****************************
「新たな友情誓う-ハワイで日米元兵士が親善野球」 【19日、共同】
太平洋戦争で戦った日米の元兵士等による親善野球試合が19日(日本時間20日)、ハワイ・ホノルル近郊で行われる。元特攻隊等で構成する日本チームは平均年齢約80歳。銃をバットに持ち替えての日米対戦だが、双方の参加者は「新たな友情を築きたい。」と誓い合っている。
親善試合は米フロリダ州セントピーターズバーグの75歳以上で作る野球チームから昨年末、提案が在った。東京の特定非営利活動法人(NPO法人)が窓口となって参加者を募集、宮城県から大分県迄の74~85歳の19人が今回、ハワイ遠征した。チームの名誉監督には、ハワイ出身で元プロ野球中日監督の与那嶺要(よなみね・かなめ)氏を迎えた。
香川県高松市一宮町の松本敏行さん(80歳)は戦時中、広島県呉市沖の瀬戸内海で、爆薬を付けた棹で米軍の船を海中から突いて沈める訓練を受けた。戦後、刑務所に勤務し、受刑者にソフトボールを指導する等して野球と関って来た。
海外旅行は初めてという松本さんは「銃をバットに持ち替えるとかそういう意識は無い。親善を深める事が第一です。」と話す。
日米両チームは18日、それぞれハワイ州のシニア選抜チームと対戦。応援で盛り上がるスタンドには元プロ野球阪神の掛布雅之氏の姿も。両チーム共、19日の対戦を前にウオーミングアップに余念がなかった。
****************************
この報道によると、昨日、日米元兵士等が親善野球を行った事になる。敵として戦った者同士が、60有余年の時を経て野球に興じる。平和な世の中に在る事の幸せを感じると共に、ハワイ&日本の両方に縁が深い与那嶺氏(初代「燃えよドラゴンズ!」に登場する選手&首脳陣で、御存命中の人物の中では最高齢の82歳。)が名誉監督というのも嬉しい。
過去の憎しみが氷解して行く世界が在る一方で、消えぬ憎しみが存している世界も在る。「週刊新潮(12月13日号)」に「『南米』舞台に元ナチ追跡の『ラストチャンス』」という記事が載っていた。アメリカに本拠を置く「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は、嘗て数多のユダヤ人を惨殺した逃亡中のナチ戦犯達を今も追跡している。2002年からは「戦犯達が高齢を迎えた今、これが最後のチャンス。」という意味を込めた「ラストチャンス作戦」を展開中。
ニュルンベルク軍事裁判では空軍総司令官のヘルマン・ゲーリングに死刑、総統代理のルドルフ・ヘスに終身刑の判決が下される等、ナチ要人22名が裁かれた。しかし、元ナチ幹部や大勢の元親衛隊は国外逃亡をしている。11月27日、サイモン・ウィーゼンタール・センターはアルゼンチンで記者会見し、収容所で人体実験を繰り返し、「死の医師」と呼ばれたアリベルト・ハイム(93歳)が、幾つかの証拠からアルゼンチンかチリに潜伏していると発表。彼は同センターが最重要戦犯リストの第2位に挙げている人物で、ドイツ&オーストリア両政府共に、31万ユーロ(約5千万円)の懸賞金で情報を募って来た。
或る国際ジャーナリストは「南米は元ナチ幹部の逃亡先として有名で、数万人の親衛隊メンバーが逃亡したという説さえ在る。1960年にブエノスアイレスで捕まった元親衛隊中佐のアドルフ・アイヒマンが有名で、1962年にイスラエルで絞首刑になっている。昨年にはチリで84歳の元衛生兵が別件で逮捕され、彼が築いた巨大な”ドイツ人コロニー”が注目を浴びた。アルゼンチンにもドイツ移民社会が在り、ハイムが両国に潜伏していても不思議では無い。」と語っている。
尚、戦犯リストの第1位は、13万人を収容所に送り込んだ元親衛隊大尉(95歳)で、シリア在住。3位の人物(87歳)はポーランドで取調べ中。4位&9位の両名は2004年、ラストチャンス作戦で消息が判明し、1人は身柄を拘束され、もう1人は国際手配されているとか。
戦争は未だ終わっていないのだ・・・。
「新たな友情誓う-ハワイで日米元兵士が親善野球」 【19日、共同】
太平洋戦争で戦った日米の元兵士等による親善野球試合が19日(日本時間20日)、ハワイ・ホノルル近郊で行われる。元特攻隊等で構成する日本チームは平均年齢約80歳。銃をバットに持ち替えての日米対戦だが、双方の参加者は「新たな友情を築きたい。」と誓い合っている。
親善試合は米フロリダ州セントピーターズバーグの75歳以上で作る野球チームから昨年末、提案が在った。東京の特定非営利活動法人(NPO法人)が窓口となって参加者を募集、宮城県から大分県迄の74~85歳の19人が今回、ハワイ遠征した。チームの名誉監督には、ハワイ出身で元プロ野球中日監督の与那嶺要(よなみね・かなめ)氏を迎えた。
香川県高松市一宮町の松本敏行さん(80歳)は戦時中、広島県呉市沖の瀬戸内海で、爆薬を付けた棹で米軍の船を海中から突いて沈める訓練を受けた。戦後、刑務所に勤務し、受刑者にソフトボールを指導する等して野球と関って来た。
海外旅行は初めてという松本さんは「銃をバットに持ち替えるとかそういう意識は無い。親善を深める事が第一です。」と話す。
日米両チームは18日、それぞれハワイ州のシニア選抜チームと対戦。応援で盛り上がるスタンドには元プロ野球阪神の掛布雅之氏の姿も。両チーム共、19日の対戦を前にウオーミングアップに余念がなかった。
****************************
この報道によると、昨日、日米元兵士等が親善野球を行った事になる。敵として戦った者同士が、60有余年の時を経て野球に興じる。平和な世の中に在る事の幸せを感じると共に、ハワイ&日本の両方に縁が深い与那嶺氏(初代「燃えよドラゴンズ!」に登場する選手&首脳陣で、御存命中の人物の中では最高齢の82歳。)が名誉監督というのも嬉しい。
過去の憎しみが氷解して行く世界が在る一方で、消えぬ憎しみが存している世界も在る。「週刊新潮(12月13日号)」に「『南米』舞台に元ナチ追跡の『ラストチャンス』」という記事が載っていた。アメリカに本拠を置く「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は、嘗て数多のユダヤ人を惨殺した逃亡中のナチ戦犯達を今も追跡している。2002年からは「戦犯達が高齢を迎えた今、これが最後のチャンス。」という意味を込めた「ラストチャンス作戦」を展開中。
ニュルンベルク軍事裁判では空軍総司令官のヘルマン・ゲーリングに死刑、総統代理のルドルフ・ヘスに終身刑の判決が下される等、ナチ要人22名が裁かれた。しかし、元ナチ幹部や大勢の元親衛隊は国外逃亡をしている。11月27日、サイモン・ウィーゼンタール・センターはアルゼンチンで記者会見し、収容所で人体実験を繰り返し、「死の医師」と呼ばれたアリベルト・ハイム(93歳)が、幾つかの証拠からアルゼンチンかチリに潜伏していると発表。彼は同センターが最重要戦犯リストの第2位に挙げている人物で、ドイツ&オーストリア両政府共に、31万ユーロ(約5千万円)の懸賞金で情報を募って来た。
或る国際ジャーナリストは「南米は元ナチ幹部の逃亡先として有名で、数万人の親衛隊メンバーが逃亡したという説さえ在る。1960年にブエノスアイレスで捕まった元親衛隊中佐のアドルフ・アイヒマンが有名で、1962年にイスラエルで絞首刑になっている。昨年にはチリで84歳の元衛生兵が別件で逮捕され、彼が築いた巨大な”ドイツ人コロニー”が注目を浴びた。アルゼンチンにもドイツ移民社会が在り、ハイムが両国に潜伏していても不思議では無い。」と語っている。
尚、戦犯リストの第1位は、13万人を収容所に送り込んだ元親衛隊大尉(95歳)で、シリア在住。3位の人物(87歳)はポーランドで取調べ中。4位&9位の両名は2004年、ラストチャンス作戦で消息が判明し、1人は身柄を拘束され、もう1人は国際手配されているとか。
戦争は未だ終わっていないのだ・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pen.gif)
「同胞が被った事を他民族に対して行っている」というのは自分も説得力が無いと思います。唯、自分の身内が惨殺されたとしたら、それを為した人物を到底許す事は出来ないし、それこそ地の果て迄も追い掛け&とっ捕まえて、同じ目に遭わしてやりたいという気持ちは理解出来ます。「憎悪によって為された殺戮は、新たな殺戮を生み出すだけ」というのも確かだと思うのですが、これも自分の身に置き換えてみると、果たして自分を律する事が出来るか非常に難しいというのが本音。
言えのは「過去の怨念を遡って行っても限が無い。」という事。800年も前の元寇に付いて、「御前達の先祖が我々の先祖を惨殺したのだから謝罪しろ!」と中国や韓国に主張するのが非現実的な様に、例え遡って恨み言を言うにしても、一定限度迄の遡りに止めるべきで在ると思います。
昭和27年。名古屋で中日2軍と海軍米兵らと親善野球試合をしています。その中日2軍の投手に近藤貞雄さんがいたらしい。
元名古屋人にして1974年にドラゴンズが2度目の優勝を決めた際には、板東英二氏の歌った「燃えよドラゴンズ!」を良く口ずさんでいた自分。今でも空で歌える程、この歌は大好きです。そんな思い入れも在って2年前に「『燃えよドラゴンズ!』 ~あの選手達の今~」なる記事(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/a002b69ec9c8c7c8086ccdef404d5a17)を書いたのですが、与那嶺氏と言えば今でもドラゴンズ監督というイメージが強いです。
あの曲で「近藤コーチの作戦に♪」と歌われた近藤貞雄氏が、アメリカ海兵等との親善試合に2軍の投手として参加していたんですね。そんな彼も鬼籍に入られて、もう2年経つんですね・・・。
今後とも何卒宜しく御願い致します。