸いです。
御金を払って本を購入して貰うというプロの作家の場合は、読者の読み易さというのを最優先に考えなければいけないでしょう。ブログも読み易さを最優先した方が良いのは判っているのですが、上記した自身の強い思いが在るので、この点だけは申し訳無いけれど「運営者の我儘」を押し通させて貰いたいんです。(以前、「強調する文字に黄色を使われると読み難い。」等の御要望が在った際には、それを改めさせて貰っており、あくまでも漢字の多用だけは運営者の我儘として許して戴きたいと。)
今後とも何卒宜しく御願い致します。
ブログは原則的に誰でも見られる場所で在りますから、「此処は俺の場所なので、何を書いても勝手なのだ。」というのは当て嵌まらないし、多くの人に読んで貰いたいからには読み易さの配慮もしなければいけないとは思っています。でも、だからと言って全面的に阿る必要は無いし、管理者の拘りが在ってこそそのブログの特徴が出ると考えていますので、当ブログに於いては「漢字」という物に拘って行きたいと。