義理の父が一昨日に入院したため、今日は医師会のゴルフを急遽キャンセルして広島まで日帰りでお見舞いに行ってきた。
とりあえずは元気そうで安心したが、年齢が年齢だけに心配だ。
私がゴルフを本格的に始めたのは50を過ぎてからだが、初めてゴルフクラブに触れたのは25歳だ。卒業して、妻と婚約したときにゴルフの好きだった妻の父がフルセットをプレゼントしてくださった。今でも憶えているが、当時としては有名だったウィルソンのX-31だった。確かウッドが(と言っても本当の木のヘッドです)1番、3番、4番、アイアンが3番からPWまでとSWもあったように思う。もちろんカーボンシャフトなど無くすべてスチールシャフトだった。
研修医の時は忙しくて練習するヒマもなかったが、時々握ってグリップの感触を楽しんだりしていた。
初めてラウンドしたのは結婚1年目に妻の実家に夏休みに行った時だった。ゴルフなど老人のスポーツと思っていたが、真夏の歩いてのラウンドは思いの外きつくて、最後の方は頭がボーッとして記憶がないぐらい。いくら叩いたかも憶えていない。
義父にはとにかく、マナーをいろいろ教わった。なかでも自分のボールのところへは必要と思われるクラブを2、3本持って走って行くように言われて谷の底や、山の上まで、転がり落ちたり、駆け上がったりしたのを憶えている。同伴者、キャディーさんに気配りを欠かさない昔気質の義父からとにかくPlay fastを学んだ。
最初に赴任した病院では小児科の部長が好きだったせいもあって、練習もしたし、院内コンペにも参加したりした。
その後、大学院に帰り時間の余裕が無くなって、ゴルフと言えば年に1回夏に義父のところへ行ったときにラウンドするだけになったが、義父はそれでも喜んで140近く叩く私をいつも連れて行って下さった。テニスや硬式野球の名選手だった義父としては物足りない息子だっただろうが、そんなそぶりは全く見せられなかった。
その後外国へ行ったり、地方へ赴任したり、大学へ帰ってきたりと、いろいろなところに住んだが、もっぱら仕事中心の生活で義父のゴルフにつきあう暇は全くなかった。今自分がゴルフを好きになって、当時の義父の気持ちがわかるが、きっと一緒にゴルフをしたかっただろうと思う。
50歳を過ぎて私がゴルフを始めたときには、義父は心臓を悪くし、思うようなプレーができずにほとんど引退状態だった。以前はゴルフクラブを持って日本全国どこでも出かけた義父だが、私のホームコースの枚方カントリーも一度も一緒に回れなかった。
義父の一日も早い回復を祈るのみだ。
とりあえずは元気そうで安心したが、年齢が年齢だけに心配だ。
私がゴルフを本格的に始めたのは50を過ぎてからだが、初めてゴルフクラブに触れたのは25歳だ。卒業して、妻と婚約したときにゴルフの好きだった妻の父がフルセットをプレゼントしてくださった。今でも憶えているが、当時としては有名だったウィルソンのX-31だった。確かウッドが(と言っても本当の木のヘッドです)1番、3番、4番、アイアンが3番からPWまでとSWもあったように思う。もちろんカーボンシャフトなど無くすべてスチールシャフトだった。
研修医の時は忙しくて練習するヒマもなかったが、時々握ってグリップの感触を楽しんだりしていた。
初めてラウンドしたのは結婚1年目に妻の実家に夏休みに行った時だった。ゴルフなど老人のスポーツと思っていたが、真夏の歩いてのラウンドは思いの外きつくて、最後の方は頭がボーッとして記憶がないぐらい。いくら叩いたかも憶えていない。
義父にはとにかく、マナーをいろいろ教わった。なかでも自分のボールのところへは必要と思われるクラブを2、3本持って走って行くように言われて谷の底や、山の上まで、転がり落ちたり、駆け上がったりしたのを憶えている。同伴者、キャディーさんに気配りを欠かさない昔気質の義父からとにかくPlay fastを学んだ。
最初に赴任した病院では小児科の部長が好きだったせいもあって、練習もしたし、院内コンペにも参加したりした。
その後、大学院に帰り時間の余裕が無くなって、ゴルフと言えば年に1回夏に義父のところへ行ったときにラウンドするだけになったが、義父はそれでも喜んで140近く叩く私をいつも連れて行って下さった。テニスや硬式野球の名選手だった義父としては物足りない息子だっただろうが、そんなそぶりは全く見せられなかった。
その後外国へ行ったり、地方へ赴任したり、大学へ帰ってきたりと、いろいろなところに住んだが、もっぱら仕事中心の生活で義父のゴルフにつきあう暇は全くなかった。今自分がゴルフを好きになって、当時の義父の気持ちがわかるが、きっと一緒にゴルフをしたかっただろうと思う。
50歳を過ぎて私がゴルフを始めたときには、義父は心臓を悪くし、思うようなプレーができずにほとんど引退状態だった。以前はゴルフクラブを持って日本全国どこでも出かけた義父だが、私のホームコースの枚方カントリーも一度も一緒に回れなかった。
義父の一日も早い回復を祈るのみだ。