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「西本幸雄さん死去=阪急監督等で優勝8回―91歳」(11月25日、時事通信社)
プロ野球の阪急等で監督を務め、パ・リーグ優勝を8回果たした名将、西本幸雄(にしもと・ゆきお)さんが25日午後8時40分、心不全の為兵庫県宝塚市の自宅で死去した。91歳だった。葬儀の日取り等は未定。
和歌山市出身。立教大で一塁を守り主将を務めた。戦後、大分県別府市の星野組に入り、一塁手兼監督として活躍、1949年の都市対抗野球で優勝した。
1950年、毎日オリオンズ結成時に入団し、1955年に現役引退。1960年に大毎監督となってパ・リーグ優勝を果たしたが、采配を巡ってオーナーとトラブルになり退任。1963〜1973年に阪急監督で5回、1974〜1981年に近鉄監督で2回パを制したが、日本シリーズでは1度も優勝出来ず、「悲運の闘将」と呼ばれた。監督通算1,384勝(1,163敗118分け)は歴代6位。
選手の心を掴み、努力型の選手を開花させる監督術は、巨人で9連覇を果たした川上哲治監督の「川上管理野球」に対し、「西本人間野球」とも評され、多くの選手に慕われた。1988年野球殿堂入り。
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今でもプロ野球が大好きだけれど、もっともっと純粋にプロ野球を楽しんでいた時代が在った。地上波で「プロ野球ニュース」(動画)が放送されていた頃が、そういう時代だった様に思う。
「プロ野球ニュース」の全盛期、解説者は多士済々な顔触れで、“東の御大”が別所毅彦氏、そして“西の御大”は西本氏という感じだった。大声で捲し立てる別所氏に対して、朴訥でスローモーな喋り口の西本氏。*1解説では余りのスローモーな喋り口の為、画面上の映像が次のシーンに移ってしまい、アナウンサーが当惑している事も良く在ったっけ。
1979年の日本シリーズでは結果的に「江夏の21球」の引き立て役になってしまう等、「悲運の闘将」という呼称が実に似合う人だった。単に負け続けただけの監督ならば、此れ程強烈に印象に残る事は無いだろう。類い稀なる指揮能力、そして魅力的な人柄が在った上での「悲運」だからこそ、忘れられない野球人の1人なのだ。
昨夜、西本氏の訃報を伝える「すぽると!」(動画)では、先週土曜日に日本シリーズに付いて語っている西本氏の姿が映し出されていた。少し痩せた感じは在ったけれど、御元気そうだったのに・・・合掌。
*1 「くしゃみしてるピッチャー、多いんじゃないかな。」という「コンタック600」のCM(動画)が忘れられない。