ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

何の為の制度なのか?

2019年06月10日 | 其の他

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裁判員制度特定刑事裁判に於て有権者(市民)から事件に選ばれた裁判員が、裁判官と共に審理に参加する制度。
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今日放送された「NNNドキュメント」は「裁判員裁判10年 ~死刑 判決は何故覆るのか~」というタイトルで、施行(2009年5月21日)から10年経った「裁判員制度」を取り上げていた。

「裁判に、“市民感覚”を取り入れる。」という趣旨で始まった裁判員制度は、決められた資格有する有権者の中から無作為に選ばれた者を裁判員に任命し、「死刑又は無期の懲役・禁錮に当たる罪に関する事件。」と「法定合議事件(法律上合議体で裁判する事が必要とされている重大事件)で在って、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に関する物。」を対象とした裁判に参加して貰い、裁判官と共に合議した上で量刑を決める制度だ。

裁判員制度が適用される事件は、地方裁判所で行われる刑事裁判(第一審)に限られる。即ち、裁判が第一審で終わらない場合、第二審以降は“プロ”の裁判官だけで量刑を決める訳だ。

裁判員裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件に付いては、裁判員4名、裁判官1名で審理する事が可能なのだとか。

で、話を番組に戻すが、此の10年で、裁判員制度(第一審)で死刑判決が下された5件の事件が、第二審でより軽い判決が下されている現実。に対し、実際に裁判員として参加した人達の間から「自分達が悩みに悩んで下した判決が、“過去の判例”が最優先という事で簡単に覆るので在れば、市民感覚を取り入れるという趣旨で始まった制度は、何の意味も持たないのではないか?」という不満が上がっていると言う。

裁判員は法廷が終わると、別に設けられた“評議室”で、プロの裁判官と話し合いを行う。裁判員が判らない事が無い様に説明する義務裁判長課せられているで、裁判官は意見の誘導が無い事を配慮し、裁判員に説明を行うのだとか。説明には、同種の事件に下された過去の判例も。

判決は基本的に多数決で決まるが、6人の裁判員“だけ”では決定出来ない仕組みになっている。どういう事かと言えば、裁判員の多数意見に付いて、プロの裁判官が“最低でも1人”賛成しないと成立しない事になっているからだ。「法律を知らない達だけの“偏った意見”にしない為。」というのが理由。

無差別殺人等、理不尽過ぎる犯罪に対して裁判員裁判で下された死刑判決5件が、第二審で覆り、より軽い判決が下された背景には刑罰の公平性が在ると言う。過去に起こった同種の事件で下された判決が重要視され、「過去の判決ではXXという刑罰が科せられたのだから、原則として、其れよりも重い、又は軽い刑罰は、“原則として”避ける。」という事だ。

「死刑判決というのは、国家が被告人の命を奪う究極の刑罰。懲役何年という様に“幅”が在る物では無く、慎重に判断すべきで在る。」というのが、裁判員裁判で下された死刑判決が第二審で覆る大きな理由の様だ。死刑判決を下すには過去の判例、所謂永山基準”に則るべき。という事。

「死刑制度」に関しては、賛否両論在る。「国家が人の命を奪う究極の刑罰という事で、死刑判決には慎重にならなければならない。」というのは同感だけれど、個人的には死刑制度に賛成の立場

韓国の様に「裁判所の判決が、国民の声に“過度に”影響を受ける。」というのは大問題だが、「過去の判例を踏まえつつ、“市民感覚を考慮した上での時代に合った判決”を下す。」というのも、時には必要だと思う。死刑判決も同様で、“永山基準”に余りにも囚われてしまうのもどうかと。

くどい様だが、「死刑判決を下すのには慎重さを要する。」というのは同意するけれど、「市民感覚を全く取り入れない。」というので在れば、裁判員制度の必要性を感じない。


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3 コメント

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Unknown (悠々遊)
2019-06-10 09:52:07
こんにちは
裁判員を経験した人たちのその疑問と不満は当然のことと思います。
自動的に過去の判例を踏襲するということであれば、裁判員裁判は必要ないでしょうね。
単に前例を踏襲する・・・公平性を装った消極的で安易な態度だと思います。
ただ逆に考えれば、一審の判断を必ず尊重するということになれば、三審制の意味がなくなるということでもあると思うのですよね。
そしてもうひとつ、この問題点は「死刑」という刑罰の特殊性にもあるのだと思います。
他の刑罰は「罰」とともに「罪を悔い改めさせる」という教育的側面も持つものですが、死刑だけはその機会を奪うだけでなく、死刑=国家による自殺ほう助を願うような犯罪者にとっては、「罰」にすらならないから。
裁判員だけの多数決でなく、プロの裁判官が少なくとも1名は多数派に含まれる必要がある、とするのは法律の正確な適用を担保する、という観点からでしょうが、プロの裁判官といえども市民感覚で感情を揺すぶられ、判断の微妙なところを左右される方もいないとはいえず、結果として過去の判例より振れ幅の大きな判決になることも、あり得ると思います。
giants-55さんが最後に書かれていた、「私刑判決を下すのには慎重さを要する。」、まさに「リンチ」にならないためにもここは悩ましいところです。
余談ですが、やはり私は死刑より罰を加算する方式を取り入れた終身刑制度のほうが望ましいと考えます。
終身刑は恩赦による減刑で出所する危惧を指摘する声もありますが、少なくとも戦後に日本で行われた恩赦では政治犯や軽微犯が対象で、殺人罪など重罪犯の恩赦はなかったと思うのですが。
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>悠々遊様 (giants-55)
2019-06-11 01:22:53
書き込み有り難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

死刑制度に関しては、悠々遊様と自分の考えが異なる訳ですが、どういう理由が在れ、“人の命を奪う制度”で在る以上、賛否両論、様々な意見が在って然るべきだと思います。

裁判員制度が始まってから10年で、合計8万人を超える人が裁判員を経験したそうです。此の番組で体験を話しておられた元裁判員の方々は皆、実に誠実且つ悩み抜いた末に死刑判決を下したのが明確に伝わり、其れだからこそ、二審で判決が覆った事に、「だったら、自分達がして来た事は何だったのか?」という強い疑問を持ったのでしょう。

本筋と異なるのですが、番組で紹介している2つのデータが印象的でした。人によっては1ヶ月近くも仕事を休んで裁判員の業務に従事しなければならないというのに、アンケートを行った所、非常に多くの人が「裁判員を経験して良かった。」と回答している事。一般の人にとって“裁判”というのは非常に遠い存在でしょうが、裁判員となって裁判と向き合った事で、裁判が身近に感じられる様になったという事なのでしょう。

其の一方、「裁判員に選ばれた場合、相当の理由が無ければ断れない。何の理由も示さずに、裁判員になる事を“すっぽかした場合”には“ペナルティー”が科せられる事になっている。」のに、辞退率は7割近く、其の内すっぽかしたケースが3割近く在る。」というデータも驚き。すっぽかしたケースでも、実際にペナルティーが科された事は無いのだとか。「市民感覚としては、死刑判決を支持する。でも、自分は判決に関わりたくない。」という面も在るのかも。
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>悠々遊様 (giants-55)
2019-06-11 01:25:16
後、記事の最後に書いた「私刑判決を下すのには慎重さを要する。」ですが、“私刑”は“死刑”の打ち間違いでした。誤解させてしまって済みません。訂正しておきます。
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