「2014 FIFAワールドカップ」の1次リーグ最終戦で、グループCの日本代表チームはコロンビア代表チームに敗れ、決勝トーナメントへの進出はならなかった。
先日の記事「俄ファン」で記したが、自分はサッカーに全く興味が無い。応援を他者に強いたり、人様に迷惑を掛ける様なアホは許せないが、でも、「日本代表チームが、良い成績を残せれば良いな。」とは思っていたので、今回の結果は残念だ。
「2敗1分け」と1つも勝てなかった事で、日本代表チームに対する批判が結構出ている様だ。結果を残せなかった以上、監督や選手達が批判されるのは仕方無い面が在るとは思うが、彼等を“全否定”する様な批判は、個人的に気の毒に感じている。
上記した様に、自分はサッカーに全く興味が無いし、今大会の試合もニュース映像以外では目にしていない。そんなおっさんが、強く感じた事を書く。単なる“戯言”として、読んで戴ければ幸いだ。
自分が一番感じた違和感は、「日本代表チームの敗退が決まる“前”と“後”とでの、手の平を返した様な反応。」に対して。と言っても、「ファンの反応」という事では無く、「マス・メディア」及び「サッカー解説者」に付いて。
W杯開幕前から「日本代表チームは優勝出来ます!」等と言い続けて来たのは、一体誰だったのか?マス・メディアはサッカー・ファンと称する有名人を此れでもかと登場させ、「日本代表チームが優勝出来ない訳が無い!」と言わん許りの大騒ぎを、連日繰り広げていたではないか。
サッカー解説者と称する連中も、技術的な話は其方退けで「日本代表チームは、必ず遣りますよー!」とか「絶対に優勝出来ます!」等と、根拠の無い“応援”を口にする許り。自分が知る限り、(素人の自分にとって)傾聴に値する指摘をしていたのは、釜本邦茂氏とセルジオ越後氏位だった。
そんな馬鹿騒ぎしかしていなかった連中が、敗退が決まった途端、「日本代表チームを猛批判し出した。」のだから、「良く言うよなあ。」という思いしか無い。
くどい様だが、サッカーに全く興味の無いおっさんが、マス・メディア及びサッカー解説者に対する違和感を覚え、“戯言”として書かせて貰った。個人的には、日本代表チームの面々に「御疲れ様。」と言いたい。
こういう売らんかな丸出しのスタンスを見ると、サッカーファンでなくても腹が立ちます。
さすがにデイリースポーツ紙は健全です。良くも悪くも阪神一筋(笑)。
最近でこそ余りに露骨なケースは無くなりましたが、昔のジャイアンツ戦中継の中には、アナウンサーや解説者による「ジャイアンツの応援」許りが目立つ物が少なからず在り、ジャイアンツ・ファンの自分ですら辟易とする所が在りました。
Jリーグの中継は知りませんが、少なくともW杯に関する番組には、そういった類の物が目立ち、「『日本は神国。だから、戦争に負ける筈が無い。』と、時の有力者達が“精神論”優先で戦争に突入させてしまった、大戦前の日本みたいだなあ。」と感じたりも。
W杯やWBCは“御祭り”の面も在りますから、自国のチームを鼓舞する様な報道が在るのも悪いとは言わないけれど、ああも「絶対に優勝します!」許りでは、正直白ける。況してや、敗戦が決まった途端の手の平返しですから、「何だろうなあ・・・。」と思ってしまう人も居る事でしょうね。
デイリースポーツもそうですが、独自路線と行くという意味に於いては、テレビ東京も素晴らしいと思います。
今後とも、何卒宜しく御願い致します。
マスコミの性として「扇情的な報道」というのが在るし、度を越えてさえいなければ、其れは其れで否定はしません。(国民生活に大きな影響を与える政治的な問題は別ですが。)
今回の記事、書き方が悪かったと思うのですが、個人的には「日本代表チームの敗戦=マスメディアに責任」というのは、自分も思っていません。勝敗を含めた責任・・・と言うか問題点は、偏に選手や監督に在ると思っています。
唯、自分が違和感を覚えるのは、彼だけ持ち上げ捲っていたマスメディアが、敗戦が決まった途端、手の平を返した様に批判に回る「節操の無さ」で在り、「其れは無いんじゃないの。」と思ってしまうのです。まあ、マスメディアには在り勝ちな事ですが。
一転して叩きまくってるのとまるっきり構図が同じですね。
ネタは何でもよくて、賞賛したり、貶めたりすることのできる対象があればそれでいい、と思っている人のほうが多数派、
だからそんなことを熱心に取り上げる媒体がよく売れる
ってことなのかもしれません。
売れるんなら何でもするのが報道ってことか。
あーあ
これじゃ世間様に揶揄されるネット民のほうがまだ良識あるよなあ…。
小保方女史の件に関しては、諸々の報道を見る限り、非難されても仕方無い面は在ると思っています。巨額の国費を投じられている以上、余りに杜撰な面が多過ぎるからです。勿論、理研の監督責任も、其れ以上に厳しく問われるべきでしょう。
3年前の記事「言い方」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/14ce1a359f4f460ae527d4ece1c1e163)で私見を記したのですが、「2009年の事業仕分けで、スーパーコンピューターに関する要求予算の妥当性に付いて説明を求めた蓮舫行政刷新担当大臣が、『世界一になる理由は何が在るんでしょうか?2位じゃ駄目なんでしょうか?』と問い質した事に、バッシングの嵐が巻き起こりました。」が、言い方が悪かったとは思うけれど、「『世界一になる為。』と称すれば、どんどん血税を注ぎ込んでも構わない。」というのもおかしいと思っているんです。「考慮しなければいけないのは、其処に血税が投入される以上、費用対効果(CP)を無視する訳にはいかないという点。」で在り、巨額の血税を注ぎ込んでみたら、結果的には無駄な箱物作りや天下り組織が増えただけだったなんて事も在り得ますから。小保方女史の話は別にして、今回の問題で見えて来たのは「理研という組織の好い加減さ」で在り、自分の懸念が現実になっていたという面も。
唯、「散々持ち上げておき乍ら、ピークに到達した時点で叩き落とす。」のがマスメディアの性とは言え、小保方女史へのマスメディアの手の平返しも大概の物なのは事実。「科学」という一般には判り難い分野の話で、記者達も鵜呑みせざるを得なかった面は在るにせよです。
街の書店では、所謂「嫌韓本」や「嫌中本」が、此れでもかと山積みされている。目を疑う様な野卑なタイトルが多く、「本当は取り扱いたくないけれど、其れ形に売れるので、置かざるを得ない。」とする書店関係者の声も在る様ですが、そういう扇情的な物に煽られてしまう人達が、一定数居るというのも現実なんでしょうね。
「本当は書店関係者