小泉首相が靖国神社を参拝した。首相という立場で在る以上、個人的には靖国参拝を避けた方が良いと思っている(その理由に付いては、以前「初参拝」という記事及びそのコメント欄で書かせて戴いた。)のだが、此処ではその是非を書こうと思っている訳ではない。何故この時期に行ったのかが引っ掛かっているのだ。
「念願だった郵政民営化法案が可決&成立し、来月からの外交日程を考えると、このタイミングしかなかったから。」とか、「同日から秋季例大祭が始まったから。」という理由が巷間言われているが、それよりも他の理由が在ったのではないだろうか。
定期的にパフォーマンスをして存在をアピールしているだけのファイヤー議員(自身のブログにもかなり批判が集まっている様だが。)よりは未だましなのかもしれないが、同様にパフォーマンスが御得意な小泉首相。彼がサプライズな言動を為した際には、大概何か裏が在る。自分が思うに、今回のパフォーマンスは今週末に投開票される参院・神奈川補選の為ではなかったかと。
今回、自民党公認候補として出馬している川口順子元外相(肝心要な時には表に出て来なかった、単なる英語の上手いだけの人というイメージしかない。)。小泉首相の大の御気に入りの彼女は、下馬評で一歩リードしているとはいうものの、先般の自民党圧勝劇に不安を持つ有権者の”揺り返し”が無いとは言えない。そこで、「仮想敵を作り上げて自らに利する状況とする」という、何時もの小泉パフォーマンスで引き締めを図ったのではなかろうか。
靖国参拝によって当然起こるで在ろう中国や韓国からの反発。それに対して、「内政干渉だ!」という国民の声を喚起し、他国にも強い姿勢で臨む小泉首相&自民党を猛アピールする事で、自民党公認候補への票を上積みしようと意図したのでは?
深読みに過ぎるかもしれないが、長期的なヴィジョンや深い思慮を感じられず、その場その場の思い付きでの言動をどうしても感じてしまう小泉首相なので、そんな気がしてならない。
「念願だった郵政民営化法案が可決&成立し、来月からの外交日程を考えると、このタイミングしかなかったから。」とか、「同日から秋季例大祭が始まったから。」という理由が巷間言われているが、それよりも他の理由が在ったのではないだろうか。
定期的にパフォーマンスをして存在をアピールしているだけのファイヤー議員(自身のブログにもかなり批判が集まっている様だが。)よりは未だましなのかもしれないが、同様にパフォーマンスが御得意な小泉首相。彼がサプライズな言動を為した際には、大概何か裏が在る。自分が思うに、今回のパフォーマンスは今週末に投開票される参院・神奈川補選の為ではなかったかと。
今回、自民党公認候補として出馬している川口順子元外相(肝心要な時には表に出て来なかった、単なる英語の上手いだけの人というイメージしかない。)。小泉首相の大の御気に入りの彼女は、下馬評で一歩リードしているとはいうものの、先般の自民党圧勝劇に不安を持つ有権者の”揺り返し”が無いとは言えない。そこで、「仮想敵を作り上げて自らに利する状況とする」という、何時もの小泉パフォーマンスで引き締めを図ったのではなかろうか。
靖国参拝によって当然起こるで在ろう中国や韓国からの反発。それに対して、「内政干渉だ!」という国民の声を喚起し、他国にも強い姿勢で臨む小泉首相&自民党を猛アピールする事で、自民党公認候補への票を上積みしようと意図したのでは?
深読みに過ぎるかもしれないが、長期的なヴィジョンや深い思慮を感じられず、その場その場の思い付きでの言動をどうしても感じてしまう小泉首相なので、そんな気がしてならない。

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結局のところ、中国、韓国、北朝鮮(あえてアジア諸国とはいいません)からいろいろ言われるのは、A,B,C,級戦犯が祀られているからなのでしょう。
彼等戦犯者を、国の意志でもって靖国から排除するのは、それこそ政教分離の原則に反するような気がします。
このような自由を制限するためには、厳格な基準が必要でしょうから。
首相の参拝を違憲だとする意見もありますが、靖国参拝を違憲としちゃうと、首相は、初もうでも、結婚式も、葬式も、ひょっとするとクリマスパーティーも行けなくなりますね。
別にこれは、極論ではありません。
靖国参拝だけ違憲とするならば、靖国参拝だけ違憲だという『法的根拠』が必要になるのですから。
人の自由を制限するならば、それなりの『法的根拠』が必要です。
いろいろな感情を考慮した考えも必要ですが、そこまで考えないといけない複雑な問題であると、私は考えています。
4月の反日デモは確かに酷いものでした。bp様も書かれている様な妙さ加減が見受けられ、言葉は悪いのですが「デモをしている”自分に酔っている”輩」が結構居た様に思いました。あれじゃあ、デモというよりも単なる破壊行動に過ぎないと思います。ですから、あの時の映像を唯垂れ流しているだけの様な日本のマスメディアの姿勢には、自分も疑問を感じました。
上で通りすがり。様へのレスとして書かせて戴いたのですが、中国&韓国の反発姿勢に関しては、「中国&韓国政府の反発」と「中国&韓国の国民の反発」という2つに分けて考えるべきではないかと思っています。詳細は重複しますので此処では書きませんが、政府サイドの思惑に、政府への国民の不満をガス抜きする為の”仮想敵”を作り上げるという部分も当然含まれているでしょう。本音の部分では日本と致命的な対立をしたくないというのが在り、だからこそ今回は反日運動の取締りを行ったりしている訳ですよね。その辺は、仮想敵を作り上げて支持率を高めている何処ぞの首相と同じ匂いを感じます(笑)。
少しbp様と見解を異にしてしまうのが、「譲歩」というものに付いて。自分も昔は、百戦錬磨の外国に対して譲歩は何の意味合いも持たないと思っていたのですが、少なからずアジア諸国との仕事上の遣り取りをして感じたのは、譲歩が全く効果を為さない訳でもないなあという事。勿論、一方的に譲歩だけをしているのであれば、なめられるだけでしょうが、「押し引き」の中で譲歩というのがそれなりに機能するというのを痛感しました。一般ビジネスと国の交渉事を全く等しく論じるのもどうかとは思いますが、やはり譲歩も時には大事かと思うんです。
唯、これも上記した様に押し引きが在った上での譲歩で在り、その意味で今回小泉首相が強行したのは、何時も引いていたばかりの外交の中で、押しを見せたという事では在るのかもしれませんが、これも何度か書いているのですが、どうしても長期的なヴィジョンや深い思慮の元に行ったのではなく、単なる自らの”美学”を全うしたいという部分が前面に感じられてしまうのが、個人的には危うさを感じてしまう所なんです。
マスメディアが一方向に世論誘導しようとしがちな事に関しては、自分もbp様と同様に嘆かわしさを感じます。
結局参拝も国際政治には何のインパクトもありません。中国政府は奥田会長と事前に会談し日本企業が逃げないように要請しています。反日の運動もとりしまりました。韓国に至っては日本側が頼みもしないのにキャンセルすると言っていた首相訪日を撤回しています。
こういう事例はマスコミが如何に低俗であさはかな見方しか出来ないか、の証明だと思っています。生放送までして如何にも大きな事件のように取り上げる。最近マスコミのレベル低下が本当に激しいと思っています。
4月の反日デモがそうでした。参加者達は携帯や電子メールで参加を呼びかけ日本製のデジカメをもって参加し翌日には日本車に乗ってイトーヨーカドーへ買い物に行っていました。中国の一人当たり国民所得が日本の30分の1だということを考えれば、デモ参加者はほんのごくひと握りの超々大金持ちであり、かつ反日は日々の生活態度とは全く関係無いことも明白です。それを日本のマスコミはあたかも中国国民全員が反日のように報道しました。そのような報道姿勢は事実を見てない点で報道機関として失格のみならず、不当に両国関係を貶めるものとして本当に不幸な姿勢だと思います。大半の中国人は山西人や香港ディズニーの人達のように生きるのに精一杯なのです。
最後に、私も含めて日本人がいつも勘違いするのは、日本的なものが海外でも通用すると思ってしまうことです。日本人は『譲歩』が交渉における最大の武器(「俺がこれだけ折れたんだからあんたも少しはこっちの言う事を聞いてくれ」)だと思っていますが、海外においてはこちらから譲歩しても「Thank you」で終わってしまい相手の意思決定には何の影響も与えません。マスコミの人達は海外の経験が長いでしょうから、その程度の基本的なこと(特に政府間の交渉事においては)はわかっていると思います。それをわざと報道しないのも報道機関として失格でありかつ日本人を誤った方向に導くものとして本当に嘆かわしいと思います。
補足ですが、「やなぎだくにお」氏には同音読みの著名人が併せて3人おられます。私が読み漁っているのは、ノンフィクション作家&評論家の柳田”邦男”氏で、その他にジャーナリストの柳田”邦夫”氏、そして民族学者として名高い柳田”國男”氏が居られます。
柳田邦男氏の作品で御薦めは、「事実の核心」や「事実の素顔」、「事実の考え方」等の事実シリーズです。
今後も幅広いジャンルへの55さんの様々な見方を楽しみにしています。
皆様からの書き込みを拝読させて戴く度に感じるのは、本当に良く勉強されているなあという事。恥ずかしい話ですが、自分の場合は特定の思想家の書物に傾倒した事どころか、系統だった思想形成をして来た経験が皆無なんです(^o^;;;。ですから、「単なる中年のおっさんの戯言」と開き直って書いている次第です。
強いて言えば、自分の思想形成に大きく寄与したのは、手塚治虫氏の存在だったと言えます。氏の作品から森羅万象、あらゆる事に興味を持つ様になったと同時に、物事を真正面から見るだけでは不充分であるという事を学びました。報道される事をそのまま受け容れるのでは無く、「先ずは疑ってかかり、検証し、そして正しいと思われた物を自分の中に取り入れる。」というスタイルです。そして、ノンフィクション作家の柳田邦男氏(http://964.jp/Z3d1)の影響も少なくないかもしれません。
冷戦構造が崩壊してかなりになる今、こんな分け方をするのも陳腐かとは思いますが、所謂「右」や「左」の論客の書物も興味が赴くままに読み漁って来ました。勿論、中庸的な内容も含めてです。兎に角、書物も新聞も、思想方向に無関係に濫読して来て、自分の”肌”に合った部分を自分の中に取り入れて来たというのが正直な所です。
で、もう一つお伺いしたいのですが、55さんがそのように考えるように至ったバックボーンといいますか、よくお読みになる本や作家を教えていただきたいのです。
私の書いた内容をお読みになればすぐお解かりかと思いますが、私は石原慎太郎や福田和也などを愛読しています。で、読んでいる間はその通りだと思うのですが、読後しばらくすると、やはり微妙な、中庸を求める気持ちが湧くのです。
本屋にいることだけで幸せを感じるのですが、なかなかジャストミートする内容に巡りあえません。
ま、合う合わないはあるとは思いますが、参考としてお教えいただければ幸いです。
”外交カード”として何度も靖国問題を切って来る中・韓政府の遣り方には腹立たしさを覚えますが、日本の政治家達にもきちんとした”理論”に基づく主張が無かった事も相手側に付け込む隙を与えたとは思います。(私腹を肥やす為に売国奴的な動きをしていた政治”屋”は論外ですが。)その意味では、小泉首相の靖国参拝は明確な主張と言えるのかもしれませんが、何度も書いた様に彼に長期的なヴィジョンと深い思慮が感じられない所が不安なんですよね。
以前にも書いた事なのですが、「ハッキリとは言わずに曖昧さを残す事で、相手を傷付けない。」とか「死者に鞭を打たない。」という日本人の美意識が、結局の所近年になって悪い意味でドッと出て来ている様に感じます。前者で言えば、交渉事を先送りする形で延ばし延ばし来たツケが一気に出た。後者で言えば、疑獄事件等が起こった際、誰かが人身御供の形で自殺する(させられる)事で、徹底追求を止めて有耶無耶にし、問題の根が絶たれる事無く、繰り返し同じ様な事が起きるという流れ。こういう事を改めていかないと、日本は駄目になってしまうのではないでしょうか。
ですから、「押すべき所は押す。」という通りすがり。様の御意見は判らないでもないんです。唯、重複しますが、押し通すにしても、一国の首相としては深い思慮と落とし所を充分詰めた上で為さないととんでもない事になってしまうという懸念が自分には在ります。
でも!どうにも胸のつかえがすぅっとこないのですよ。
恐らく、対中・韓よりもこちら側の為政者やマスコミに対するいらだちなのかも知れません。
沖縄が返還された時に明らかに魚釣島も含む地域が日本の領土とされたのに、明確にそれを宣言できない官僚や為政者。そしてデリケートな問題だから先送りしようという中国案を諸手を上げて評価した多くのマスコミ。
で、先送りした結果が、あの国の独善的な開発を許してしまい、抗議しますとしか言えない現状。
さらに沖ノ鳥島は島じゃないからあそこは公海だと言い出して、領海侵犯を繰り返す様子を眺めていると、じゃあ日本の主権はどうなっているの?なぜ政治家が体を張ってでも阻止しないの?という気になってしまうのですよ。マスコミもくだらないスキャンダルを追う暇と金があるのなら、日本を取り巻く現状をもっと切実に訴えるべきじゃないのかと。
だからこそ、国益という名の下、相手の言うことややることを検証もせずに、自国の総理を時には揶揄するようなマスコミの姿勢に辟易すると共に、危険ささえ感じてしまうのです。
記事や原稿を書いてる人は、間違いなく私なんかよりも知識を持つ人でしょう。そういった人たちが、なぜ国益国益と通り一遍に騒ぐのか。妥協して得る国益の陰に、蔑みや、組みし易しと思われることの重さがあるのではないでしょうか。
決して中・韓と同じ土俵にあがって、かの国の国旗を燃やしたりしようというのではありません。
押すべきところは押さないと、いつまでたってもつけこまれる図式からの脱却が図れない不透明さと共に、国としての尊厳をもっと大事にして欲しいという思いなのです。
自分で書いていて驚いたのですが、私は小泉支持じゃありません。なんか信者のようでちょっと気持ち悪くなりました。ことは、あの人を超えて、もっと大きなもののような気がします。
「理解は出来るのだが、どうにも引っ掛かってしまう。」という御気持は良く判ります。と言うのも、一人の日本人として、通りすがり。様が書かれておられる様に、歴代の首相や天皇が何度も謝罪を行っているのに、もうこれ以上どうしろって言うんだ!という思いは自分も在るからです。
思うのですが、「中国&韓国政府の反発」と「中国&韓国の国民の反発」というのは分けて考えるべきではないでしょうか。つまり、中国&韓国政府の反発というのは、反発という形を取る事で何等かの”見返り”を求める外交テクニックの色合いが強く、中国&韓国の国民の反発は、各々の政府による歴史教育の影響が大きい事も然る事ながら、”実際に”身内(かなり広範囲な場合も含め。)が日本によって酷い目に遭ったという事から来る、政府レベルの反発と比べると”純粋な”反発という色合いが強いのではないでしょうか。
又、翻って日本側の事を考えると、歴代首相や天皇が謝罪を行って来た一方で、政治家達の余計な一言が相次いで来た事が、相手に付け込む隙を与えている様にも思います。この一言が、「南京大虐殺に付いては、中国政府が挙げている様な”白髪三千丈”的な犠牲者数は在り得ない。」というものならいざ知らず、「南京での虐殺行為はゼロ。」といった極端過ぎるものが多かった事が問題だったと思うのです。
自分は過去に知覧特攻平和会館やひめゆり平和祈念資料館、広島平和記念資料館等、戦争に纏わる場所を幾つか廻って来ました。どの様な形で在れ、御国の為に命を失った方々の記録を前にして、何度も滂沱しました。彼等&彼女等の記録から感じられるのは、とてつもない死の恐怖と向き合い、そして愛する者達の為に亡くなっていったピュアな心でした。ですから、小泉首相が知覧特攻平和会館で涙したのも、一人の人間としては非常に良く理解出来ます。唯、小泉純一郎は一人の人間である前に、全ての日本人の命運を握った首相という立場を意識すべきだろうと自分は思うのです。戦没者の尊厳を守る事は大事な事です。でも、首相という立場で在れば、己が心の中でその尊厳を守り通しながら、日本及び日本人の為になる最良の道を選択して行く必要が在ると思うのです。
今回の靖国参拝という行動が、その意味で最良だったのか、意見は分かれる所でしょうが、一国のトップとしては日本及び日本人にとってベストと思えば、”腹芸”も非情さも時には必要と思われ、敢えて挑発めいた事をすべきではなかったのではないかという思いがどうしても残ってしまいます。
それと日本政府は、中国&韓国政府の様に感情的にならずに、ODA等の形でどれだけ両国の繁栄の為に尽くし来たか等を、”理性的に”アピールして行く事も必要かと思います。百戦錬磨の相手(これは両国民というよりも、両国政府という意味合いですが。)に、同じ土俵で相撲を取る事はないと考えています。
なんとかしてごまかしたい一心なのが、(赤い貴族)現中国共産党幹部なのでしょう。
その為には何でも利用したい....中でも一番分かりやすいのは、大日本帝国主義に対する人民のアレルギーです。....かと言って、中国も完全に国交を断絶するまで日本を敵にまわす事はしたくないし出来ない...。
『両国の国益』を考えるならば、中国は人民の目を国外の敵に向けさせておく事で、『経済発展や社会秩序を安定』を図る....そして日本はその恩恵に与るわけで、そう考えると靖国参拝は中国政府と小泉さんとの密約によるパフォーマンスと思えなくもないです。
だって、今の世界にとって中国が内乱でクラッシュすることは最悪のシナリオでしょう?
中・韓はしきりに謝罪をしろと叫んでいました。過去の総理が何度も謝罪してるのに。で、今年も小泉総理が謝罪の言葉を述べました。それを受けてのかの国のコメントは、「言葉だけではなく態度で示しなさい」というものでした。もうこの時点で対等な関係じゃないでしょ?先生と生徒の会話のようだと感じました。国交正常化の時に、名前こそいろいろだったようですが、多額の賠償金を受け取って過去を清算したんじゃなかったんですか?
いつまでも先延ばしにせず、もうケリをつけてほしいのですよ。盛んにわが国に対して軍国化を懸念するとコメントしてますが、お前に言われたくないよ、という気分は誰もが感じているのではないでしょうか。
振り返って日本の過去に目を向けると、私などよりもはるかに若い青年たちが「靖国で会おう」と言って、時には高揚させるために覚せい剤まで打たれながら、敵艦に突っ込んでいったという事実は変わりようがありません。そう考えると、靖国以外の慰霊場所を、などという案は、死んで行った青年の想いをまるで無視した逃げでしかないように思います。
譲るべきところと譲ってはいけないところがあるとしたら、靖国は譲ってはいけないところではないでしょうか。千鳥が淵では毎年戦没者を悼む式典が開かれて、国を挙げて祈りが捧げられているのですから。
通りすがりとは書きましたが、かねてからブックマークして拝読していました。楽しみにしてます。
国益という言葉が多く意味する所は、通りすがり。様が御指摘しておられる様に経済面となるのですが、他にも国防や文化交流といった面も含まれると思うんです。以前にも何度か書いたのですが、中国や韓国の主張している事柄には、納得出来る所も在りますが、疑問を感じずにはいられない所も多々在ります。内政干渉とも思える事を主張する一方で、東シナ海での天然ガス田開発を進めていたり、竹島を不法占拠したりと、身勝手極まりないなあと憤りを感じるのは事実です。又、戦争という或る意味”非日常”な世界に於いて、平常時の理屈を当て嵌めるのはどうかという思いも確かに在ります。
とは言え、戦争という世界は勝者の理屈が全て「正」となり、敗者の側にどれだけ正義が”在ったとしても”、敗者になった以上勝者の理屈を甘んじて受けざるを得ないというのが、これ迄の流れですよね。これは、日本が勝者になった時にも同じ理屈で敗者に対峙したと思います。
中国等が主張する戦争被害には、”白髪三千丈”的な無理の在る部分も確かに在ります。でも、実際に従軍した日本人の証言(後藤田正晴氏等。)を検証すると、靖国神社が製作したビデオ等で主張する「日本兵は一人たりとも現地人を惨殺しなかった。」というのも、同様に無理が在ると思うんです。自虐史観はウンザリですが、さりとて過去の事実と真摯に向き合い、反省すべき点はきちんと”認識”した上で、前向きな友好関係をどう構築して行くか考えて行く事が大事ではないかと。
前振りが長くなり過ぎて申し訳在りませんが、中国等は日本と比べると交渉事に於いては百戦錬磨の相手です。相手の挑発に乗っかって、日本の側も挑発するというのでは、敵の術中に陥るだけではないかと。国防等、明らかに他国の干渉を受けるべきものではない件に関しては、自国の主張を毅然として行ない、干渉を突っ撥ねるのは当然。しかし、靖国参拝という小泉首相の私情の部分に負う事柄に関して、”敢えて”挑発を行う事が日本の国益(この場合の国益は経済的な部分も在りますが、それ以上に相手を無意味に刺激して余計なトラブルを背負い込むという国防的な意味合いでのデメリットを考えているのですが。)にとって意味在る事なのだろうかという事なのです。
極論すれば、日本国民全員が”自由意志”に基づいて靖国参拝した場合に、中国等がどういう言うのは明らかに内政干渉です。でも、立場が首相という人間が参拝する事は、法律的&感情面を考慮した場合、国益(意味合いは上記したのと同じです。)に適わないと思うのです。
前記しましたが百戦錬磨の相手ですので、真正面からぶつかるのではなく、首相が参拝しない事で”貸し”を作ったりという”腹芸”的なものも外交には必要ではないかと。勘違いして戴きたくないのは、戦火に倒れた方々を外交の具にし、軽んじているというではない事です。これも前に書いたのですが、”真に”戦没者を悼む気持が在れば、四六時中何処でも悼める訳ですし、借りに靖国参拝しなかったからと言って、首相の心の中の悼む気持が消滅する訳では無い筈。人の心の中迄は縛れません。刀を収めて、”実利”(経済的な意味だけではなく。)を取るというのも、一国の首相として大事なのではないでしょうか。特に相手は権謀術数が渦巻く国ですから(笑)。
小泉首相に深慮遠謀が在った上で靖国参拝をしたというので在るのかもしれませんが(恐らく無いと思いますが。)、そうなると今度は靖国神社に市井の戦没者が祀られていないという特異性が引っ掛かる所です。そこ迄私情を貫徹するので在れば、”最低限でも”「無名戦士の墓」と言える千鳥ヶ淵戦没者墓苑も同時に参拝しないと片手落ちではないかと感じもします。
何か纏まりの無い文章になってしまって申し訳在りません(^o^;;;。
これからも宜しく御願い致します。
靖国参拝すりゃキャンセルになるなと…
でも、いつものようにやれば、国内のIQの低い、馬鹿どもが騒ぎ出すよな。
じゃぁ、純ちゃん、俺が、靖国と打ち合わせに行くわ。どうすれば、違憲判決と思っている連中を誤魔化せるかさぁ~by飯島
って、妄想してます。
最大の点は、巷間良く目にする「国益」という点です。議論の的になるのは経済面ばかりですよね。敗戦以来その経済的な国益を優先して今がある我が国ですが、様々な閉塞感に満ち溢れていませんか。国が追い求めるものが経済的な利益だけでいいのでしょうか。
そもそも、国益を損なうと主張する方たちは中・韓が声高に叫ぶ内容を、もっともだと思ってらっしゃるのでしょうか。相手の言うことを検証せず、身内の姿勢ばかり批判するマスコミのありかたに疑問を感じないのでしょうか。
もっと思うところはありますが、論旨からずれてしまいそうなのでこの辺で。ちなみに私は右翼でも、思想家でもない一サラリーマンです。
以前にも何度か書いた事なのですが、故人に対して畏敬の念を持つ事は大事だと思いますし、ましてや祖国の為に準じた方々を悼むのは人間として自然な事だと思っています。そして、他国に阿たり、卑屈になる必要も全く無いと思っています。
しかし、一国の首相が内外的に法律面&感情面で少なからずの問題が在る状態で靖国参拝を強行するのは、個人的には避けた方が好ましいと思うんです。首相としての立場で言動する事の影響と国益のバランスを考える必要が在ると思うんですね。
それと、靖国神社という場所の特異性も考える必要が在るのではないかと。あそこは英霊が祀られている所で、その英霊という概念の中に、戦争で亡くなった市井の人々は含まれてないと聞きます。戦地に赴いて亡くなった軍人だけが英霊で、銃後の民として国内で御国の為に”戦って”亡くなった一般人はあそこに祀られていないとなると、靖国参拝だけで済ませてしまうのは片手落ちというか、単なる遺族会へのパフォーマンスに過ぎないのでは?という気持が強くなるんです。
国会答弁を見ていても、自分の関心の在る事に付いてはツラツラと述べる小泉首相も、他の事柄(仮に関連事項で在っても。)に付いては、判で押した様な好い加減な答えになってしまう所に、どうしても総合的な深い思慮に基づいて言動しているという気がしないのも、「この人は長期的なヴィジョンや深い思慮の元に、”落とし所”を考慮した上で言動している訳ではないな。」と思えてしまい、不安を掻き立てられる所です。
祖国に殉じた先達たちに一国の長が敬意を表すること自体は当然の事であると思いますね。
政争の道具にされかねない危惧はありますが・・・・。
私の一族には大東亜戦争で戦争指導に当たった者も、
一兵士として辛酸を舐めた者も居ります。
靖国の地には瓦解以来の多くの英霊が奉られております。
この国の歴史を観るに、
この方達の存在を消し去ることはできません。
なぜなら、
それはこの国の歴史を否定し、
民族を否定することになるからです。
先の大戦から半世紀を越えた今だからこそ、
歴史は正しく評価されるべきだと思います。
一国の首相がその国の戦没者に黙祷することを、
極当り前のものとして受け入れられない世論を悲しく思います。
路傍の石仏に自然と手を合わせるように、
さりげなく参拝してくれないかなぁ
そう思うのですね。ハイ!
マスコミが騒ぐほどに国民は関心を寄せてはいないんじゃないかなと思います。
今回の参拝の是非はおくとして、問題山積の中でこれが「行動力」かと思うと笑うしかありません。。