2011.07.28(木)
今日は仕事が休みとなったので急遽、思いついてツアーの催行の確認を入れておいた
琵琶湖の北にある余呉湖畔の賤ケ岳を訪ねることにした
勿論、奈交のバスハイクだから近鉄学園前駅の集合地に赴いた
8:00に出発して京滋バイパスから名神、途中多賀SAで休憩して
北陸自動車道と飛ばして木ノ本ICで一般道へと
程なく余呉湖岸に到着
ビジターセンターでトイレを済ませ軽くストレッチ
11:00 スタートして行きます
JR北陸本線の余呉駅を左に見ながら余呉湖に続く田園地帯を歩いて数分
天女の衣掛柳という史跡案内板がありました
今は二本の大きな楠があるだけですが
ここに大きな柳の木があり昔むかし、その昔、ご多分に漏れずそれは美しい天女が舞い降りて
柳の木に羽衣を掛けて水浴びを楽しんでいたそうな、、、、、、あとは他の地と同じような伝説
でも、その一説には天女と土地の豪氏との間に生まれた男の子が紆余曲折を経て
菅原道真公になったとかで京都の北野天満宮との縁があるらしい、、、へぇ~~~ふ~~ん
余呉湖の対岸にこれから登る賤ケ岳も見えています
雲が多いですが結構暑いです
湖北だからもう少し涼しいかと思ってましたが、、風もあまりありません
羽衣橋を渡って人家の間の石垣を左に登山口の案内がありました
添乗員さんは早足ですので
馴染みの女性と二人「登りはしんどいからゆっくり行こな」とのらりくらりと登って行きます
ここまでまだ30分しか経ってないのに
あ~~しんど~~
暑いですからこまめに水分補給の立ち止まりです
林道を横切りショートカットして登ります
いよいよ古戦場跡らしさが漂ってきました
左へ2、30メートル登った所は大岩山
豊臣秀吉の家臣、中川清秀が敵方柴田勝家の家臣、佐久間盛政に打たれた大岩山砦跡
中川清秀の墓所になっていました
随分苔むした木がその哀れを伝えるようでした
もとのハイキングコースへと戻り更に歩を進めると
オーノーーーー!!
首洗い池へと表示が有ります
そして当初はここで秀吉は陣を構えて戦に備えていたと言われる
猿ケ馬場、、秀吉の蔑称からきているのでしょうか?
暫く平坦な植林地帯を進んで一気に登り始めます
息が切れますよ~~
ここからは1本道で山頂へ着きますので各自自分のペースで登ってくださいと言い
さっさと登って行く添乗員さんと先頭集団4人
とんでもなく遅れているわけでもなし、えっちらおっちらと
「しんど~~」とグダグダ言いながら登りつきました
トイレを済ませて昼食休憩 12:35
賤ケ岳の七本槍の名勳の一人でしょうね
福島正則か片桐且元か、、あとは~~???
山頂です 421.9m
信長亡き後、この山上から遠く越前北ノ庄や美濃の国に睨みを効かせ
ついには激しい戦を繰り広げ戦術に長けた秀吉が勝利し天下を欲しいままにしていったんですね
それにしても哀しきは女達、運命に翻弄され勝家と共に非業の最期を遂げるお市の方が不憫です
大河ドラマはもう随分時代が過ぎて
浅井三姉妹もそれぞれの定めの如く波乱万丈の人生へと漕ぎ出て行きますね
TVはあまり見ませんが、、、、
そんなこんなの思いに浸りながら奥琵琶湖の眺めをしかと目に焼き付けます
竹生島も小さく見えてます
しかし雲が多く霞んで湖西はほとんど見えません
春遅い海津大崎の桜の地も右奥になります
反対に東へは伊吹山が雲を頭に霞んで見えます
そして北側に目をやれば余呉湖の全容
何故か余呉湖と言えば根拠はないのだけど
水上勉氏の「湖北の女」が思い浮かぶ、内容は殆ど覚えてないのにタイトルだけね
たった490m程の山上でもやはり湖上から吹き上げてくる風は心地よい
多分紫外線は一杯だろうが陽射しもそう気にならない
まったりと休憩してあの左岸へと下って行きましょう 13:20
余呉湖の周回をして奥のビジターセンターまで戻ります
一気に飯浦への分岐まで下るとあとは広い山道だ
30分で湖岸に下ってきました
国民宿舎の横に出てあとはもう湖岸の遊歩道をひたひたと歩くのみ
少し風が出て湖面が波立っています
山頂とは違い水辺でも暑いです
汗がまた吹き出てきます
先程の七本槍の名勲たちが戦ったとされる湖岸までやってきました
戦では幾千の人の血で赤く染まったのでしょう
下克上の世を経て戦を繰り返し数百年、今、世の中は平和なのでしょうか、、、自問自答します
そう思いながらもすぐに対岸の先に見える山容が気になっています
また帰って調べてみないと、、なんて、、、
ヘラブナ釣りのお兄さんがいましたよ
随分立派な棹ですね
あちこちに車が止まって皆さん同じような仕掛けで棹を出しておられました
左岸は紫陽花公園になっていて7月の上旬までは綺麗に咲いているようです
田んぼの中の農道を右に左にと歩いて集落を抜けて
スタートしたビジターセンターに到着です 14:30
やはり女性陣は先に着替えさせていただいて売店でアイスや泡の出る飲料にありつきます
ワタシはアイスだけですよ、、、
写真撮り忘れましたが
とろ~り苺のアイスは果肉もシャーベットになって美味しゅうございました
帰りは皆爆睡です
草津SAに休憩に寄ったころ雨が降り出してきました
そして、京田辺のあたりから土砂降りとなり一直線の稲光が走り始めました
一行はバスの中ですからあまり驚きもせず外を見やっているだけです
学園前駅に着いたら、近鉄電車京都線の落雷停電の為軒並み5分以上の遅れが出ていました
お陰さまで急行に乗れてラッキーでした 17:40
自宅の最寄り駅に着いても流石に雨が降っていましたが
傘は面倒なので3分走って帰りました
なかなか電車で奥琵琶湖までは時間がかかりますので願ってもないツアーを
楽しみました
おわり
今日は仕事が休みとなったので急遽、思いついてツアーの催行の確認を入れておいた
琵琶湖の北にある余呉湖畔の賤ケ岳を訪ねることにした
勿論、奈交のバスハイクだから近鉄学園前駅の集合地に赴いた
8:00に出発して京滋バイパスから名神、途中多賀SAで休憩して
北陸自動車道と飛ばして木ノ本ICで一般道へと
程なく余呉湖岸に到着
ビジターセンターでトイレを済ませ軽くストレッチ
11:00 スタートして行きます
JR北陸本線の余呉駅を左に見ながら余呉湖に続く田園地帯を歩いて数分
天女の衣掛柳という史跡案内板がありました
今は二本の大きな楠があるだけですが
ここに大きな柳の木があり昔むかし、その昔、ご多分に漏れずそれは美しい天女が舞い降りて
柳の木に羽衣を掛けて水浴びを楽しんでいたそうな、、、、、、あとは他の地と同じような伝説
でも、その一説には天女と土地の豪氏との間に生まれた男の子が紆余曲折を経て
菅原道真公になったとかで京都の北野天満宮との縁があるらしい、、、へぇ~~~ふ~~ん
余呉湖の対岸にこれから登る賤ケ岳も見えています
雲が多いですが結構暑いです
湖北だからもう少し涼しいかと思ってましたが、、風もあまりありません
羽衣橋を渡って人家の間の石垣を左に登山口の案内がありました
添乗員さんは早足ですので
馴染みの女性と二人「登りはしんどいからゆっくり行こな」とのらりくらりと登って行きます
ここまでまだ30分しか経ってないのに
あ~~しんど~~
暑いですからこまめに水分補給の立ち止まりです
林道を横切りショートカットして登ります
いよいよ古戦場跡らしさが漂ってきました
左へ2、30メートル登った所は大岩山
豊臣秀吉の家臣、中川清秀が敵方柴田勝家の家臣、佐久間盛政に打たれた大岩山砦跡
中川清秀の墓所になっていました
随分苔むした木がその哀れを伝えるようでした
もとのハイキングコースへと戻り更に歩を進めると
オーノーーーー!!
首洗い池へと表示が有ります
そして当初はここで秀吉は陣を構えて戦に備えていたと言われる
猿ケ馬場、、秀吉の蔑称からきているのでしょうか?
暫く平坦な植林地帯を進んで一気に登り始めます
息が切れますよ~~
ここからは1本道で山頂へ着きますので各自自分のペースで登ってくださいと言い
さっさと登って行く添乗員さんと先頭集団4人
とんでもなく遅れているわけでもなし、えっちらおっちらと
「しんど~~」とグダグダ言いながら登りつきました
トイレを済ませて昼食休憩 12:35
賤ケ岳の七本槍の名勳の一人でしょうね
福島正則か片桐且元か、、あとは~~???
山頂です 421.9m
信長亡き後、この山上から遠く越前北ノ庄や美濃の国に睨みを効かせ
ついには激しい戦を繰り広げ戦術に長けた秀吉が勝利し天下を欲しいままにしていったんですね
それにしても哀しきは女達、運命に翻弄され勝家と共に非業の最期を遂げるお市の方が不憫です
大河ドラマはもう随分時代が過ぎて
浅井三姉妹もそれぞれの定めの如く波乱万丈の人生へと漕ぎ出て行きますね
TVはあまり見ませんが、、、、
そんなこんなの思いに浸りながら奥琵琶湖の眺めをしかと目に焼き付けます
竹生島も小さく見えてます
しかし雲が多く霞んで湖西はほとんど見えません
春遅い海津大崎の桜の地も右奥になります
反対に東へは伊吹山が雲を頭に霞んで見えます
そして北側に目をやれば余呉湖の全容
何故か余呉湖と言えば根拠はないのだけど
水上勉氏の「湖北の女」が思い浮かぶ、内容は殆ど覚えてないのにタイトルだけね
たった490m程の山上でもやはり湖上から吹き上げてくる風は心地よい
多分紫外線は一杯だろうが陽射しもそう気にならない
まったりと休憩してあの左岸へと下って行きましょう 13:20
余呉湖の周回をして奥のビジターセンターまで戻ります
一気に飯浦への分岐まで下るとあとは広い山道だ
30分で湖岸に下ってきました
国民宿舎の横に出てあとはもう湖岸の遊歩道をひたひたと歩くのみ
少し風が出て湖面が波立っています
山頂とは違い水辺でも暑いです
汗がまた吹き出てきます
先程の七本槍の名勲たちが戦ったとされる湖岸までやってきました
戦では幾千の人の血で赤く染まったのでしょう
下克上の世を経て戦を繰り返し数百年、今、世の中は平和なのでしょうか、、、自問自答します
そう思いながらもすぐに対岸の先に見える山容が気になっています
また帰って調べてみないと、、なんて、、、
ヘラブナ釣りのお兄さんがいましたよ
随分立派な棹ですね
あちこちに車が止まって皆さん同じような仕掛けで棹を出しておられました
左岸は紫陽花公園になっていて7月の上旬までは綺麗に咲いているようです
田んぼの中の農道を右に左にと歩いて集落を抜けて
スタートしたビジターセンターに到着です 14:30
やはり女性陣は先に着替えさせていただいて売店でアイスや泡の出る飲料にありつきます
ワタシはアイスだけですよ、、、
写真撮り忘れましたが
とろ~り苺のアイスは果肉もシャーベットになって美味しゅうございました
帰りは皆爆睡です
草津SAに休憩に寄ったころ雨が降り出してきました
そして、京田辺のあたりから土砂降りとなり一直線の稲光が走り始めました
一行はバスの中ですからあまり驚きもせず外を見やっているだけです
学園前駅に着いたら、近鉄電車京都線の落雷停電の為軒並み5分以上の遅れが出ていました
お陰さまで急行に乗れてラッキーでした 17:40
自宅の最寄り駅に着いても流石に雨が降っていましたが
傘は面倒なので3分走って帰りました
なかなか電車で奥琵琶湖までは時間がかかりますので願ってもないツアーを
楽しみました
おわり