ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

消えぬ憎しみ

2007年12月21日 | 時事ネタ関連
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新たな友情誓う-ハワイで日米元兵士が親善野球」 【19日、共同

太平洋戦争で戦った日米の元兵士等による親善野球試合が19日(日本時間20日)、ハワイホノルル近郊で行われる。元特攻隊等で構成する日本チームは平均年齢約80歳。銃をバットに持ち替えての日米対戦だが、双方の参加者は「新たな友情を築きたい。」と誓い合っている。

親善試合はフロリダ州セントピーターズバーグの75歳以上で作る野球チームから昨年末、提案が在った。東京特定非営利活動法人(NPO法人)が窓口となって参加者を募集、宮城県から大分県迄の74~85歳の19人が今回、ハワイ遠征した。チームの名誉監督には、ハワイ出身で元プロ野球中日監督の与那嶺要(よなみね・かなめ)氏を迎えた。

香川県高松市一宮町の松本敏行さん(80歳)は戦時中、広島県呉市沖の瀬戸内海で、爆薬を付けたで米軍の船を海中から突いて沈める訓練を受けた。戦後、刑務所に勤務し、受刑者にソフトボールを指導する等して野球と関って来た。

海外旅行は初めてという松本さんは「銃をバットに持ち替えるとかそういう意識は無い。親善を深める事が第一です。」と話す。

日米両チームは18日、それぞれハワイ州のシニア選抜チームと対戦。応援で盛り上がるスタンドには元プロ野球阪神掛布雅之氏の姿も。両チーム共、19日の対戦を前にウオーミングアップに余念がなかった。
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この報道によると、昨日、日米元兵士等が親善野球を行った事になる。敵として戦った者同士が、60有余年の時を経て野球に興じる。平和な世の中に在る事の幸せを感じると共に、ハワイ&日本の両方に縁が深い与那嶺氏(初代「燃えよドラゴンズ!」に登場する選手&首脳陣で、御存命中の人物の中では最高齢の82歳。)が名誉監督というのも嬉しい。

過去の憎しみが氷解して行く世界が在る一方で、消えぬ憎しみが存している世界も在る。「週刊新潮(12月13日号)」に「『南米』舞台に元ナチ追跡の『ラストチャンス』」という記事が載っていた。アメリカに本拠を置く「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は、嘗て数多ユダヤ人を惨殺した逃亡中のナチ戦犯達を今も追跡している。2002年からは「戦犯達が高齢を迎えた今、これが最後のチャンス。」という意味を込めた「ラストチャンス作戦」を展開中。

ニュルンベルク軍事裁判では空軍総司令官のヘルマン・ゲーリングに死刑、総統代理のルドルフ・ヘスに終身刑の判決が下される等、ナチ要人22名が裁かれた。しかし、元ナチ幹部や大勢の元親衛隊は国外逃亡をしている。11月27日、サイモン・ウィーゼンタール・センターはアルゼンチンで記者会見し、収容所で人体実験を繰り返し、「死の医師」と呼ばれたアリベルト・ハイム(93歳)が、幾つかの証拠からアルゼンチンかチリに潜伏していると発表。彼は同センターが最重要戦犯リストの第2位に挙げている人物で、ドイツオーストリア両政府共に、31万ユーロ(約5千万円)の懸賞金で情報を募って来た。

或る国際ジャーナリストは南米は元ナチ幹部の逃亡先として有名で、数万人の親衛隊メンバーが逃亡したという説さえ在る。1960年にブエノスアイレスで捕まった元親衛隊中佐のアドルフ・アイヒマンが有名で、1962年にイスラエルで絞首刑になっている。昨年にはチリで84歳の元衛生兵が別件で逮捕され、彼が築いた巨大な”ドイツ人コロニー”が注目を浴びた。アルゼンチンにもドイツ移民社会が在り、ハイムが両国に潜伏していても不思議では無い。」と語っている。

尚、戦犯リストの第1位は、13万人を収容所に送り込んだ元親衛隊大尉(95歳)で、シリア在住。3位の人物(87歳)はポーランドで取調べ中。4位&9位の両名は2004年、ラストチャンス作戦で消息が判明し、1人は身柄を拘束され、もう1人は国際手配されているとか。

戦争は未だ終わっていないのだ・・・。

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7 コメント

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目には目をですかね (マヌケ)
2007-12-21 13:01:53
ユダヤの人たちの執念と言いますか、復讐心の強さは私には理解できない部分があります。 現実には、ナチスから受けた仕打ちとオナジコトを今ではパレスチナの占領地で貧しい人たちに向けて行っています。 キリストを裏切って以来、ヨーロッパでもロシアでも忌み嫌われ、自分たちだけのコミュニティーに閉じこもり、金貸しで儲け、医師や弁護士、技術者、教師、芸術家、科学者、銀行家、実業家などの社会的に高い地位をいつの間にか牛耳ることで、ユダヤ人以外のコミュニティーからは脅威を抱かれる存在となっていきました。 彼らに対する偏見や差別や批判は、シェークスピアのベニスの商人のように世界中に広がったことはとても気の毒ですし、言われなき弾圧から長らく解放されることがなく、国を持たない民として放浪したつらい歴史も理解できます。 しかし、過去の怨念はさかのぼれば限がありません。 コソボ紛争でセルビア人がアルバニア人を虐殺した背景には騎馬民族の時代からの恨みがありました。 戦争犯罪を追及することの困難さは「カルラのリスト」でも見られますが、戦争そのものは犯罪ではないのに、戦争の中には犯罪が存在するという矛盾です。 戦後、学生で満員の路面電車を銃撃した米軍機のパイロットが裁かれることはありませんでした。 玉音放送後に北方領土を奪取したソビエトも裁かれませんでした。 勝者による裁きにも疑問があります。 怨念や復讐心で行動することは肯定しかねますし、イスラエルという国が国際法を無視していることも疑問です。 私たちは憎しみは新たな憎しみしか生み出さないという連鎖をアフガニスタンやイラクで十分見せられています。 長い歴史の中で醸成されたユダヤの人たちに対する偏見を取り払うためには逃亡戦犯を捕まえて処刑するのではなく、彼らに贖罪を求めることが、戦犯の口から犯罪に対する謝罪が必要なのだと思います。 異教徒は殺しても罪にならないというようなユダヤ教の経典は間違っていると思いますし、そもそも聖書の世界などSFに近いと思うくらいです。 宗教に対する偏見かもしれませんが、私はそう思います。 
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>マヌケ様 (giants-55)
2007-12-21 21:20:36
書き込み有難う御座いました。

「同胞が被った事を他民族に対して行っている」というのは自分も説得力が無いと思います。唯、自分の身内が惨殺されたとしたら、それを為した人物を到底許す事は出来ないし、それこそ地の果て迄も追い掛け&とっ捕まえて、同じ目に遭わしてやりたいという気持ちは理解出来ます。「憎悪によって為された殺戮は、新たな殺戮を生み出すだけ」というのも確かだと思うのですが、これも自分の身に置き換えてみると、果たして自分を律する事が出来るか非常に難しいというのが本音。

言えのは「過去の怨念を遡って行っても限が無い。」という事。800年も前の元寇に付いて、「御前達の先祖が我々の先祖を惨殺したのだから謝罪しろ!」と中国や韓国に主張するのが非現実的な様に、例え遡って恨み言を言うにしても、一定限度迄の遡りに止めるべきで在ると思います。
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歴史は繰り返すと言うけれど (マヌケ)
2007-12-22 00:25:39
ミロシェビッチはハーグで裁かれていますが、犯罪の立証は難しいようですね。 ピノチェトもスペインで裁かれようとしましたが、高齢でアルツハイマーとあって結局本国に送還され裁判自体が成立しませんでしたね。 ポルポトは断罪される前に病死しましたね。 責任ある地位の下に幾層にも組織があって、そのまた下に下部組織があって、殺すなとの命令がいつのまにか殺せと、真逆の命令に変ってしまっていたり、部下が勝手にやったことになっていたり。 上のほうにいる人間は自分の手を汚さないし、惨い状況を見ないので罪の重さを感じないのかもしれませんね。 ちょび髭の独裁者本人は撲滅収容所の中を見たことがなかったのでしょうね。 地下壕の中で生物の研究をされていた天皇も大空襲後の東京の本当の様子を終戦まで見たことがなかったそうです。 玉音放送を録音した技師が自決したことを知った時にとても胸を痛めたそうですが、沖縄で追い詰められた民間人が大勢自決したことも戦後まで知らされなかったそうです。 勿論、周囲の責任なのですが。 そう言えば、法廷に出廷するセルビア人司令官が暗殺された時、ゴルゴ13を想像したりしまして、民族浄化を生き延びた誰かが敵討ちを依頼したのだろうと思いました。 世界中に散ったナチスの残党を利用して諜報活動組織を作ったり、彼らの知識や技術を利用した国は多く、国家ぐるみでかくまったり、逃亡を手助けしたことが公然の事実ではあるのですが、決して明かされることはありません。 偽札の作り方や暗号作成の方法、拷問の方法などが受け継がれているということが恐ろしいですね。   
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>マヌケ様 (giants-55)
2007-12-22 00:48:11
近い内に記事としてアップする予定ですが、「戦前に首相を暗殺した人物が、戦時中に満州軍に佐官待遇で勤務し、対ソ連諜報活動に当たっていた。」そうです。建前上は日本と無関係の独立国家軍ですが、実態が日本陸軍の傀儡で在った事は広く知られている満州軍。つまり自国の首相を暗殺した人物を、自国の軍が面倒見たという事で、こういった面では天皇の意思と軍部の意思が必ずしも一致していなかった、乖離していたと言えるのかも。事程然様に、「トップが強大な権力を持ってしまうと周りがイエスマンで固まってしまい、結果的にトップが裸の王様状態になってしまう。都合の良い情報ばかりが耳に入れられ、逆に都合の悪い情報は入らない様になってしまい、下が勝手に独走してしまう。」という事”も”在るでしょうね。
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ナチスハンター (o_sole_mio)
2007-12-22 22:19:46
サイモン・ウィーゼンタール・センターという組織がナチスハンターとして活動しているというのはかなり昔に聞いたことがありますが、今なお活動しているのですね。確かに南米はナチス幹部が多数潜伏しているようですね。そういえば、ヒトラーも替え玉が2人いて、替え玉に自殺させておいて本人はUボートに乗り込んで南米に逃亡したという本を読んだことがあります。これにUFO開発が絡んでいるというものが落合信彦氏の著作でありましたが。サイモン・ウィーゼンタール・センターの執拗さは、連綿と続いたと伝えられているユダヤ苦難の歴史と共に、ナチス幹部のしたたかさに呼応したものかもしれません。
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与那嶺さん (sadakun_d)
2008-02-24 10:25:50
中日ドラゴンズ20年ぶりの優勝監督。山本まさゆき作詞作曲「燃えよ!ドラゴンズ」はいつも与那嶺監督の胴上げが歌われています。優勝投手は星野仙一だ。



昭和27年。名古屋で中日2軍と海軍米兵らと親善野球試合をしています。その中日2軍の投手に近藤貞雄さんがいたらしい。
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>sadakun_d様 (giants-55)
2008-02-24 11:08:30
初めまして。書き込み有難う御座いました。

元名古屋人にして1974年にドラゴンズが2度目の優勝を決めた際には、板東英二氏の歌った「燃えよドラゴンズ!」を良く口ずさんでいた自分。今でも空で歌える程、この歌は大好きです。そんな思い入れも在って2年前に「『燃えよドラゴンズ!』 ~あの選手達の今~」なる記事(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/a002b69ec9c8c7c8086ccdef404d5a17)を書いたのですが、与那嶺氏と言えば今でもドラゴンズ監督というイメージが強いです。

あの曲で「近藤コーチの作戦に♪」と歌われた近藤貞雄氏が、アメリカ海兵等との親善試合に2軍の投手として参加していたんですね。そんな彼も鬼籍に入られて、もう2年経つんですね・・・。

今後とも何卒宜しく御願い致します。
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