「NHKで放送されている『ファミリーヒストリー』【動画】という番組が大好きで、毎回見ている事。」は、以前の記事で書いたけれど、「著名人の両親や先祖が、如何に生き抜いて来たか?」を、此れでもかと言わん許りに調べ上げるスタッフの熱意には、唯々敬服するしか無い。一寸した事物から“過去”を探り当てる作業は、生半可な気持ちでは出来ないから。
24日に放送された番組では、俳優・小倉久寛氏の御両親&御先祖を取り上げていた。幼い頃から秀才で知られた小倉氏の父は、長兄が20歳で事故死した事から、家業を継ぐ事になるのだが、どうも意に沿わない“流れ”だった様だ。30歳過ぎに妻子を三重県の実家に残し、弁護士になる為に上京。数年、受験勉強に励むも、結局は合格せず、三重県に戻る事になるのだけれど、実家でも40過ぎ迄、受験勉強を続けていたと言う。
学習意欲の高さというのも在るのだろうけれど、弁護士を目指した理由が「日本で、一番難しい試験だから。」という事だったり、東京で一緒に集まって勉強した仲間達が次々と司法試験に受かり、彼だけが不合格となった事で、帰郷以降は仲間達と連絡を取り合わなくなった(と思われる)事等から考えると、「『幼い頃から秀才として知られた自分なのに、思う様な人生が送れていない。』という強烈なコンプレックスが在ったのではないかなあ。」という感じがした。
彼としては余り触れられたくない部分だったのか、昨年に亡くなる迄、家族には東京で暮らしていた頃の話を、全くと言って良い程話さなかったそうだ。なので、東京時代の事を知る手掛かりは、遺品として残されていた手紙の束。仲間達から貰った手紙(恐らく、東京時代に遣り取りされた物だと思うけれど。)に記された名前や用語を手掛かりにして、次々に過去を明らかにして行く展開は、「相変わらず凄い。」と感心する許り。
で、そういったシーンを見ていて思ったのは、「良くもまあ50年以上も前の手紙を、あんなに沢山保管していたなあ。」という事。他のゲストの時も、ごっそり保管された手紙が手掛かりになったりするのだが、手紙を読んだら廃棄してしまう自分からすると、考えられない事だ。
又、「メールやLINE等が普及した事で、手紙を書く機会なんて年賀状が精々。其の年賀状すら、出さない人が珍しくなくなっている。」という昨今、遠い将来「ファミリーヒストリー」的な番組が作られても、手紙から過去を追うというのは難しくなるのではないか・・・という気もした。
>デジタル
10年前、デジタル通が「もう紙は処分してる!全部デジタル化した!」と言っていました。「ほーすごいなあ、カッコイイー」と感心し、私もアップル製のHDDプレイヤー、東芝製PCの外づけHDDにいろいろ移しました。しかしです。そのHDD群が10年たって補償期間すぎちゃって見られないんです。そのあと買ったデルときたら5年でアカンと言います。エヘラエヘラとした中華人が電話で軽く言い放ちました。頭来たのでデルはもう買いません。今はNECです。お値段デルの倍・サービス丁寧。でもさすがに用心していろいろな手段を取っています。紙にも移してますよー。あのデジタル通はどうしてるだろうか。ああ悔しい。あんな奴に影響されてこんな羽目に。。生まれて初めてのヨーロッパ旅行のデジタル写真群が(涙)。デジカメ創生期のヘナチョコデジカメのオートフォーカスがバカで、使うのに往生し、ピンボケの嵐でしたからまあいいんですけど。でも悲しい。CDも移して、そのCDは売っちゃったりした(バカ!)。
「江戸時代の人達が、徒歩で遠距離を移動していた。」事を思うと、「昔の人は凄いなあ。」と感じます。健康の為、昔よりは格段歩く様にしていますが、其れでも彼等の足元にも及ばない事でしょう。
「書く」という行為に関しても、“昔の人”は矢鱈と書く習慣が在った。今はパソコンやスマホ等で文字入力は多くするものの、実際に書くという行為は、本当に少なくなりました。
大分昔、「ビデオ・テープは一定期間が過ぎると劣化し、見れなくなってしまうけれど、ディスクは半永久的に劣化しない。」なんて言われましたね。其れを信じてディスクにダビングしたのですが、其のディスクも結構“短期間”で劣化する事を知った際には、「あんなに時間を掛けてダビングしたのに・・・何なんだよ。」と思ったもの。