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実を言うと、この半年間、まさに五里霧中の暗中模索の状態が続いていた・・・ように思える。
ストレスフルな状態だった。
ちゃんとやっているのに、頑張っているのに、どうも上手くいかない。
前に進んでいる手ごたえを急に失った感覚に襲われていた。
進めば進むほど、もがけばもがくほど、深みにはまっていくような気がしていた。
いろいろ考えて、分析し、試行錯誤を繰り返していたけれど、それで情報過多になってパンク寸前・・・と言えるならまだかっこいい。
けれどそう思える一方、必ずしもそうじゃないなと思う自分もあり、真逆に思える瞬間もあればまた違った視点で課題が見える時もあり、シンプルで明確な解決方法、脱出経路が見いだせないまま、五里霧中ならぬ五十里霧中を彷徨っているような感覚を覚えていた。
霧の中、視界を奪われた状態で前進すると、人は知らず知らずのうちにどちらかの方向に偏り、結果的に直線ではなく円軌道で前進すると高校生の時に教わったのを覚えている。
そして、自分の足跡を誰かの足跡だと勘違いして、それを辿ってひたすらに前進するけれどもちろん誰に追いつくはずもなく、霧の中で無限ループに陥り前進を続けていった結果、体力を失いその場で倒れてしまうという話だった。
これは登山時の話。
僕も、この半年間のモヤモヤとした霧の中をもがくように前進していたのだけれど(足跡は見えていない)、ふと「あ!」と気づく瞬間が訪れた。
それはいつものコーチとの練習の時だった。
コーチからいただいたアドバイスが半年前と全く同じものだったのだ。
「一巡した」
そう思えた。
それが嬉しかった。
それに気づけた自分が嬉しかった。
客観視出来ている。
積み重なっている。
手ごたえをしっかりと感じることが出来た。
一巡してまた同じ地点に戻ったのであれば、それは残念なことなんじゃないかと思われるかもしれない。
でも僕はそうじゃない。
貧乏性の僕は転んでもただじゃ起き上がらない(笑)
霧の中でも何かしらを得てきているから、もしこれが仮に無限ループだったとしても、次は同じラインではなく、より大きな弧線で円を描く軌道となる。
全く違った円軌道を描く自信がある。
根拠は無いけど(笑)
そうした霧の中からの脱出、そのきっかけはほんの些細な気づきから始まった。
そこからコーチやトレーナーたちのアドバイス、言葉が全く違って受け止められるようになった。
その結果、「あ!」となり、一巡したことに気づけたのだった。
僕の考える分度器の理論。
進むべき方向を見定めることが出来ることで、感覚が研ぎ澄まされるのだな。
とにかく、無事に観覧車を降りることが出来たのが喜ばしい(笑)
ただし、これで全てがクリア出来たって話ではない。
試合で勝つ、それがそもそもの目的だし、その為には様々なものが複雑に連動するパワーが必要となるので、それらすべてを成長させていく努力を怠ってはならないし、求める結果を得るためにはもっともっと積み重ねていかなければならない。
言ってみればスタート地点に立ったってだけのこと。
そこは勘違いしない。
頑張って積み重ねていくのは自分。
誰かがそうしてくれるのではない。
自分でやらなきゃならない。
けれど、人は一人で生きているのではない。
誰かの助けを借りて初めて生きていけるもの。
余談だけど、僕ら人間が生きていけるのは人間以外の生物の生命を「いただいて」いるからこそ。
動物だけでなく、植物も、微生物も、この世に存在する全ての生命体と共存していて、それらの存在があるからこそ、あるいはその命をいただけるからこそ、僕ら人間は生きていける。
ある学術的には、誰かに頼るからこそ「自立」出来るものだそうで、その「頼る」ということも何か一点だけでなく様々な点で少しずつ頼るからこそ「自立」となるらしい。
確かに、金八先生も「『人』という字は・・・」と教えてくれた(笑)
コミュニティの構築と維持継続、関係性、これこそが社会に生きる僕たちには絶対的に欠かせない。
けれど、「友達は選びなさい」という教えも大切だと思う。
僕は子供たちの前で話をする機会も少なくないけれど、その際もよく「友達を大切にしてください」と言っている。
それは僕の経験から。
ただ、「友達は選びなさいよ」とは言っていない。
だって、その一言が話の趣旨を大きく変えてしまうから。
でも僕の本心にはそれが大きくあって、それを伝えるべきか、どう伝えるのか、それも僕の課題の一つになっている。
「類は友を呼ぶ」もよく使う言葉で、だからこそ、自分がどのコミュニティに加わるのか、どんな友人を持つのか、その判断が人生そのものを大きく変えてしまうとも思える。
政治や宗教なんかもそこには深く入り込みかねないから、自分自身の未来予想図を描いた上でより慎重に判断しなければならないと思っている。
今回の僕の気づきもまた身近な自分以外の人たちの存在があればこそ。
その方々の心ある言葉があればこそ。
その「心」の有無、存在の大きさは自分次第であり、まさに鏡となって返ってくるものだろうから、それも忘れずに、建前だけでなく心から礼を持ってそこも積み重ねていかなければならない。
そういう関係を構築できるコミュニティの存在が凄くありがたい。
ほら、心が晴れ渡ると話のスケールがどんどん大きくなる(笑)
まずは思考を健全化させる。
メンタルを整える。
そして、フィジカルをより良い状態へと持っていき、テクニックをフル活用出来るようにする。
それを最下層で支えるのがコンディション。
その調整をしっかり行い、ベストの状態を最高のタイミングでより長く維持できるよう心掛けていく。
大変なことだ(笑)
その為には、オフも上手く活用しなければならない。
もっとも大切なことは心の健康。
「思想の健康は肉体の健康に勝る」
僕が大学卒業の頃に覚えた言葉。
あらためて、Back to Basic 、だな。
暑さはまだ少し続きそうだけど、夏はもうすぐ終わる。
新しい季節がやってくる。
リスタート!
さぁ次に向けてしっかり頑張っていこう!
ストレスフルな状態だった。
ちゃんとやっているのに、頑張っているのに、どうも上手くいかない。
前に進んでいる手ごたえを急に失った感覚に襲われていた。
進めば進むほど、もがけばもがくほど、深みにはまっていくような気がしていた。
いろいろ考えて、分析し、試行錯誤を繰り返していたけれど、それで情報過多になってパンク寸前・・・と言えるならまだかっこいい。
けれどそう思える一方、必ずしもそうじゃないなと思う自分もあり、真逆に思える瞬間もあればまた違った視点で課題が見える時もあり、シンプルで明確な解決方法、脱出経路が見いだせないまま、五里霧中ならぬ五十里霧中を彷徨っているような感覚を覚えていた。
霧の中、視界を奪われた状態で前進すると、人は知らず知らずのうちにどちらかの方向に偏り、結果的に直線ではなく円軌道で前進すると高校生の時に教わったのを覚えている。
そして、自分の足跡を誰かの足跡だと勘違いして、それを辿ってひたすらに前進するけれどもちろん誰に追いつくはずもなく、霧の中で無限ループに陥り前進を続けていった結果、体力を失いその場で倒れてしまうという話だった。
これは登山時の話。
僕も、この半年間のモヤモヤとした霧の中をもがくように前進していたのだけれど(足跡は見えていない)、ふと「あ!」と気づく瞬間が訪れた。
それはいつものコーチとの練習の時だった。
コーチからいただいたアドバイスが半年前と全く同じものだったのだ。
「一巡した」
そう思えた。
それが嬉しかった。
それに気づけた自分が嬉しかった。
客観視出来ている。
積み重なっている。
手ごたえをしっかりと感じることが出来た。
一巡してまた同じ地点に戻ったのであれば、それは残念なことなんじゃないかと思われるかもしれない。
でも僕はそうじゃない。
貧乏性の僕は転んでもただじゃ起き上がらない(笑)
霧の中でも何かしらを得てきているから、もしこれが仮に無限ループだったとしても、次は同じラインではなく、より大きな弧線で円を描く軌道となる。
全く違った円軌道を描く自信がある。
根拠は無いけど(笑)
そうした霧の中からの脱出、そのきっかけはほんの些細な気づきから始まった。
そこからコーチやトレーナーたちのアドバイス、言葉が全く違って受け止められるようになった。
その結果、「あ!」となり、一巡したことに気づけたのだった。
僕の考える分度器の理論。
進むべき方向を見定めることが出来ることで、感覚が研ぎ澄まされるのだな。
とにかく、無事に観覧車を降りることが出来たのが喜ばしい(笑)
ただし、これで全てがクリア出来たって話ではない。
試合で勝つ、それがそもそもの目的だし、その為には様々なものが複雑に連動するパワーが必要となるので、それらすべてを成長させていく努力を怠ってはならないし、求める結果を得るためにはもっともっと積み重ねていかなければならない。
言ってみればスタート地点に立ったってだけのこと。
そこは勘違いしない。
頑張って積み重ねていくのは自分。
誰かがそうしてくれるのではない。
自分でやらなきゃならない。
けれど、人は一人で生きているのではない。
誰かの助けを借りて初めて生きていけるもの。
余談だけど、僕ら人間が生きていけるのは人間以外の生物の生命を「いただいて」いるからこそ。
動物だけでなく、植物も、微生物も、この世に存在する全ての生命体と共存していて、それらの存在があるからこそ、あるいはその命をいただけるからこそ、僕ら人間は生きていける。
ある学術的には、誰かに頼るからこそ「自立」出来るものだそうで、その「頼る」ということも何か一点だけでなく様々な点で少しずつ頼るからこそ「自立」となるらしい。
確かに、金八先生も「『人』という字は・・・」と教えてくれた(笑)
コミュニティの構築と維持継続、関係性、これこそが社会に生きる僕たちには絶対的に欠かせない。
けれど、「友達は選びなさい」という教えも大切だと思う。
僕は子供たちの前で話をする機会も少なくないけれど、その際もよく「友達を大切にしてください」と言っている。
それは僕の経験から。
ただ、「友達は選びなさいよ」とは言っていない。
だって、その一言が話の趣旨を大きく変えてしまうから。
でも僕の本心にはそれが大きくあって、それを伝えるべきか、どう伝えるのか、それも僕の課題の一つになっている。
「類は友を呼ぶ」もよく使う言葉で、だからこそ、自分がどのコミュニティに加わるのか、どんな友人を持つのか、その判断が人生そのものを大きく変えてしまうとも思える。
政治や宗教なんかもそこには深く入り込みかねないから、自分自身の未来予想図を描いた上でより慎重に判断しなければならないと思っている。
今回の僕の気づきもまた身近な自分以外の人たちの存在があればこそ。
その方々の心ある言葉があればこそ。
その「心」の有無、存在の大きさは自分次第であり、まさに鏡となって返ってくるものだろうから、それも忘れずに、建前だけでなく心から礼を持ってそこも積み重ねていかなければならない。
そういう関係を構築できるコミュニティの存在が凄くありがたい。
ほら、心が晴れ渡ると話のスケールがどんどん大きくなる(笑)
まずは思考を健全化させる。
メンタルを整える。
そして、フィジカルをより良い状態へと持っていき、テクニックをフル活用出来るようにする。
それを最下層で支えるのがコンディション。
その調整をしっかり行い、ベストの状態を最高のタイミングでより長く維持できるよう心掛けていく。
大変なことだ(笑)
その為には、オフも上手く活用しなければならない。
もっとも大切なことは心の健康。
「思想の健康は肉体の健康に勝る」
僕が大学卒業の頃に覚えた言葉。
あらためて、Back to Basic 、だな。
暑さはまだ少し続きそうだけど、夏はもうすぐ終わる。
新しい季節がやってくる。
リスタート!
さぁ次に向けてしっかり頑張っていこう!
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