Be a baller 。2019/03/16 に公開。【なぜ強い?】八村塁がいるゴンザガ大学ってどんなチーム?
(注1)Gonzaga University502 East Boone AvenueSpokane, WA 99258
https://www.gonzaga.edu/athletics
富山県出身の八村塁(21=ゴンザガ大)が米プロバスケットボール、NBAのドラフト会議でウィザーズから日本人初となる1巡目、全体9位で指名された。ドラフトから一夜明けた21日(日本時間22日)には本拠地ワシントンDCのキャピタルワン・アリーナで入団会見を行い、流暢な英語で意気込みを語った。会見を取材したワシントン・ポスト紙のウィザーズ担当キャンデス・バックナー記者に話を聞いた。大方の米メディアの大方の予想を上回る全体9番目の指名。「驚いたと言えますね」と率直な感想を口にしたバックナー記者は、その理由を「(編成部門副社長の)トミー・シェパードとブルックス監督は『ルイが我々のターゲットだった』と話していましたが、個人的には、(主力ガードの)ジョン・ウォールをけが(左アキレス腱断裂で来季復帰は未定)で欠く状況からチームにはポイントガードが必要だと思っていました。ルイの名前は予想外でした。ウィザーズにとって彼は一番必要なポジションの選手ではなかったですから」と説明した。 しかし、ドラフト会議後のシェパード副社長への取材や入団会見で指名の意図を聞くうちに同記者も納得した様子。「チームには即戦力となる選手が必要。素晴らしい育成プログラムをもつ大学で3年間プレーしてきた彼の指名は理にかなっている」と言った。会見での八村の姿はどのように映ったか。「とても自信に満ちあふれていますね。報道陣を前に落ち着いて発言しているのを見て驚きました」とバックナー記者。比較の対象に挙がっている今季の覇者ラプターズをけん引するカワイ・レナードについて八村が「彼のプレースタイルは好きですし、多くの部分で似ている」と発言したことにも触れ、「彼は謙虚で物静かな性格なんでしょうが」と、その大胆さに驚きを見せながらも「自分はNBAでプレーすべき選手だという気持ちが見えたのはよかった」とも話した。 今季のウィザーズはウォールの離脱の影響もあり、32勝50敗で東カンファレンス11位に沈み、上位8チームが進出できるプレーオフを3年ぶりに逃した。来季について同記者は「今後、チームはFA選手の獲得に関して多くの決断をしなければいけない。このままでは厳しいシーズンになるでしょうね。十分な補強資金のない状況でどう動くのか興味深いですね」と解説した。出典:6/23(日) 14:18配信。ディーリー。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190623-00000070-dal-spo&pos=3
宮城で腕を磨いた若者が世界最高峰のリーグに挑む。米ニューヨークで20日(日本時間21日)にあった米プロバスケットボールNBAドラフト会議で、宮城・明成高出身の八村塁(21)が日本人として初めて1巡目で指名された。高校時代を知る恩師らは快挙を喜ぶとともに、今後の活躍を願った。 「まさか全体9位なんて」。明成高の佐藤久夫監督(69)は高い評価に驚きの表情を浮かべた。ドラフト終了後に電話をもらい、思わず涙を流してしまったという。 八村は富山市の中学校を卒業後、仙台高などで全国高校選抜優勝大会を3度制した名将の下でプレーしようと宮城へ来た。
入学直後は控えめな性格が目に付き「ハングリーになれ」と説き続けた。2年になるとチームの大黒柱に成長。「つまずけばつまずくほど努力を惜しまなかった」と振り返る。 在学中は全国高校選抜優勝大会3連覇を果たした。「(八村)塁と出会えて幸せな3年間だった。体を壊さず頑張ってほしい」とエールを送った。
高校時代に外部コーチとして指導した仙台大の高橋陽介准教授(39)は、ゴンザガ大進学後も支えた。最初は英語が不得手で監督との意思疎通もままならなかった八村を、メールで励まし続けた。 「1年ごとにステップアップして中心選手に育っていった」と高橋准教授。4月のNBA挑戦表明後は「一人の大人としてやっていく」とメッセージが届いた。「大変なときも笑顔で頑張っていた。周囲にいい影響を与えられる選手になってほしい」と願った。 Bリーグ2部仙台の白戸大聖選手(24)は、明成高で2学年上の先輩として一緒にプレーした。「最初からタメ口交じりで生意気だったけど、かわいらしくて憎めないやつだった」と懐かしむ。「あいつならNBAでもできる。頂点を極めてほしい」と話した。出典:2019年06月22日土曜日<八村塁>NBA1巡目9位指名 快挙 宮城も歓喜 恩師ら活躍期待https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201906/20190622_14016.html
入学直後は控えめな性格が目に付き「ハングリーになれ」と説き続けた。2年になるとチームの大黒柱に成長。「つまずけばつまずくほど努力を惜しまなかった」と振り返る。 在学中は全国高校選抜優勝大会3連覇を果たした。「(八村)塁と出会えて幸せな3年間だった。体を壊さず頑張ってほしい」とエールを送った。
高校時代に外部コーチとして指導した仙台大の高橋陽介准教授(39)は、ゴンザガ大進学後も支えた。最初は英語が不得手で監督との意思疎通もままならなかった八村を、メールで励まし続けた。 「1年ごとにステップアップして中心選手に育っていった」と高橋准教授。4月のNBA挑戦表明後は「一人の大人としてやっていく」とメッセージが届いた。「大変なときも笑顔で頑張っていた。周囲にいい影響を与えられる選手になってほしい」と願った。 Bリーグ2部仙台の白戸大聖選手(24)は、明成高で2学年上の先輩として一緒にプレーした。「最初からタメ口交じりで生意気だったけど、かわいらしくて憎めないやつだった」と懐かしむ。「あいつならNBAでもできる。頂点を極めてほしい」と話した。出典:2019年06月22日土曜日<八村塁>NBA1巡目9位指名 快挙 宮城も歓喜 恩師ら活躍期待https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201906/20190622_14016.html
富山市出身の八村塁(21)が日本人初のNBAドラフト1巡目指名を受けた21日、同市奥田中時代のコーチ、坂本穣治さん(59)は、インターネット中継でその瞬間を見届けた。指名の約2時間半後、坂本さんの携帯電話が鳴った。表示されたのは海外からの着信を示す「通知不可能」。電話から聞こえてきたのは八村の声で、「全てがコーチから始まりました。コーチのおかげです」。感謝の言葉を掛けられた坂本さんの目に、涙があふれた。 中学でバスケを始め、体格の良さや身体能力の高さが際立っていた八村に、坂本さんは入部当初から「頑張れば将来、NBAに行けるぞ」と繰り返した。思春期を迎え、肌の色が同級生と違うことなどを思い悩む八村に、さまざまな人種がいる米国の社会について教え、少しでも心を軽くしてほしいと思ったという。 八村は真っすぐにその言葉を受け入れ、世界最高峰リーグを志した。「NBA」は2人の合言葉になり、練習中に坂本さんが「そんなんでNBAにいけるか」と言うと、八村は発奮。成長を遂げていった。 21日はその夢が現実のものとなった。坂本さんは自らが経営する富山市粟島町の塗装会社の事務所で中継を見ていた。指名された八村が会場でのインタビューで「まず中学のコーチに感謝したい」と言ったのを聞き、「たまらなくうれしい」と涙した。電話の際には、受話器の向こうの八村も涙声だったという。 「偶然の出会いから、素晴らしい選手と関われた」と坂本さん。快挙の裏には師弟のつながりがあった。■馬場「しっかり活躍して」 富山市奥田中学校時代のチームメートをはじめ、県内の関係者らも八村の快挙に喜びの声を上げ、世界最高峰の舞台での活躍を願った。出典:2019/06/22 00:25。北日本新聞。たまらなくうれしい… 電話で師弟感涙 八村NBA指名://news.goo.ne.jp/article/kitanihon/region/kitanihon-114879422.html