愛する者の命が或る日突然奪われたとしたら、その身内の悲嘆ぶりは想像するに難くない。ましてや理不尽且つ残酷な形で命が奪われたとしたら、加害者への憎悪の念は筆舌に尽くし難い程だろう。他者の命を虐めで奪っておきながら、その後も反省する事無く、下劣な虐めを繰り返していた輩等は、もし自分が被害者の身内だったとしたら、この手で抹殺したいという思いを抑え切れる自信が無い。
「最愛の人を殺した相手への復讐は悪か?」、「正義とは一体何なのか?」というテーマを柱に据えた「殺人症候群」(著者:貫井徳郎氏)。数年前にこの作品を読んだ時、「法律と正義」に付いて考えさせられ、頭の中で様々な思いがぶつかり合った。「法律に基づいて粛々と定められた刑罰を科す。」というのが近代法の概念で在る事は理解していても、人間としての感情面に於いては、「加害者に対しての刑罰の緩さと、逆に被害者サイドへの余りの配慮の無い現状。」に納得し難く、正義の不在を嘆く思いも。
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性犯罪者によって少女が殺められ、痛ましい姿となって発見される度に、嘗て同様の性犯罪を為した前歴者が首無し死体となって発見される。その身体にはナイフによって「S」の文字が刻まれていた。
代々に亘ってパリの死刑執行人を務めて来たサンソン家(4代目のシャルルーアンリ・サンソンは、ルイ16世やマリー・アントワネット等を斬首した事で有名。)。「性犯罪者の手によって幼子の命が絶たれた時、同じ過ちを犯そうとしている”予備軍”への警告として、嘗て同様の罪を犯しながらのうのうと生きている前科者を殺害する。」という趣旨の声明文を警察やマスメディアに送り付けて来たのは、「S」の文字、即ち「サンソン」を名乗る男だった。身勝手な欲望が生み出す犯行を、「私刑=殺人」という形で抑止しようとする予告殺人。或る意味「狂気の劇場型犯罪」とも言えるが、「性犯罪者達への刑罰の緩さと、残された被害者の身内、即ち遺族達の無念」に憤りを覚える人々が少なくない中で、サンソンを支持する流れが出来上がりつつ在った。
捜査に従事する刑事・長瀬一樹は、激しい葛藤に苦しめられて行く。彼が小学生の時、置いてきぼりにしてしまった最愛の妹を、性犯罪者の手によって殺害された過去を持っていたからだった。「法に基づかない私刑は絶対に許されない。」という刑事の思いと、「卑劣な性犯罪者を憎悪し、自らの気持ちを代弁してくれているサンソンを支持したい。」という被害者家族の一人としての思いの鬩ぎ合い。
サンソンの手によって”復讐”が為されて行く中、警察はサンソンの次なるターゲットを突き止める。それは、嘗て長瀬の妹の命を奪った男だった・・・。
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処女作「天使のナイフ」にて第51回江戸川乱歩賞を受賞した薬丸岳氏。上記した粗筋は、彼の第2作「闇の底」に付いてで在る。「天使のナイフ」では、東野圭吾氏の作品に初めて触れた時と同じ天才性を感じたが、今回の作品でその思いを一層強くした。次作で同じ思いが湧く様で在れば、彼は間違いなく天才肌の作家と断言したい。
着眼点の良さやストーリー展開の巧みさは言う迄も無いが、ミステリーの命とも言える「フーダニット」の点で抜群の才覚を有した作家だと思う。早い段階から「こいつが犯人だ!」と確信していたのだが、最後の最後でまさかの真犯人が判明。これ迄にかなりの量のミステリー作品を読破し、疑い深くなった自分をも欺く唖然の展開。素直に「参りました!」と言わざるを得なかった。
私見で言えば、今年の”このミス”1位を今邑彩女史の「いつもの朝に」と、この「闇の底」が争う予感がしている。それだけ素晴らしい作品で、総合評価も前作と同じ星4.5としたい。
「最愛の人を殺した相手への復讐は悪か?」、「正義とは一体何なのか?」というテーマを柱に据えた「殺人症候群」(著者:貫井徳郎氏)。数年前にこの作品を読んだ時、「法律と正義」に付いて考えさせられ、頭の中で様々な思いがぶつかり合った。「法律に基づいて粛々と定められた刑罰を科す。」というのが近代法の概念で在る事は理解していても、人間としての感情面に於いては、「加害者に対しての刑罰の緩さと、逆に被害者サイドへの余りの配慮の無い現状。」に納得し難く、正義の不在を嘆く思いも。
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性犯罪者によって少女が殺められ、痛ましい姿となって発見される度に、嘗て同様の性犯罪を為した前歴者が首無し死体となって発見される。その身体にはナイフによって「S」の文字が刻まれていた。
代々に亘ってパリの死刑執行人を務めて来たサンソン家(4代目のシャルルーアンリ・サンソンは、ルイ16世やマリー・アントワネット等を斬首した事で有名。)。「性犯罪者の手によって幼子の命が絶たれた時、同じ過ちを犯そうとしている”予備軍”への警告として、嘗て同様の罪を犯しながらのうのうと生きている前科者を殺害する。」という趣旨の声明文を警察やマスメディアに送り付けて来たのは、「S」の文字、即ち「サンソン」を名乗る男だった。身勝手な欲望が生み出す犯行を、「私刑=殺人」という形で抑止しようとする予告殺人。或る意味「狂気の劇場型犯罪」とも言えるが、「性犯罪者達への刑罰の緩さと、残された被害者の身内、即ち遺族達の無念」に憤りを覚える人々が少なくない中で、サンソンを支持する流れが出来上がりつつ在った。
捜査に従事する刑事・長瀬一樹は、激しい葛藤に苦しめられて行く。彼が小学生の時、置いてきぼりにしてしまった最愛の妹を、性犯罪者の手によって殺害された過去を持っていたからだった。「法に基づかない私刑は絶対に許されない。」という刑事の思いと、「卑劣な性犯罪者を憎悪し、自らの気持ちを代弁してくれているサンソンを支持したい。」という被害者家族の一人としての思いの鬩ぎ合い。
サンソンの手によって”復讐”が為されて行く中、警察はサンソンの次なるターゲットを突き止める。それは、嘗て長瀬の妹の命を奪った男だった・・・。
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処女作「天使のナイフ」にて第51回江戸川乱歩賞を受賞した薬丸岳氏。上記した粗筋は、彼の第2作「闇の底」に付いてで在る。「天使のナイフ」では、東野圭吾氏の作品に初めて触れた時と同じ天才性を感じたが、今回の作品でその思いを一層強くした。次作で同じ思いが湧く様で在れば、彼は間違いなく天才肌の作家と断言したい。
着眼点の良さやストーリー展開の巧みさは言う迄も無いが、ミステリーの命とも言える「フーダニット」の点で抜群の才覚を有した作家だと思う。早い段階から「こいつが犯人だ!」と確信していたのだが、最後の最後でまさかの真犯人が判明。これ迄にかなりの量のミステリー作品を読破し、疑い深くなった自分をも欺く唖然の展開。素直に「参りました!」と言わざるを得なかった。
私見で言えば、今年の”このミス”1位を今邑彩女史の「いつもの朝に」と、この「闇の底」が争う予感がしている。それだけ素晴らしい作品で、総合評価も前作と同じ星4.5としたい。
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TBありがとうございました。
確かに私もまんまとミスリードにひっかかりました。
お見事だと思います。
ところで、「いつもの朝に」これは、最初はおもしろくて、ずんずん読んでいったんですが・・最後まで読んで、うーん、ちょっとなあ・・と思いました。
お兄さんの自殺を止めようとするシーンのセリフのやりとりとか、その場所、設定がわたしのなかでは、ちょっと興ざめな感じがしたんです。
今回は本の話でしたね。殺伐とした少年たちの話が多い中、川上健一の「翼はいつまでも」もう一度読んでちょっと素敵な少年の物語にひたってみたいような気がしてきた今日この頃です・・・
そう思うととても不可思議で残念なのは、人の親でありながら他人の子供を殺害する人の存在です。自分が自分の子供を愛するように、他人もその人の子供を愛しているということに気づかないのでしょうか?人の心のつながりが荒廃した世の中になったなぁと思います。
他の方のレビューでは、「犯人が犯人に足る動機付けが弱い。」とか「ああいう終わり方は在りなのか?」といった声も在る様ですが、個人的には「闇の底」の世界にどっぷりとのめり込めました。微妙な立場に置かれた長瀬刑事の心の葛藤をもっと深く描いても良いかなとは感じましたが、だからと言ってこの作品の個人的評価が下がるものでは在りません。読まれて損の無い内容だと思いますし、目一杯”騙されて”みて下さい。
「いつもの朝に」を読まれたのですね。個人的にはかなり高評価を与えた作品でしたが、冗長過ぎるという面は確かに在るのかもしれません。唯、最後の章の切なさには、ついついホロッと来てしまいました。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/josikousei.htm)、「中野富士見中学虐め自殺事件」(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/nakano.htm)、「栃木リンチ殺人事件」(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/totigilynch.htm)、「中学生マット圧死事件」(http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage36.htm)等々、当然ながら自分自身はこれ等の事件の被害者とは全く縁も縁も無い身なのですが、それでも加害者達に対して殺意を覚えてしまう様な事件が過去にも在りました。「山口県光市母子殺人事件」(http://www1.odn.ne.jp/s-abe/kousatu/yamagutikenn.htm)もそんな事件の一つです。表面的にはさも猛省しているかの様な素振りを見せながら、裏では知り合いに対して死者を冒涜する無反省な手紙を送り付けていたこの事件の加害者少年。そしてこの手紙の存在が公になると、一転して死刑逃れの為に猛省しているという手記を発表。こんな輩を生かし続けなければならない法体系に非常に疑問を覚えます。
幼女を自らの欲望を満たす捌け口に利用し、その後殺害した加害者が、実は家庭に於いては子煩悩な父親だったという話はまま見聞します。本当にこの乖離は一体何処から来るのでしょうね?結局は自分及びごく近しい人達だけの空間しか加害者には無く、その空間に居る者達には最大の愛情も尊重も持ち合わせているのだけれども、それ以外の空間に属するその他大勢に対しては無関心、又は虫けら同然という感じなのでしょうか。
少年であるとか法律がどうだとか関係なく、被害者が身内であろうがなかろうが、この犯人を殺してやりたいと思いました。 裁判制度が変わり、陪審員制度のようなものが始まりますが、加害者への情状酌量の余地などが私には判断できそうにありません。 仮に自分の家族が酷い目にあったような場合は敵討ちに走るかもしれませんし、身内のために仕返しするのであればGoodJobと言ってしまうかもしれません。 小説と直接関係ありませんが昔のことを思い出してしまいまして。
自らの欲望を満たす為だけに人を平気で殺めてしまうというのは、言葉は不適切かもしれませんが思考回路に異常を来たしているとしか思えませんね。人間誰しも欲望は在りますし、その欲望が反社会的な場合も在るでしょう。しかしそれを実践するか否かは理性にかかって来る訳で、その点が人間と動物の境界線で在ると思っています。
もし自分の身内がこんな鬼畜によって生を奪われたとしたら、復讐に走るという気持ちを抑え切れるか自分は自信が無いです。
明日(今日?)はもう立冬ですネ!今年も冬がやって来ます♪
先日の記事、そして皆さんからのコメントには考えさせられました。
私自身の矛盾や知恵の限界に気づき、溜め息ばかりでした・・・・
まだまだ未成熟の子供たちには、人生が理解できません。
彼らの疑問や怒り、屈託、全てを受け止める存在がないことも原因だと感じています。
老いること、病を得ること、挫折すること、
大家族や、濃密な近所付き合いがあった昔は、嫌でも認識していた“当たり前の知識”。
他者を労わり、相手の身になって考え、行動する優しさ。
人を、そして自分自身を愛し、許し、忍耐強く待つ
そんな大切なものを、私たち一人一人が見過ごしにしてきた結果も原因だと思います。
育て方、社会のあり方1つで、未来の宝物である子供たちは、天使にも悪魔にも変貌してしまう。
人間を育てるという大切なことを、他者や社会だけに依存してきたことも猛省すべきですネ。
しかし、よくよく考えてみると、こちらで意見を述べられている方の存在を思えば、私は安心してしまいました。
もちろん、私一人が安心しても、何ら問題の解決にはなりませんが、
素直に救われたような気持ちなのです。
自分の人生に向き合うこともなく自ら死を選んでしまう若者たちもいますが、
皆さんと同じ心の人と彼らが出会い、生きよう、と実感できたなら、
世の中、涙を流す人は確実に減っていくと信じられたからです。
少なくとも私は信じます。
もちろん、その努力もしなければ成りません!