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「『見れた。』、『出れる?』・・・『ら抜き言葉』初めて逆転 『確信犯』の誤用は7割」(9月21日、産経新聞)
21日に発表された文化庁の平成27年度「国語に関する世論調査」では、文法上誤りとされる「ら抜き言葉」も調査対象となり、「見れた。」や「出れる?」等の使用割合が、初めて本来の表現を上回った。
「ら抜き言葉」の調査は、今回が5回目。「見られた。」と答えた人は44.6%で、「見れた。」は48.4%、「(早く)出られる?」は44.3%で、「(早く)出れる?」は45.1%と、其れ其れ逆転した。
何れも年代が若くなる程「ら抜き」を多用する傾向が見られ、40代以下は何の年代も5割を超えた。他にも「来れますか?」が44.1%で、「来られますか?」の45.4%に肉薄した。
こうした傾向に付いて、文化庁の担当者は「逆転したのは、『ら抜き』にする事で、意味が正確に伝わる可能性が高い言葉許り。例えば『見られた。』だと、受け身の表現にも聞こえる。らを抜くと、意図が伝わり易いので、多くなっているのかもしれない。」としている。
又、「確信犯」は本来、「或る行為を信念に基づき、正しいと信じて行った人。」を意味するが、正答は17.0%。逆に、「或る行為を、悪い事で在ると判って行った人。」としたのは69.4%にも上った。誤答は同じ質問が出た2014年度から、11.8ポイント上昇した。
上司への敬語を使うべき場面を尋ねた調査では、設定された全ての場面で「使うべきだ。」と回答した人が、過去の調査を上回った。唯、「仕事の後、2人で飲みに行った酒場で話す時。」は46.4%と、5割に届かなかった。
課長に部下が呼び掛ける際の望ましい呼び方では、「課長」の62.5%がトップ。「名字に、『さん』を付ける。」は16.0%だったが、2008年度調査(8.8%)に比べ、2倍近くに伸びた。
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言葉は時代の移り変わりと共に変化して行く物だから、余りにも酷い変わり方で無い限り、本来の使われ方から離れてしまったとしても、まあ仕方無い様にも思う。
「ら抜き言葉」が取り上げられる様になった頃から、本来使うべき「ら」を抜かさない様に意識しているけれど、でも、上で文化庁の担当者が指摘して様に、「受け身表現と勘違いされないかな?」と思ってしまう事は在る。
又、「芸能人から政治家に転身した某人に、芸能人時代に親しかった人間が其れ迄同様に何度か「〇〇さん」と呼び掛けたら、完全無視をされた。そうしたら、某人の秘書が飛んで来て、ちゃんと『先生』と呼んで下さい!』と釘を刺された。」という話を読んだ事が在る。そういう人も居るのだから、「課長」では無く「〇〇さん」と呼んだら、相手が不機嫌になってしまう場合も在るだろう。
ジャニーズのタレントが特に多用している表現に、「~させて戴いています。」というのが在る。「今度、舞台を遣らさせて戴きます。」とか、「ドラマで、主役をさせて戴きます。」といった具合だが、自分は此の表現が、どうにも気になってならない。
ネット上で調べてみたら、「視点・論点 『させていただきます症候群』」という記事を見付けた。「~させて戴きます。」という表現を矢鱈と多用する事を「させて戴きます症候群」と呼び、こういう表現に違和感を持つ人は、少なからず居る様だ。
記事を書かれている山岸弘子さんによると、「~させて戴く。」というのは、明治の文学にも確認される、決して間違った表現では無いとの事。「『自分の行為が、相手の許容の範囲に在る。」という謙った、遠慮勝ちな気持ちを表す。屡々、相手に配慮し乍ら、自分の一方的な行動や意向を伝えるのに使われる。」というのが、「~させて戴く。」の意味合いなのだとか。
「~させて戴く。」という表現に違和感を持つのは、大きく分けて5つの理由が在ると、山岸さんは指摘している。「話し方が、すっきりしていない。」、「誰を立てているのか判らない。」、「『誰に許可を貰ったの?』と感じてしまう。」、「自分勝手な感じがする。」、そして「『さ』は必要無い。」という5つ。
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① 「話し方が、すっきりしていない。」
「御送りさせて戴きます。」は「御送り致します。」、「意見を言わさせて戴きます。」は「意見を申し上げます。」等の様にした方が、まどろっこしさが無くて、判り易い。
② 「誰を立てているのか判らない。」
仮に自分上司で在っても、社外の人に対して話す時は、上司を立てて話さないのが一般常識。そういう意味では、「課長をさせて戴いています○○です。」では無く、「課長の○○と申します。」とするのが筋。
③ 「『誰に許可を貰ったの?』と感じてしまう。」
「~させて戴く。」は原則、“誰かの許可を得て行動する時に使う言葉”で在り、例えば「公園で走らせて戴いています。」は、「じゃあ具体的に、誰に許可を貰って走った訳?」という突っ込みを入れたくなってしまう。「公園で走っております。」とした方が、違和感を覚えない。
④ 「自分勝手な感じがする。」
相手に迷惑を掛ける行為の場合、「~させて戴きます。」という表現は不適切。例えば「用が出来たので、帰らせて戴きます。」と言われると、一方的な宣言の様で、配慮に欠けた感じが。
⑤ 「『さ』は必要無い。」
本来、使う必要が無い「さ」が使われている事で、違和感を覚えてしまう。例えば「読まさせて戴きます。」というのは、「読ませて戴きます。」が文法的には正しい。
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自分の場合、「~させて戴く。」という表現に違和感を覚えるのは、③の「『誰に許可を貰ったの?』と感じてしまう。」というのに加え、「余りにも謙り過ぎている様に感じる。」からだ。
自分に能力や魅力が在るからこそ、舞台やドラマに抜擢されるのだろうから、「今度、舞台を遣らさせて戴きます。」や「ドラマで、主役をさせて戴きます。」では無く、「今度、舞台を遣ります。」や「ドラマで、主役を務めます。」で良いと思う。「其れじゃあ、相手に生意気な感じを与えてしまう。」と言うので在れば、多少「~させて戴きます。」という表現を使えば良い。何度も何度も「~させて戴きます。」を多用されると、余りの謙り方が逆に嫌みに感じてしまう。