---明知鉄道に乗って--- 続き。。。。。
恵那から岩村へと一両の急行に乗ってやって参りました
到着したのは<女城主の里>であります
静かな駅前に城下町からお城へと案内して下さる地元の語り部さんの元、集合です
先ずは「方丈記」の作者、鴨長明の塚
あくまでも口伝に寄るものとの事
そして町角にはこれから訪ねる女城主のいた岩村城の創築、遠山氏の家紋が見られます
町は重要伝統的建造物保存地区となっていて古い商家が軒を並べています
ちょうど今、ひなまつりへ向けての飾り付けがなされ
城下町の雰囲気をかもし出しています
このお二方、もしかしたら非業の死を遂げた方かも
こんな小さな飾り窓の中から道行く人を見守ってくださってます
ロマンの香を手繰りつつゆるやかに坂の町を行きます
古い時代は巌邑と書いたようです
天満宮の登りに書かれてますね
石の道票には「なこや」とはっきり見てとれます
ここから歩いて二日で行けたのでしょうか
何故かカステーラのお店が沢山見受けられます
なんでも昔、この藩の蘭学者が長崎に医術の勉学に行き、その製法を持ち帰ったとか
原料に卵を使用するので医学的見地からも滋養強壮に良いとのことで広まったらしいです
町は新築したり改築したりするのはなかなかタイヘンなようですが
伝統を守り伝えて行くために保存に努めておられます
それぞれの家の玄関には青い暖簾が掲げられ女性の名前が記されています
マンホールの蓋は女城主の里、二階はレトロな街灯風
白壁の土蔵やなまこ壁の建物も土間の奥に佇んでいます
彼の西郷南州へ影響を大にした佐藤一齋翁の碑も見られます
岩村藩の儒学者
先の首相にもこの方を崇拝しておられた方があったようです
やはり目に付くのは造り酒屋さん
大吟醸、「女城主」なんてありましたよ
試飲したくて皆、駆け寄りますが帰りにという約束を取り付けて先へ進みます
町は道路の拡幅工事が行われて昔のくの字の車止め仕様が直線になりつつありました
道の正面にうっそうとした小高い山が見えて
岩村城のあった城山であると案内がありました
城山を正面に見据えて常夜灯の前を左に曲がり岩村川を渡り右に曲がると
城郭への入り口です
石垣も現れ復元された太鼓櫓が姿を見せました
太鼓櫓や知新館正門は近年になって復元されたもののようです
それではいよいよ女城主現るか、いざ乱入です
-----日本三大山城の一つ岩村城内へと----- 続く。。。。。。
恵那から岩村へと一両の急行に乗ってやって参りました
到着したのは<女城主の里>であります
静かな駅前に城下町からお城へと案内して下さる地元の語り部さんの元、集合です
先ずは「方丈記」の作者、鴨長明の塚
あくまでも口伝に寄るものとの事
そして町角にはこれから訪ねる女城主のいた岩村城の創築、遠山氏の家紋が見られます
町は重要伝統的建造物保存地区となっていて古い商家が軒を並べています
ちょうど今、ひなまつりへ向けての飾り付けがなされ
城下町の雰囲気をかもし出しています
このお二方、もしかしたら非業の死を遂げた方かも
こんな小さな飾り窓の中から道行く人を見守ってくださってます
ロマンの香を手繰りつつゆるやかに坂の町を行きます
古い時代は巌邑と書いたようです
天満宮の登りに書かれてますね
石の道票には「なこや」とはっきり見てとれます
ここから歩いて二日で行けたのでしょうか
何故かカステーラのお店が沢山見受けられます
なんでも昔、この藩の蘭学者が長崎に医術の勉学に行き、その製法を持ち帰ったとか
原料に卵を使用するので医学的見地からも滋養強壮に良いとのことで広まったらしいです
町は新築したり改築したりするのはなかなかタイヘンなようですが
伝統を守り伝えて行くために保存に努めておられます
それぞれの家の玄関には青い暖簾が掲げられ女性の名前が記されています
マンホールの蓋は女城主の里、二階はレトロな街灯風
白壁の土蔵やなまこ壁の建物も土間の奥に佇んでいます
彼の西郷南州へ影響を大にした佐藤一齋翁の碑も見られます
岩村藩の儒学者
先の首相にもこの方を崇拝しておられた方があったようです
やはり目に付くのは造り酒屋さん
大吟醸、「女城主」なんてありましたよ
試飲したくて皆、駆け寄りますが帰りにという約束を取り付けて先へ進みます
町は道路の拡幅工事が行われて昔のくの字の車止め仕様が直線になりつつありました
道の正面にうっそうとした小高い山が見えて
岩村城のあった城山であると案内がありました
城山を正面に見据えて常夜灯の前を左に曲がり岩村川を渡り右に曲がると
城郭への入り口です
石垣も現れ復元された太鼓櫓が姿を見せました
太鼓櫓や知新館正門は近年になって復元されたもののようです
それではいよいよ女城主現るか、いざ乱入です
-----日本三大山城の一つ岩村城内へと----- 続く。。。。。。