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「仏で『反アマゾン法』成立 書籍配送 無料サーヴィス禁止」(6月29日付け東京新聞【朝刊】)
フランスでインターネットによる書籍販売に関して、配送無料サーヴィスを禁止する法案が、議会で可決した。“反アマゾン法”とも呼ばれ、「文化の保護」を理由に、米ネット販売大手を実質的に狙い撃ちする物だ。
「我が国が持つ、本に対する深い愛着を示した。」。法案が上院を通過した26日、フィリペティ文化・通信相は語った。
目的はフランス全土に約3,500在る、小規模書店の保護だ。「町の本屋」を文化の担い手と位置付け、グローバル企業の攻勢から守ろうとの趣旨だ。無料配送は禁止され、値引きは商品を書店で受け取る場合に限られる。
フランスの印刷された書籍販売の内、ネットによる物は17%。其の内70%はアマゾンが占める。同社は配送無料と、法律で認められている上限の5%の値引きを合わせて行う事で、一気にシェアを拡大した。
フランス書店業組合によると、フランスではアマゾンも含めて、ネットによる書籍販売で利益を上げている所は無い。同組合は「アマゾンの遣り方は、市場獲得を目的とした不当廉売だ。」として規制を求めて来た。アマゾンは「消費者に不利益を齎す。」と反論していた。
フランスメディアによると、同国の書店数は人口比で「世界一」。フィリペティ文化・通信相は昨年、「フランスの書店網は言論・出版の多様性を保障する物。」とし、900万ユーロ(約12億5千万円)を投じて、小規模書店の保護・振興策を打ち出した。
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女優の中村メイコさんだったと思うが、週刊誌上で面白い事を語っていた。頓珍漢な勘違いのエピソードには事欠かない彼女だが、或る日、「アマゾンから本が届くから。」と言われ、「そんなに遠くとい凄い所から、本が届くの!?」と驚いたのだとか。そう、ネット販売の「アマゾン」の事を全く知らず、アマゾン川流域から本が届くのだと、真剣に勘違いしていたのだ。
そんなアマゾンに関して、フランスで“反アマゾン法”が成立したと言う。近くに書店が無かったり、「外出に困難を来す人達にとっては、ネットで注文&自宅迄配送してくれるアマゾン。」が、非常に在り難い存在で在るのは理解出来る。通常の配送料が無料なのだから、一気にシェアを拡大するのも当然だろう。
しかし、本を愛する人達の中には「書店で実際に本を手に取ってみて、中身を読んでから買いたい。」とか、「買いたい本が特に無くても、ブラブラと書店内を見て回るのが好き。そういう中で、知らなかった面白い本に巡り合えたりもするし。」といった“書店派”も、我が国では根強く居る。自分もそんな1人。近場では次々に書店がクローズしている事から、本を買う際には、出来るだけ近場の書店で買う様にしている。
1789年、「人間と市民の権利の宣言」を採択したフランス。其れだけに「権利意識」は概して高く、言論の自由や出版の自由の観点から、「フランスの書店網は言論・出版の多様性を保障する物。」として“反アマゾン法”を成立させたのも頷ける。
1つ気になったのは、「フランス書店業組合によると、フランスではアマゾンも含めて、ネットによる書籍販売で利益を上げている所は無い。」という点。此れは事実なのだろうか?
日本の書店の場合、「本を1冊万引きされたら、同じ本を5冊売らないを穴埋め出来ない。」という事で、何処も万引きによる被害に悩まされていると聞く。ネット販売の場合はそういう悩みは無いだろうし、実店舗を構えなくて良い分等、コストも抑えられるだろう。送料無料分をアマゾンが負担しなければならないのだろうが、其れが儲けとしてはプラスマイナスゼロに等しいという事なのか。
本当に「フランスではアマゾンも含めて、ネットによる書籍販売で利益を上げている所は無い。」のだとしたら、「価格破壊で実店舗を壊滅状態にし、一定シェアを獲得したら、一転して送料を取る様にし、ガッチリと利益を得る。」という考えなのかもしれない。
便利さや快適さを追い求め過ぎた余り、我々は失って来た物も少なく無い。「人と人との触れ合い」といった物もそうですが、ネット通販の台頭により、近未来的には「働く場所」を失う人も出るかもしれません。
此れって、機械化にも同じ事が言える。余りに機械化が進む事で、人間が働き場所を失って行く事にも成り兼ねないから。
でも、別の事も思うんです。嘗ては、不治の病と言われた結核。しかし、医学の進歩によって、最早不治の病では無くなった。ところが、結核の代わりに癌が台頭して来た。其の癌も、矢張り医学の進歩で必ずしも不治の病で無くなったと思ったら、HIV等、新たに厄介な病が台頭。人間と病との闘いって、結局は鼬ごっこと一緒なんでしょうね。
ネット通販の台頭によって、人間は働き場所を失うかもしれない。しかし、人間も馬鹿では無いので、新たな働き場所を見付け出す(作り出す)と信じたい。良い意味での、鼬ごっことして。