音楽に纏わる話を、脈絡無く書き連ねてみたいと思う。
当ブログでは過去に何度か、「自分は、『音楽を常に聞いている。』という生活をして来なかった。」という趣旨の事を書いた。なのに、「阿久悠氏や松任谷由実さん、中島みゆきさん、岩谷時子さん、小林亜星氏、古関裕而氏、永六輔氏、平尾昌晃氏、いずみたく氏、渡辺宙明氏、菊池俊輔氏、冬木透氏、千家和也氏、浜口庫之助氏、筒美京平氏、松本隆氏、なかにし礼氏、古賀政男氏、服部良一氏、川内康範氏、宮川泰氏、中村八大氏、都倉俊一氏、吉田正氏、桑田佳祐氏、そしてさだまさし氏と、“昭和の歌謡界”を牽引した天才的な作詞家&作曲家を取り上げて来た。」りと、音楽に関する記事を結構書いている。
矛盾している様に感じられるだろうが、自分の中では全く矛盾が無いのだ。自分の世代で言えば、音楽が吹き込まれたレコードやカセット・テープ、CD、MDを買い集めたり、借り捲ったりして、自宅内だけに留まらず、(ウォークマン等で)外出先でも音楽を常に聞いている者が多かったけれど、自分はそういう事が皆無に等しかったので。
だから、「自分は、『音楽を常に聞いている。』という生活をして来なかった。」となる訳だが、だからと言って音楽が嫌いでは無く、寧ろ好き。懐メロ番組を含め、歌番組は媒体を問わずに見聞して来た。歌番組で聞いた歌、知り合いが歌っていた歌、街中で聞いた歌等を自然と覚え、口遊んで来たというのが自分なのだ。(知り合いが誤った曲調や詩で歌っていた場合は、自分も誤って覚えてしまったという事も。)
「好きな歌は?」と問われた場合、其の判断基準は人其れ其れだろう。「曲調のみで判断する。」という人も居れば、「曲調よりも、詩を優先して判断する。」という人も居る。自分の場合は、「曲調も詩も共に、重要な判断基準。」で在る。なので、曲調も詩も繊細さが際立つさだまさし氏の作品が、堪らなく好きなのだ。
さだ氏の作品で一番好きなのが「精霊流し」【動画】。「去年のあなたの想い出が テープレコーダーからこぼれています♪」で始まる名曲だが、良く良く考えてみると、今の若い子の中には「テープ・レコーダーが何なのか?」自体を知らない人も居るのではなかろうか。そうなると、「テープ・レコーダーからこぼれるって、どういう意味?」という事になりそう。
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音楽の教科書から童謡や文部省唱歌が消えて行っている。自分が子供の頃に載っていて、口遊む事が多かった物達だ。「村の鍛冶屋」【動画】もそんな1つで、「鍛冶屋が激減し、彼等が作業場で槌音を立てて働く光景を、児童が想像するのが難しくなったから。」というのが、教科書から消えた理由らしい。消えて行った理由の多くは、こういった「歌われている光景を最近見掛けなくなり、児童が想像するのが難しくなったから。」というのが殆ど。
(中略)
「歌われている光景を最近見掛けなくなり、児童が想像するのが難しい。」と言うので在れば、「どういう光景なのかを教える。」のも教育ではないか?「児童が判らないから、教えない。」というのは、本末転倒だと思う。
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去年の記事「消えて行く一方」の中から抜粋した内容だが、「テープ・レコーダーを知らない子が多いので、『精霊流し』を取り上げるのは控える。」なんて事になったら、とても嫌だ。
「聞いたり歌ったりする度に、滂沱してしまう歌。」というのが、自分には両手に余る程存在する。何度聞いても、何度歌ってもだ。「あゝモンテンルパの夜は更けて」【歌】もそんな1つで、「此の歌にどういう背景が在るのかを知っている。」だけに、聞いたり歌ったりしていて涙が止まらなくなる。