2011.01.08(土)
一度訪ねて見ようと思ったのは昨年、北山辺の道ハイキングで通過した交差点の
右、正暦寺の案内板を見たときでした
念願かなって、しかも「「清酒祭り」」の見学&試飲まで出来るのです
が、、、、逸る心を抑えながらも空を見ていると、、、、山はいい感じだろな、、、と欲張っています
朝は霜がびっしり降りていたのですが天気もすっかり良くなり申し分ありません
訪ねる正暦寺は奈良の奥山にひっそりと溶け込むように佇んでいました
ここが日本の清酒の発祥の地であることをご存知でしたか、、、
境内に日本酒発祥之地の碑があり今でも奈良発祥の清酒が脈々と造り続けられています
このお寺に清酒を造るうえで欠かせない酒母の原型(菩提元)があるのです
先ずは山門を潜り杮葺の屋根の福寿院客殿(国指定重要文化財)を案内して戴きます
本尊は薬師如来様(国指定重要文化財・白鳳時代)と孔雀明王様(県指定重要文化財・鎌倉時代)
孔雀は毒蛇<コブラ>の天敵であることから孔雀を使い毒物・災害から人々を守護する仏様ですって
仏様はうつさないでくださいね、、、と書いてありました
この福寿院の襖・欄間には狩野永納の絵が今に伝えられています
とりわけ、内陣と下陣の仕切りの襖絵の富士山と脇の板戸襖の三保の松原はうっすらとながら
見ごたえがあります、、、普段は開放されているので閉めないと気づきません(写真は撮れず)
992年(正暦三年)創建当初は堂塔・伽藍を中心に八十六坊が渓流をはさんで立ち並び
一条天皇の勅願寺として偉容壮観を誇っていたそうです
その後は南都の焼き打ちなどご多分にもれず廃虚と化し、1218年(建保六年)興福寺一条院大乗院住職
信円僧正(関白藤原忠通の子)が法相宗の学問所として再興し昔に勝る隆盛を極め、諸々の法師が草庵を
結び、浄土門の法灯を掲げ、真言密教・法相宗の教学禅定の道場、浄土宗の念仏道場として深く世人の尊崇を集めてきた・・・・・・(縁起のごあんないより抜粋)
住職さんのお話によれば清酒造りはこの興福寺の学問所として再興なったときにここで余った米を夏場に
醸造して収益を得て租税として銀に換え興福寺へと納める(今でいえば3億円相当)程栄えていたらしいのだ
その後はご歴史に翻弄されて衰退していったのを古文書に則って
奈良の酒造組合や県の方々が全山を調べてようやく菌を発見し、かの原子力研究所の分析器で
ラクト・・・・・・ナンヤラカンヤラ・・・A4判にして何枚かの結果(要するに乳酸菌の一種=ヨーグルト菌みたいなもの)
が出たそうである
これがいわゆる酒母(菩提元)
いろいろとお話を伺って足も痺れた頃に、お庭や欄間・襖絵を拝見することができた
とても借景の美しいお庭があります
春の緑の頃、秋の紅葉の頃また来て見たいです
欄間・襖絵・お庭
倉の壁と柱の注連飾り
板戸の襖絵
こちらの屏風は最近のアート総刺繍
菩提仙川から望む福寿院と南天
境内一面に南天が綺麗です
本堂
瞑想道場になっています
これジャノヒゲなんですって こちらは????
これはマンリョウでしたね~
僧侶達のお墓 泣き笑いお地蔵さん
どっちがどっち??
空
いよいよ清酒祭り
二度仕込み風景の見学
蒸しあがったお米を筵に広げるのを体験させていただきました
熱々でしたよ
これを冷まして水を加えて15℃くらいにして寝かすのだそうですよ
蔵元の樽が寄っておられます
そして花より団子ならぬ餅と、甘酒と、粕汁、菩提元の新酒の試飲、
あんこ餅、きな粉餅、大根おろし餅、
さて何個食べたでしょう 具沢山の粕汁
ほろほろ麹の甘~い匂いと食べて飲んでホッコリ
ちょっとお散歩してこないとね
今日はまだまだお酒に縁の場所へ行きますからハイキングは無しですよ
明日に続く・・・・スミマセン長くなって・・・
一度訪ねて見ようと思ったのは昨年、北山辺の道ハイキングで通過した交差点の
右、正暦寺の案内板を見たときでした
念願かなって、しかも「「清酒祭り」」の見学&試飲まで出来るのです
が、、、、逸る心を抑えながらも空を見ていると、、、、山はいい感じだろな、、、と欲張っています
朝は霜がびっしり降りていたのですが天気もすっかり良くなり申し分ありません
訪ねる正暦寺は奈良の奥山にひっそりと溶け込むように佇んでいました
ここが日本の清酒の発祥の地であることをご存知でしたか、、、
境内に日本酒発祥之地の碑があり今でも奈良発祥の清酒が脈々と造り続けられています
このお寺に清酒を造るうえで欠かせない酒母の原型(菩提元)があるのです
先ずは山門を潜り杮葺の屋根の福寿院客殿(国指定重要文化財)を案内して戴きます
本尊は薬師如来様(国指定重要文化財・白鳳時代)と孔雀明王様(県指定重要文化財・鎌倉時代)
孔雀は毒蛇<コブラ>の天敵であることから孔雀を使い毒物・災害から人々を守護する仏様ですって
仏様はうつさないでくださいね、、、と書いてありました
この福寿院の襖・欄間には狩野永納の絵が今に伝えられています
とりわけ、内陣と下陣の仕切りの襖絵の富士山と脇の板戸襖の三保の松原はうっすらとながら
見ごたえがあります、、、普段は開放されているので閉めないと気づきません(写真は撮れず)
992年(正暦三年)創建当初は堂塔・伽藍を中心に八十六坊が渓流をはさんで立ち並び
一条天皇の勅願寺として偉容壮観を誇っていたそうです
その後は南都の焼き打ちなどご多分にもれず廃虚と化し、1218年(建保六年)興福寺一条院大乗院住職
信円僧正(関白藤原忠通の子)が法相宗の学問所として再興し昔に勝る隆盛を極め、諸々の法師が草庵を
結び、浄土門の法灯を掲げ、真言密教・法相宗の教学禅定の道場、浄土宗の念仏道場として深く世人の尊崇を集めてきた・・・・・・(縁起のごあんないより抜粋)
住職さんのお話によれば清酒造りはこの興福寺の学問所として再興なったときにここで余った米を夏場に
醸造して収益を得て租税として銀に換え興福寺へと納める(今でいえば3億円相当)程栄えていたらしいのだ
その後はご歴史に翻弄されて衰退していったのを古文書に則って
奈良の酒造組合や県の方々が全山を調べてようやく菌を発見し、かの原子力研究所の分析器で
ラクト・・・・・・ナンヤラカンヤラ・・・A4判にして何枚かの結果(要するに乳酸菌の一種=ヨーグルト菌みたいなもの)
が出たそうである
これがいわゆる酒母(菩提元)
いろいろとお話を伺って足も痺れた頃に、お庭や欄間・襖絵を拝見することができた
とても借景の美しいお庭があります
春の緑の頃、秋の紅葉の頃また来て見たいです
欄間・襖絵・お庭
倉の壁と柱の注連飾り
板戸の襖絵
こちらの屏風は最近のアート総刺繍
菩提仙川から望む福寿院と南天
境内一面に南天が綺麗です
本堂
瞑想道場になっています
これジャノヒゲなんですって こちらは????
これはマンリョウでしたね~
僧侶達のお墓 泣き笑いお地蔵さん
どっちがどっち??
空
いよいよ清酒祭り
二度仕込み風景の見学
蒸しあがったお米を筵に広げるのを体験させていただきました
熱々でしたよ
これを冷まして水を加えて15℃くらいにして寝かすのだそうですよ
蔵元の樽が寄っておられます
そして花より団子ならぬ餅と、甘酒と、粕汁、菩提元の新酒の試飲、
あんこ餅、きな粉餅、大根おろし餅、
さて何個食べたでしょう 具沢山の粕汁
ほろほろ麹の甘~い匂いと食べて飲んでホッコリ
ちょっとお散歩してこないとね
今日はまだまだお酒に縁の場所へ行きますからハイキングは無しですよ
明日に続く・・・・スミマセン長くなって・・・