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「『政治主導なんて迂闊な事言った・・・。』枝野氏」(11月14日、読売新聞)
民主党の枝野幸男幹事長代理は14日、さいたま市内で講演し、民主党政権の掲げた「政治主導」が機能していないとの批判が出ている事に付いて、「与党がこんなに忙しいと思わなかった。政治主導なんて迂闊な事を言ったから大変な事になった。何より欲しいのは、ゆっくり考える時間と、ゆっくり相談する時間だ。」と釈明した。
菅内閣の支持率急落に関しても、「政権が国民の意識、感覚とずれていると思われる部分が多々在る。可成り深刻な状況だ。」と述べ、危機感を露にした。
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期待している政治家の一人だけに、敢えて枝野氏には言わせて貰う。「泣き言を言っている暇が在るのなら、他にする事が幾らでも在るだろ!」と。
野党の立場では無理だったけれど、与党の立場になったら把握出来る様になった情報や現実というのは少なくないと思う。だから「理想」と「現実」の擦り合わせに一定期間を要するのは仕方無い事だが、政権交代から1年余経つというのに、こんな泣き言を言うというのは笑止千万だ。もう「初めて政権を担うのだから、ダッチロールも止むを得ない。」とか、「自民党政権下の負の遺産が在るのだから、もう少し猶予を与えてみるか。」といった国民の優しさに甘えていられる時期は過ぎている。
政権交代が成った際、小泉純一郎元首相が「民主党も政権与党の座を経験する事で、与党の大変さを知れば良い。」と発言したが、言わんとしている事は理解出来る。我々一般人も同様だが、野党というのは或る意味「無責任な主張」が出来るもの。「国家を実質的に担っている。」という意味では、与党の責任は非常に大きく、受けるプレッシャーも半端では無いだろう。だからこそ野党とは全く異なる「強い権限」を有している訳で、泣き言を言いたいのなら政権の座から下りれば良い。
枝野氏は「政治主導なんて迂闊な事を言ったから大変な事になった。」と言った様だが、大きな考え違いをしていると思う。「政治主導」自体は誤りでも迂闊な事でも全く無く、「政治主導に備えた体制作り」が全く出来ていなかったのが誤りで在り、迂闊なのだ。一般社会でも、不測の事態なんぞは幾らでも起こっている。不測の事態が起こったとしても、極力被害を最小限に抑え、逸早くリカバリー出来るかが重要で、其の為には事前に考えられ得る手を幾つも打っておかなければならない。外交で言えば「有事に機能する人脈」というのも其の一つで、果たして民主党の議員の中に、そういった濃厚な人脈作りを心掛けていた者がどれだけ居た事か。自分達が出来ないので在れば、官僚達の尻を引っ叩いてでもさせなければならない。
そして「政治主導=官僚の完全排除」では無い事も、枝野氏は認識しなければいけない。民主党だろうが自民党だろうが他の政党だろうが、優秀な政治家も居れば、どうしようもない政治家も居る。其の割合に違いは在りこそすれ、玉石混淆状態なのは変わり無い。自民党が何とかかんとか政権を長期維持出来たのは、優秀な政治家は上手く官僚達を使い熟し、どうしようもない政治家は官僚達の言いなりになっていただけだからだと思っている。勿論、官僚の中にもどうしようもない人物も居るだろうが、でも概して優秀な人材が多いのは否定出来ないし、要は確固たるポリシーを持った政治家が的確な指示を官僚達に与え、彼等に業務遂行させれば良いのだ。「政治主導=官僚の完全排除」と少なからずの民主党の議員が思い込んでしまい、結局は全てに収拾が付かなくなってしまったのではないか?政治家と官僚が“御友達”になる必要は無いが、同時に「敵」になる必要も無い。
自民党政権下でも「適材適所とは到底思えない、派閥順送り的な人事。」が結構目立っただが、民主党政権でも同様の事は言える。先ずは其の分野に精通した政治家を大臣に据え、官僚達と“まともなコミュニケーション”を図れる状況を作る事。そして大臣達は的確な指示を官僚達に与え、意図的にサボタージュする様な輩が居れば、其れを明らかにした上で排除すれば良いだけの話。そうすればゆっくり考える時間だって生み出せるし、国民の多くは内閣を支持する筈だ。
再度言う。「泣き言を言っている暇が在るのなら、他にする事が幾らでも在るだろ!」と。
「『政治主導なんて迂闊な事言った・・・。』枝野氏」(11月14日、読売新聞)
民主党の枝野幸男幹事長代理は14日、さいたま市内で講演し、民主党政権の掲げた「政治主導」が機能していないとの批判が出ている事に付いて、「与党がこんなに忙しいと思わなかった。政治主導なんて迂闊な事を言ったから大変な事になった。何より欲しいのは、ゆっくり考える時間と、ゆっくり相談する時間だ。」と釈明した。
菅内閣の支持率急落に関しても、「政権が国民の意識、感覚とずれていると思われる部分が多々在る。可成り深刻な状況だ。」と述べ、危機感を露にした。
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期待している政治家の一人だけに、敢えて枝野氏には言わせて貰う。「泣き言を言っている暇が在るのなら、他にする事が幾らでも在るだろ!」と。

野党の立場では無理だったけれど、与党の立場になったら把握出来る様になった情報や現実というのは少なくないと思う。だから「理想」と「現実」の擦り合わせに一定期間を要するのは仕方無い事だが、政権交代から1年余経つというのに、こんな泣き言を言うというのは笑止千万だ。もう「初めて政権を担うのだから、ダッチロールも止むを得ない。」とか、「自民党政権下の負の遺産が在るのだから、もう少し猶予を与えてみるか。」といった国民の優しさに甘えていられる時期は過ぎている。
政権交代が成った際、小泉純一郎元首相が「民主党も政権与党の座を経験する事で、与党の大変さを知れば良い。」と発言したが、言わんとしている事は理解出来る。我々一般人も同様だが、野党というのは或る意味「無責任な主張」が出来るもの。「国家を実質的に担っている。」という意味では、与党の責任は非常に大きく、受けるプレッシャーも半端では無いだろう。だからこそ野党とは全く異なる「強い権限」を有している訳で、泣き言を言いたいのなら政権の座から下りれば良い。
枝野氏は「政治主導なんて迂闊な事を言ったから大変な事になった。」と言った様だが、大きな考え違いをしていると思う。「政治主導」自体は誤りでも迂闊な事でも全く無く、「政治主導に備えた体制作り」が全く出来ていなかったのが誤りで在り、迂闊なのだ。一般社会でも、不測の事態なんぞは幾らでも起こっている。不測の事態が起こったとしても、極力被害を最小限に抑え、逸早くリカバリー出来るかが重要で、其の為には事前に考えられ得る手を幾つも打っておかなければならない。外交で言えば「有事に機能する人脈」というのも其の一つで、果たして民主党の議員の中に、そういった濃厚な人脈作りを心掛けていた者がどれだけ居た事か。自分達が出来ないので在れば、官僚達の尻を引っ叩いてでもさせなければならない。
そして「政治主導=官僚の完全排除」では無い事も、枝野氏は認識しなければいけない。民主党だろうが自民党だろうが他の政党だろうが、優秀な政治家も居れば、どうしようもない政治家も居る。其の割合に違いは在りこそすれ、玉石混淆状態なのは変わり無い。自民党が何とかかんとか政権を長期維持出来たのは、優秀な政治家は上手く官僚達を使い熟し、どうしようもない政治家は官僚達の言いなりになっていただけだからだと思っている。勿論、官僚の中にもどうしようもない人物も居るだろうが、でも概して優秀な人材が多いのは否定出来ないし、要は確固たるポリシーを持った政治家が的確な指示を官僚達に与え、彼等に業務遂行させれば良いのだ。「政治主導=官僚の完全排除」と少なからずの民主党の議員が思い込んでしまい、結局は全てに収拾が付かなくなってしまったのではないか?政治家と官僚が“御友達”になる必要は無いが、同時に「敵」になる必要も無い。
自民党政権下でも「適材適所とは到底思えない、派閥順送り的な人事。」が結構目立っただが、民主党政権でも同様の事は言える。先ずは其の分野に精通した政治家を大臣に据え、官僚達と“まともなコミュニケーション”を図れる状況を作る事。そして大臣達は的確な指示を官僚達に与え、意図的にサボタージュする様な輩が居れば、其れを明らかにした上で排除すれば良いだけの話。そうすればゆっくり考える時間だって生み出せるし、国民の多くは内閣を支持する筈だ。
再度言う。「泣き言を言っている暇が在るのなら、他にする事が幾らでも在るだろ!」と。

現状、とのことです。
政治家は官僚に全部任せるのでも、全く信用しないのでもなく、要所要所を押さえてそれこそ「上手く利用して」国民のための施策推進を図って欲しいものです。
プロ野球に於いて特定のチームのファンが、「うちのチームさえ良ければ、残りのチームの事なんか知ったこっちゃない。」といった傲慢な発言をする事が在りますが、じゃあ其の特定のチームだけで試合が出来るのかと言えば、当然乍ら出来る訳も無く、12チームが揃って機能しているからこそ我々ファンは楽しく試合を見る事が出来る。与党と官僚の関係も同様で、どちらかに依存度が集中し過ぎると、まともに機能しなくなってしまうのは当然と言えば当然の事。有能な官僚を真に使い熟せてこそ、真の政治主導と言えましょうね。きちんと遣るべき事を遣った上で、其れでも指示に背く官僚が居れば、其の事実を明らかにした上でメインから外せば良い話。官僚は公僕で在り、結果として国民に不利益を被らせる様な輩は不要ですから。