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川上の「管理と統制」による抑圧の日々に慣らされたV9戦士達は、「信頼と自律」を標榜する長嶋の登場によって一気に弛緩し、更に藤田*1が実現した利益還元制度(所謂”ニンジン””と呼ばれる報奨金等。)ですっかり球団の財布を当てにする様になった。
安い年俸で先の戦を闘い抜いた戦士には、FA選手が手にする億単位の年俸が只管腹立たしくも眩く見えて、自分達が今の巨人を築いたのだから、今後も何等かの恩恵を享受する権利が充分に在るではないかと、そんな感覚を持っている様だった。彼等は選手を導くコーチ、と言うより、まるで約束手形の回収に血道を上げる債権者だった。
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フロントもフロントならば、OBにも私利私欲にのみ執着している輩が目立つ。だからこそ旧体制を保持したいOB達は、同じく旧体制の”心地良さ”を知り尽したフロント上層部と結託して、体制刷新を図ろうとしている人物の姿を必死で追い、幼稚で陰湿な妨害を次々と繰り出していた様だ。河田氏はそんな”不満分子”を排除し、又、選手達の正確なコンディションを把握する為にも”GCIA”なる諜報組織を確立しようと試みる。
内容の詳細を此処で触れるのは敢えて避けたい。部分的な抽出を目にするよりも、個々人が実際に読まれて全体像を把握された方が、ジャイアンツの抱える病巣の根深さをよりリアルに理解出来ると思うからだ。強いてこの本から浮かび上がって来るものを端的に表せば、「権力掌握に血眼となり、足を引っ張り合う者達のさもしさ。旧体制を排除し、より良き”秩序”を構築しようともがき苦しむ者達。そしてより良き秩序を構築しようと取り組みながらも、結局は旧体制に抵抗し切れなくなって取り込まれてしまう者達と、信念を貫いたが為にチームから放逐された者達。」、「一人の野球人としてでは無く、”ジャイアンツの長嶋”としてでしか、その存在感を保持出来ないと信じ切ってしまっている長嶋茂雄という男の孤独さと悲哀。」、「マスメディアで諸悪の根源の如く取り沙汰された河田氏と、所謂”早稲田閥”と称されたチーム関係者達の真実の姿。」といった事か。
この本が河田氏の視点から記されているのは否めず、別の方向からの見方も当然在るだろう。内容が100%正しいかどうかも考慮すべき点だろうが、その詳細な記録からは少なくとも自分に全く偽りと感じさせるものも無く、あの頃の週刊誌のバッシング記事には旧体制の温存を願う者達の意図が介在していた様に感じられたし、これではジャイアンツがまともなチームになる道程は極めて困難と言わざるを得ない。
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藤田元司氏が投手コーチを務めていた当時のホエールズでは、球団幹部が酒に酔って監督宅に電話を掛け、翌日の投手のローテーションに口を挟むばかりでは無く、選手達をぞんざいに扱う球団の体質が在り、その例として挙げられているのがホエールズの宴会での出来事。宴会では親会社の御偉方に命じられた選手が”芸”をやらなければならず、その芸というのも座敷の両側に投手陣と野手陣に分かれて向かい合い、「野球をやれ!」の一言で芋の煮っ転がしを持った投手が投げ、それをバッターが箸で突き刺すというもの。
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ホエールズ時代の惨憺たる思い(選手に対して”男芸者”が如き扱いをした幹部達には、自分も野球を愛する者の一人として憤りを覚える。)が、その後藤田氏に野球人主導による球団経営を夢見させたのではないかと記されている。この様なジャイアンツの内部で起こっていた事柄に留まらず、他にも興味深い話が幾つか取り上げられている。”長嶋家盗聴事件”の真実や、”空白の一日事件”でジャイアンツに入団を決めた江川卓投手に対し、怒り狂った堤義明氏が取った激烈な報復の数々等。球界の裏側が透けて見える一冊だ。
*1 藤田氏のこのCMに懐かしさを覚える方も多いのではないだろうか。
川上の「管理と統制」による抑圧の日々に慣らされたV9戦士達は、「信頼と自律」を標榜する長嶋の登場によって一気に弛緩し、更に藤田*1が実現した利益還元制度(所謂”ニンジン””と呼ばれる報奨金等。)ですっかり球団の財布を当てにする様になった。
安い年俸で先の戦を闘い抜いた戦士には、FA選手が手にする億単位の年俸が只管腹立たしくも眩く見えて、自分達が今の巨人を築いたのだから、今後も何等かの恩恵を享受する権利が充分に在るではないかと、そんな感覚を持っている様だった。彼等は選手を導くコーチ、と言うより、まるで約束手形の回収に血道を上げる債権者だった。
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フロントもフロントならば、OBにも私利私欲にのみ執着している輩が目立つ。だからこそ旧体制を保持したいOB達は、同じく旧体制の”心地良さ”を知り尽したフロント上層部と結託して、体制刷新を図ろうとしている人物の姿を必死で追い、幼稚で陰湿な妨害を次々と繰り出していた様だ。河田氏はそんな”不満分子”を排除し、又、選手達の正確なコンディションを把握する為にも”GCIA”なる諜報組織を確立しようと試みる。
内容の詳細を此処で触れるのは敢えて避けたい。部分的な抽出を目にするよりも、個々人が実際に読まれて全体像を把握された方が、ジャイアンツの抱える病巣の根深さをよりリアルに理解出来ると思うからだ。強いてこの本から浮かび上がって来るものを端的に表せば、「権力掌握に血眼となり、足を引っ張り合う者達のさもしさ。旧体制を排除し、より良き”秩序”を構築しようともがき苦しむ者達。そしてより良き秩序を構築しようと取り組みながらも、結局は旧体制に抵抗し切れなくなって取り込まれてしまう者達と、信念を貫いたが為にチームから放逐された者達。」、「一人の野球人としてでは無く、”ジャイアンツの長嶋”としてでしか、その存在感を保持出来ないと信じ切ってしまっている長嶋茂雄という男の孤独さと悲哀。」、「マスメディアで諸悪の根源の如く取り沙汰された河田氏と、所謂”早稲田閥”と称されたチーム関係者達の真実の姿。」といった事か。
この本が河田氏の視点から記されているのは否めず、別の方向からの見方も当然在るだろう。内容が100%正しいかどうかも考慮すべき点だろうが、その詳細な記録からは少なくとも自分に全く偽りと感じさせるものも無く、あの頃の週刊誌のバッシング記事には旧体制の温存を願う者達の意図が介在していた様に感じられたし、これではジャイアンツがまともなチームになる道程は極めて困難と言わざるを得ない。
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藤田元司氏が投手コーチを務めていた当時のホエールズでは、球団幹部が酒に酔って監督宅に電話を掛け、翌日の投手のローテーションに口を挟むばかりでは無く、選手達をぞんざいに扱う球団の体質が在り、その例として挙げられているのがホエールズの宴会での出来事。宴会では親会社の御偉方に命じられた選手が”芸”をやらなければならず、その芸というのも座敷の両側に投手陣と野手陣に分かれて向かい合い、「野球をやれ!」の一言で芋の煮っ転がしを持った投手が投げ、それをバッターが箸で突き刺すというもの。
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ホエールズ時代の惨憺たる思い(選手に対して”男芸者”が如き扱いをした幹部達には、自分も野球を愛する者の一人として憤りを覚える。)が、その後藤田氏に野球人主導による球団経営を夢見させたのではないかと記されている。この様なジャイアンツの内部で起こっていた事柄に留まらず、他にも興味深い話が幾つか取り上げられている。”長嶋家盗聴事件”の真実や、”空白の一日事件”でジャイアンツに入団を決めた江川卓投手に対し、怒り狂った堤義明氏が取った激烈な報復の数々等。球界の裏側が透けて見える一冊だ。
*1 藤田氏のこのCMに懐かしさを覚える方も多いのではないだろうか。
その対象に愛情を持っていれば、その欠点からは目を背けたいというのが人情ですよね。唯、自分もジャイアンツというチームに愛情を持っていますので、出来れば良い部分だけを見ていたいのですが、とはいえこのチームは良きにつけ悪しきにつけ球界に多大な影響を未だに与える存在で在る以上、敢えて欠点に目を向けて少しでも良き方向に変わってくれる事を自分は望んでいます。
「他チームのファンのみならず、肝心のジャイアンツ・ファンですらこのチームの現状をおかしいと思っているというのに、何故それを変えようとしないのか?」この疑問の答が垣間見れる本でした。そして結果的には功を奏さなかった訳ですが、過去に体質改善を図ろうという本格的な動きが在った事にホッとする思いと、それでも変えられなかった事の失望感とが入り混じった複雑な心境です。
貧しい国だけでは無く、我が国でもアマチュア野球からプロ野球の世界へ選手が動く時、その見返りを暗に、又は公然と求める指導者が居ると聞きます。人間誰しも御金は欲しいもの。でも、それをグッと堪える気高さも時には必要でしょうね。
長嶋政権下で一度、コーチに就任した彼ですが、次の日が試合にも関わらず、捕手を全員自分の宿泊する部屋に呼び出し、自分にマッサージ等を、深夜までさせるなどの、まるで学生野球の先輩が後輩に行うしごきのようなことをさせていたようです。
その中の選手には、若手というわけでなく、大久保などのレギュラークラスの選手もいたといいます。
そのようなことが、疎外をうけている原因の1つかもしれませんね。
松本の件ですが、過去の実績等も充分かもしれませんが、口べたであり、もっている知能や経験、技能を相手に伝えることの能力に欠けているということを聞いたことがあります。
どちらも選手としては、一時代を築いたかたですが、名選手、名コーチとは限らないということかもしれません。
彼等の現役時代、僕は巨人ファンで、こういった話をきくのは、実は残念だったりします。