なんてかっこいいタイトルをつけてみる(笑)
僕のパラ卓球活動もついに10年目を迎えた。
もうそんな時間を過ごしたのかと思うけれど、10年も経ったのに未だこんなものかと思ったりもする。
逆に、10年もの時間を費やしたからこそ、「あぁ、あの人が言ってたのはこういうことか」と実感出来た瞬間もある。
でも、今強く思うのは、まだまだ学ぶことは数多あり、これまでの歩みに対し進むべき道のりはまだまだ何十倍も長いということ。
コーチ陣をはじめ僕を支えてくれる専門の方々は日々新しい学びを提供してくれる。
いや、正確には提供ではなく、その気づきを与えてくれるといった感じか。
いわば方向性を提案してくれるような感じで、そのうちどれを選択するか、そしてどのように進んでいくのか、それを判断するのは自分でしかない。
自分で考え、自分で判断し、自分の足で歩んでいくからこその道であり、それが自分の人生だと思っている。
そうやって歩んできたつもりでいる。
周囲からはいろんな声が聞こえてくる。
いろんな情報を提供いただく。
それはありがたく頂戴し、情報という財産としてストックしておく。
でも、どの方向へ進むのか、どのように歩むのか、その判断は自分で行う。
その判断が人と異なっていても、セオリーから大きく外れていても、そんなことは関係ない。
例えその道が遠回りで効率的ではないように見られたとしても、自分にとってその選択が最も効率的だと思えるのであれば、人からどう言われようと胸を張ってその道を進む。
「あぁやっぱり違ってた」
と思ったなら、その時はそれこそ胸を張って変えればいい。
それが軌道修正だし、それまでの判断が例え失敗だったと気づいても、自分で決めてやったことであれば、その失敗から大いに学ぶことが出来、その失敗もまた経験という財産となって一生の宝物として残る。
だけど、人に言われたからとその言葉を鵜呑みにした判断を繰り返していたら、人生というその道を進み続けた先で「あれ?なんでこんなところにいるんだろう?」となってしまうかもしれない。
そんなのは嫌だ。
だから、僕は人にどう言われようと自分で考え自分で決めた道を進みたい。
その結果、今自分が立っている位置がここだ。
このブログでも繰り返し言っているけど、僕は本当に人に恵まれている。
その方々から良いヒントを得ている。
そうした方々の指導から、良い学びを得て、年齢に関係なく成長を実感できているし、自身の伸びしろがまだまだたくさん存在していることに喜びを覚える。
そうした方々がいたからこそ、気づけたことがあり、学べたことがあり、それが積み重なって今の自分がいる。
実にありがたいこと。
そうした方々への感謝はもちろん、そういう恵まれた自分に産み育ててくれた両親や祖父母にも感謝申し上げたい。
そしてこれからも成長という名の人生、歩みは続く。
新年の初打ちは良い感覚で迎えられた。
そしてすぐに迎えた最初の連休の合宿では、最初こそ良かったものの、どうも調子が優れない、パッとしないままで合宿を過ごした。
それが何故なのか?
どこに修正箇所があるのか?
どの様に取り組めばいいのか?
修正の前に、まずその模索から取り掛かる。
それが機械や自動車であれば直ぐに「故障個所」を特定し修理できる。
でも人間はそうはいかない。
例えそれが筋肉や骨といった物理的なものであったとしても、個人差(個体差)もあるので簡単なようで簡単ではない。
ピンポイントで見つけられたとしてもそこには感情も関係してくるから、その修正の結果や速度にもまた個人差が大きく生じると思う。
大変だ(笑)
とにかく、まず自分で考える。
そして、自分で行動する。
やってもらおうとしない。
助けてもらう、サポートしてもらうというのはあって然り。
でもそれを当然としない。
それを前提としない。
そこに甘えない。
障害を有するからこそ、社会のそうした手を当然のことと思いがちになるのかもしれない。
そうじゃない。
まず、自分でする。自分で考える。
自分で歩みだす。
その時点で、既に人生の分岐点を迎えているのだと思う。
修正箇所を見極め、修正するために努力をする。
それも全部自分。
そこに専門家のサポートがあれば心強い。
でも行動するのは自分。
やってもらうのではない。
合宿翌日からそこで得た課題の修正に取り掛かる。
幸いなことは、身体はちゃんと動いているということ。
健康でいること。
それが最もありがたいことであり、重要なことでもあると思う。
これも、両親や祖父母に深く感謝。
修正に取り掛かれば必ずしも直ぐに修正できるというものではないけれど、まずはこうして無事に修正活動に取り組めていることをありがたく思う。
違和感や不具合なく身体を動かし(といっても障害を有する身体なのだけれどw)、食事や睡眠も取れていて、そして活動する環境が整っていて、それをサポートしアドバイスをくれる方々が側にある。
ありがたいことである以上に、すごく幸せなこと。
この幸せを・・・独り占めする(笑)
というのは冗談ながら、でもそうしたいのは本音でもある(笑)
今年は自分の活動の傍ら、今まで以上に後塵の育成にも注力していきたい。
彼らをよりよい方向へと促してあげたいし、それを自分で判断し行動できる力を育みたいから。
でも今はとにかく自分のこと。
しっかりと修正を行って、次に備える。
そして、その次のタイミングをベストの状態で迎えられるように日々を調整。
全ては自分次第。
自分で考え、判断し、行動する。
でも僕は一人じゃない。
支えてくれる、応援してくれる方々が大勢いる。
その力を借りて、歩んでいく。
木を見て、森も見て、遠くの目標を見定めながらも足元も見逃すことなく視界にとらえ、一歩一歩前進していく。
車椅子だけど(笑)
年明け早々からいろいろ多くを学べている。
その学びを自分のものに出来るかどうか、正念場を迎えている。
しっかり頑張っていく。
僕のパラ卓球活動もついに10年目を迎えた。
もうそんな時間を過ごしたのかと思うけれど、10年も経ったのに未だこんなものかと思ったりもする。
逆に、10年もの時間を費やしたからこそ、「あぁ、あの人が言ってたのはこういうことか」と実感出来た瞬間もある。
でも、今強く思うのは、まだまだ学ぶことは数多あり、これまでの歩みに対し進むべき道のりはまだまだ何十倍も長いということ。
コーチ陣をはじめ僕を支えてくれる専門の方々は日々新しい学びを提供してくれる。
いや、正確には提供ではなく、その気づきを与えてくれるといった感じか。
いわば方向性を提案してくれるような感じで、そのうちどれを選択するか、そしてどのように進んでいくのか、それを判断するのは自分でしかない。
自分で考え、自分で判断し、自分の足で歩んでいくからこその道であり、それが自分の人生だと思っている。
そうやって歩んできたつもりでいる。
周囲からはいろんな声が聞こえてくる。
いろんな情報を提供いただく。
それはありがたく頂戴し、情報という財産としてストックしておく。
でも、どの方向へ進むのか、どのように歩むのか、その判断は自分で行う。
その判断が人と異なっていても、セオリーから大きく外れていても、そんなことは関係ない。
例えその道が遠回りで効率的ではないように見られたとしても、自分にとってその選択が最も効率的だと思えるのであれば、人からどう言われようと胸を張ってその道を進む。
「あぁやっぱり違ってた」
と思ったなら、その時はそれこそ胸を張って変えればいい。
それが軌道修正だし、それまでの判断が例え失敗だったと気づいても、自分で決めてやったことであれば、その失敗から大いに学ぶことが出来、その失敗もまた経験という財産となって一生の宝物として残る。
だけど、人に言われたからとその言葉を鵜呑みにした判断を繰り返していたら、人生というその道を進み続けた先で「あれ?なんでこんなところにいるんだろう?」となってしまうかもしれない。
そんなのは嫌だ。
だから、僕は人にどう言われようと自分で考え自分で決めた道を進みたい。
その結果、今自分が立っている位置がここだ。
このブログでも繰り返し言っているけど、僕は本当に人に恵まれている。
その方々から良いヒントを得ている。
そうした方々の指導から、良い学びを得て、年齢に関係なく成長を実感できているし、自身の伸びしろがまだまだたくさん存在していることに喜びを覚える。
そうした方々がいたからこそ、気づけたことがあり、学べたことがあり、それが積み重なって今の自分がいる。
実にありがたいこと。
そうした方々への感謝はもちろん、そういう恵まれた自分に産み育ててくれた両親や祖父母にも感謝申し上げたい。
そしてこれからも成長という名の人生、歩みは続く。
新年の初打ちは良い感覚で迎えられた。
そしてすぐに迎えた最初の連休の合宿では、最初こそ良かったものの、どうも調子が優れない、パッとしないままで合宿を過ごした。
それが何故なのか?
どこに修正箇所があるのか?
どの様に取り組めばいいのか?
修正の前に、まずその模索から取り掛かる。
それが機械や自動車であれば直ぐに「故障個所」を特定し修理できる。
でも人間はそうはいかない。
例えそれが筋肉や骨といった物理的なものであったとしても、個人差(個体差)もあるので簡単なようで簡単ではない。
ピンポイントで見つけられたとしてもそこには感情も関係してくるから、その修正の結果や速度にもまた個人差が大きく生じると思う。
大変だ(笑)
とにかく、まず自分で考える。
そして、自分で行動する。
やってもらおうとしない。
助けてもらう、サポートしてもらうというのはあって然り。
でもそれを当然としない。
それを前提としない。
そこに甘えない。
障害を有するからこそ、社会のそうした手を当然のことと思いがちになるのかもしれない。
そうじゃない。
まず、自分でする。自分で考える。
自分で歩みだす。
その時点で、既に人生の分岐点を迎えているのだと思う。
修正箇所を見極め、修正するために努力をする。
それも全部自分。
そこに専門家のサポートがあれば心強い。
でも行動するのは自分。
やってもらうのではない。
合宿翌日からそこで得た課題の修正に取り掛かる。
幸いなことは、身体はちゃんと動いているということ。
健康でいること。
それが最もありがたいことであり、重要なことでもあると思う。
これも、両親や祖父母に深く感謝。
修正に取り掛かれば必ずしも直ぐに修正できるというものではないけれど、まずはこうして無事に修正活動に取り組めていることをありがたく思う。
違和感や不具合なく身体を動かし(といっても障害を有する身体なのだけれどw)、食事や睡眠も取れていて、そして活動する環境が整っていて、それをサポートしアドバイスをくれる方々が側にある。
ありがたいことである以上に、すごく幸せなこと。
この幸せを・・・独り占めする(笑)
というのは冗談ながら、でもそうしたいのは本音でもある(笑)
今年は自分の活動の傍ら、今まで以上に後塵の育成にも注力していきたい。
彼らをよりよい方向へと促してあげたいし、それを自分で判断し行動できる力を育みたいから。
でも今はとにかく自分のこと。
しっかりと修正を行って、次に備える。
そして、その次のタイミングをベストの状態で迎えられるように日々を調整。
全ては自分次第。
自分で考え、判断し、行動する。
でも僕は一人じゃない。
支えてくれる、応援してくれる方々が大勢いる。
その力を借りて、歩んでいく。
木を見て、森も見て、遠くの目標を見定めながらも足元も見逃すことなく視界にとらえ、一歩一歩前進していく。
車椅子だけど(笑)
年明け早々からいろいろ多くを学べている。
その学びを自分のものに出来るかどうか、正念場を迎えている。
しっかり頑張っていく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます