あっちこっち歩いて楽しむおタケさん

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山に登ったかと思えばメタボな食事、お花、キノコ、いろいろ~

世界遺産熊野参詣道・小辺路 (三浦峠越)

2011-04-23 02:30:14 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.04.20(水)曇り~~
早朝は天気の兆しがあったのにいつの間にか雲は厚く今にも降りそうな雲行きになった
 
大阪梅田を7:20に出発した1号車のバスは今日は途中で集客せずに17名での小型だ
阪神高速の環状線で事故渋滞に危うく巻き込まれるところを北浜から一般道に降りて
夕陽丘から再び高速に入り順調に「道の駅大塔」へとやってきた
トイレ休憩とお弁当を受け取りに下車すると<<寒~~~@@>>
茶屋でアッツアッツのこんにゃくの炊いたんを買ってバスの中で食べた
茶屋の奥さんが「今日は高野山や野迫川は雪が降ったよ、ここも0℃なんでストーブに火を入れたわ」
とおっしゃった
十津川は大丈夫だって言葉を聞いて一安心
10:20  バスは先月のゴール地点の三田谷へと国道168号線から733号線へと狭い道を走ります
三田谷=びただに、と読むそうな、、この地方の発音の名残??とか 美田谷の漢字の変化??
 
168号線沿いの猿谷ダムの対岸の景色は山桜や新緑が素晴らしい
733号線は小型バスでもギリギリで工事中の所や小さな古いコンクリートの橋を進む
ようやく、くねくねと酔いそうになりながら今回の歩きのスタート地点に到着
ストレッチしたら一つしかないトイレに一目散、やりました一番~だけど二番になりました
結局は最後の人を待つのですからどうでもいいんですけどね、、、、
入れ替わりに2号車のバスのグループも到着して1号車のグループは先に出発です
三浦峠への登山口へと歩き始めると、平維盛の墓と伝えられるところや
大塔宮護良親王が落ち伸びてこの辺りの五百瀬の荘司に行く手を遮られ五色の御旗を渡して通行を許され
それを知った家来の村上義光が大いに怒り荘司の家来を水田に投げ飛ばし腰を抜かしたそうで
「腰抜田」と呼ばれるようになったと言われるところ(今は明治の大水害で埋没して地名のみ)を通過して
流れる神納川にかかる吊橋の船渡橋を渡ります、かつては渡し舟があったそうです
 
この橋はしっかりとした隙間の小さな網状の鉄の吊橋ですので大して揺れません
 
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橋を渡って直ぐに標高差700mの三浦峠への長い登り道の登山口です
 
 
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三浦集落の最後の民家を過ぎて古い石畳の残った山中へと進むと樹齢500年前後と推定される
巨大な杉があります、傍らにはかつて旅籠だった吉村家の屋敷跡があり防風林だったと思われるそうです
 
 
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急な上り坂を25丁石、30丁石と行き着くと水場があります
 
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一息入れて先へ行くと参詣道は2年ほど前から通行止めになってしまい迂回路を直進です
 
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少し道は緩やかになり更に登って行きます
 
 
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右手に先月登って雪渓を越えて下ってきた伯母子岳が良く見えています
雲を被ってしまいました~~
 
 
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先ほどまで汗ばんでいたのに急に風が吹き荒れとても冷えてきました
 
(13:20) 1080mの三浦峠に到着しました、
およそ120年前の明治の大水害で被害に会った十津川の人たちはこの小辺路を通って
高野山から堺へ、そして神戸から遠い北海道へと移住して行ったのです
村との最後の別れの地、多くの人の涙の残る峠です
今も北海道に残る「新十津川」の地名がそれを語っていますね
小辺路が世界遺産に登録された時に記念樹のツツジを新十津川町から送られたときのものでしょうか
 
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東屋もあり遅い昼食休憩です
お世辞にも立派とは言えないトイレもあります
が、、、、、とんでもない寒さに食事もろくに喉を通らない人がいます、、
トイレに駆け込んだ女性が「下から風が吹き上げて逆流しそうやった~~」と言って帰ってきました
皆、上着をありったけ着込んで這這の体で先へ進みます
2班も風の当たらない所で座って食事してますが寒さが堪えています
中には立ったままでおにぎりを頬張っている人もいます
雨は降ることはなさそうですがお日様も顔を出してくれそうもありません
見晴らしもありません長居は無用です、さっさと行きましょう
 
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峠を南に下って暫くすると苔衣を纏い赤い帽子を着たお座り地蔵様がいらっしゃいました
天保10年の作だそうな
 
この平らな地は屋号を「古矢倉」と」いう茶店があった跡との説明板がありました
 
 
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さらに尾根に沿って下るとだんだん暖かさが戻ってきました
更に出店跡などを通過して
自然林の中、段築の心地よい足元になんとか歩が進むようになりました
 
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小さな五輪の塔がありました
やはり周囲には大きな木があります
 
密教の五輪の説明してもらいました
物質構成の要素である五大を円に擬していう語のことで
地、水、火、風、空、の輪の総称ですって
空とは永遠不変の固定的実体がないこと
般若心経の「色即是空」かな
ここでは‘そら’ではなく‘くう’と読みましょう

 
ワタシ、記事にしても、もう明日には忘れてますよ~~
 
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そうか~空ねぇ~~なんて今ひとたび遍路巡礼の日を思いながら下って
矢倉観音堂までやってきた
ちょっと休憩しましょう 15:25
お堂の中に如意輪観音様、地蔵菩薩様、観音菩薩様の三体が安置されている
台石には大阪天満市場なんのそれがしと銘が刻まれてある・・・説明板より
 
地元の集落の人々が守り続けておられる
 
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右側が崖になっているところもありましたが集落の外れの廃屋を過ぎて
<<明らかに最近までお住まいになっていたのね~~
この先の三軒のうちの二軒は大阪と奈良から移り住まわれた女性の一人暮らしとか
どうですか、そろそろ隠居住まいに~~>>
なんて話ながら村道にでました
 
 
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矢倉集落を過ぎて西中大谷橋より西中バス停へ到着です 16:00
ここから嫌~な国道歩き8キロです
従ってフリーウオークでリーダーも添乗員も最後を守りますから
約2時間の道のり
自由に最後より遅れないように歩きます
 
 
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ワタシ達4人の女性はかねて鍛えたウオーキングの成果を発揮して
ずんずん歩きます
途中でトイレ休憩してる間に二人の男性が追い抜いて行かれました
 
そして後方からもう一人男性が
若いもんに負けてられるか~~と笑いながら追い越して行かれました
 
この橋渡るの~~真ん中渡って行きよ~~
え~ほんまにこの橋渡るんかいなぁ?
地図見て、合ってる合ってる
 
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西川に沿って国道は曲がりくねってなかなかホテルが見えません
もう足がくたびれた上に山靴では靴擦れになりそう
 
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地元の散歩の奥さんが大きなイタドリを片手に笑顔で挨拶してくださり
シャクナゲも笑って迎えてくれてなんとか元気を取り戻します
 
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お~~~やっと見えました~~~
ホテル昴の郷
 
17:35
予定より30分早く到着
 
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早速部屋になだれ込んで
星の湯へと走ります
女性は4人以外はずっと遅れてますので
洗身もシャンプーも思いのまま
アメニティも揃ってて言うこと無し
露天風呂は檜の箱風呂と壺湯もあり浸かり放題~~
飲泉もあります
汗を流してお肌もサラサラ
シミ、シワはとれないけどね
また 22:00 に入りにきましょう
満天の星が見えるはずです
あんなに重い雲が垂れ込めていたのにすっかり良い天気になりましたもの
 
 
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後続の方たちも到着してお風呂場が混雑したようです
ゆっくり夕食を待って
19:00   
いっただきま~す
 
お料理が運ばれてくるのが待ち遠しいです
鮎の塩焼き
きのこ鍋
かき揚げ
茶碗蒸し
クレームブリュレ
未だ登場してません
 
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お品書きの
※むこだまし
 
十津川村ではお米はわずかしか収穫できませんでした
お正月にお嫁さん達が「むこ様には白もちを食べさせたい」
と思いましたが、もち米がないので地元でとれるねばりのある
白い粟で、もちをついて食べさせました
そういったお話からこの粟は「むこだまし」といわれております
 
と、説明書きが添えてありました
 
葛あん仕立てになっておりあっさりとして餅の食感もありました
 
 
 
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そして最後にご飯とお吸い物と香の物
 
はっはっは ***********消費したカロリーは何処へやら~~~
 
 
皆が寝静まった頃
今一度満天の夜空を楽しみに露天風呂へ
 
すると壁の向こうでは
一人悦に入って「さらば~~昴よ~~」と賑やかなこと
 
こちらの女性風呂も調子を合わせて拍手~
ちょっと雰囲気なくして夜空の北斗七星を見上げて
早々に退散
 
明日はきっときっとお天気ですよ~~
 
そっと~そっと~
おや~すみなさい~~

熊野古道 いよいよ伊勢路へ

2011-04-17 18:02:01 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.04.13(水)14(木)晴天なり
 
紀伊半島一周ウオーク 390キロ
世界遺産・熊野古道を歩く
残すところ「伊勢路」160キロへのスタートです
 
一日目(4/13)
先ずは、速玉大社の社殿にて東北東日本震災の被災者の皆々様の鎮魂と一日も早い復興を祈り
我々の旅の安全と伊勢神宮までの完歩を願い恭しく御祓いを受けてスタートです
 
語り部さんがご夫婦で2班に別れて案内してくださいます
私たち2班には奥様の方が、御歳75歳、きっと鯖読んでますよ~
小柄だけど時速6キロの歩きされるんですから、、、
 
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13:30 スタートして直ぐにここ新宮市には大逆事件においてつい最近まで人権を剥奪された人々が
多く有り、この方もその名誉を回復された中の一人の屋敷跡です
 
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新宮市を少し歩いて熊野川にやってきました
いよいよこの橋の中央で和歌山県にサヨナラして三重県へと入ります
 
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川を渡って左にとれば本宮道で川沿いに川端(川又)街道を経て風伝峠や横垣峠を越えて
私たちがこれから歩く浜街道と有馬で合流するのです
私たちは今回は浜街道と呼ばれる七里御浜沿いに熊野灘を眺めながら伊勢路歩きです
 
伊勢まで164キロのスタート
 
紀宝町の少し山側を「耳切り坂」なる恐い名前の坂を登って導引地蔵、横手延命地蔵、井田の一里塚と
過ぎて高台からの熊野灘の水平線を眺める目線はこの先下って海岸線に出たらどの高さでしょう
{すばらしい海の色~~}などと感動しながらも、この大海原の穏やかさに
自然の驚異と脅威を其々が胸にしまいました
 
 
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熊野の昼下がり歩くほどに上着を一枚脱ぎ二枚脱ぎと汗ばんできました
 
田舎者のワタシは直ぐにアケビの花を見つけて騒ぎます
 
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タツナミソウも迎えてくれて海岸線へと降りてきました
 
 
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アカウミガメの背中に長~い藻が揺れてます
道の駅紀宝町ウミガメ公園で小休止  15:30
 
 
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海岸沿いの林の中には徳本上人を讃える石碑とえびす様がまつられていて
かつては旅館や茶屋があり巡礼や筏師達の休憩所だったそうです
江戸時代に熊野三山参拝の途中で命を失くした六部の墓もところどころにあります
果てしなく続きそうな七里御浜、今日は行けども行けどもこのすばらしい熊野灘です
ふと左山側に目をやると何やら興味深い山並み
 
え~~!! 今日の泊まりはあの山の一番左手の中ですって~~!!
歩くの~~???
                                         (アカン、、カメラもう限界のようです、、涙)
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海岸の林の中にウラシマソウが群生してました
ニョロニョロ?グサとよくにてますね~~
でも違いが判りますか?
葉っぱが上にあります(写ってないやん!)そして茎に模様がありません、
一番の特徴は名前の由来の釣り糸が長~く垂れています
 
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植物観察をしながら楽しく今日の歩きのゴール地点に到着です
 
明日はあの右前方にちっちゃく見えますか~~
あの岬の先を通過して峠を越えて行きますよ~~
 
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七里御浜を半分ぐらい歩いたんでしょうか
ストレッチしてバスに乗ってお宿へ向かいます 18:05
良かったね~~、あの山の中のお宿へはバスに乗って40分もかかりましたよ
着いたのは、なんと!かねてより一度は来てみたかった瀞峡の近くの湯の口温泉「瀞流荘」
興奮して宿に着くやいなや一番にお風呂にまっしぐら~~
 
山里の静けさとちょっとダイトレチャレンジの疲れの残る体は相部屋の方々の
「あら~疲れてるのね鼾かいて寝ちゃった~」の声を遠くに聞いて爆睡
 
 
二日目(4/14)
ぐっすり眠ったお陰で 5:00 に朝風呂に入り幻想的な山里の深い霧を眺めて
美味しい朝食もたっぷりお腹に納めてバスに乗り出発です 7:50
 
左手は北山川ですよ、、上流は筏下りで有名ですね~
この夏はチャレンジしてみましょうか~
山は山桜が満開、新緑も綺麗になってきました
 
 
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はい、昨日のゴール地点でストレッチして今日の語り部さんを待ちます
今日も残り半分の七里御浜を歩きましょう 8:45
 
ハマダイコンが咲き乱れて昨日の岬が近くなってきましたね
 
 
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本宮街道と合流する有馬を過ぎて
日本書紀に伝わる、イザナミノミコトが葬られたといわれる御陵 花の窟神社
高さ45mの巨岩が御神体で社殿はないかつての自然崇拝の姿を今に伝える場所にやってきました
世界遺産登録地です
 
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ここの茶店で美味しいサンキライの葉っぱでくるんだ餡餅を一個100円で頂き元気をもらいます
ここからは美しい花で彩られた国道をひた歩きます
 
これもまた写真や絵葉書で御馴染みの獅子岩が迫ってきました
 
 
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右に見ながら熊野市へと入ります
熊野市街からいよいよ今回の歩きの峠の一つ目に差し掛かります
松本峠へと登ります
語り部さんが「ゆっくりゆっくりと登ります」と皆を勇気付けられます
 
 
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途中のビューポイントから歩いてきた七里御浜の全容が見渡せます
 
 
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しばらく海と別れて明治の石畳を登って峠にやってきました
シャガの花が咲き乱れていて暫し休憩です、水分を補給しましょう
この背高のっぽのお地蔵様は高さ2m余り
弾痕がありますが昔、猟師さんが朝通った時にはなかったのに夕暮れて帰りに通ると
なにやら大きな怪しい動物か魔物かと驚き鉄砲を放ったら建てられたばかりのお地蔵様だったとか
 
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世界遺産の石畳を一歩ずつ下って行きます、こちらは江戸時代の石畳のようです
 
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峠を下って国道に出て少し後戻りしてお昼ご飯にします 11:50
鬼ケ城の近くの小高い丘で海を見下ろし、山には桜が満開~~
お弁当も美味しいですが蓬のおはぎも入ってますので、めはり寿司はおやつにおいておきましょう
 
 
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まったりし過ぎると歩きが億劫になります
お尻を上げて歩きましょうよ~
 
振り返ると、鬼ケ城が小さく見えます、桜の花盛りの小山も~
 
 
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大泊海水浴場の白砂を見ながら今度は二つ目の峠です
 
大吹峠は孟宗竹林が見事です
猪君が人間様より美味しいところをさっさと平らげていました、鼻ユンボは凄い威力ですね~~
 
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峠には昭和25年ごろまで大吹茶屋があり今もお寿司やおにぎりを包んだバランが繁っていました
 
峠を下りきって語り部さんが「今日はもう峠はありませんよ」とおっしゃり皆一同やれやれと言いました
 
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ところがところが海に面した段々の地にある村里は峠よりもきつい勾配の坂道です
舗装されていますがきつう~~~
 
やっと自販機があって誰かがお金を入れるとお釣りが出ません
おたけ茶屋跡、、ワタシの親戚ではありませんので悪しからず、、
 
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徐福の宮の鳥居を見ながら中国からわざわざ東方へ不老不死の薬を求めて来て
逆に高度な文明を里人に伝えて土着するほど住みよかったのかなぁなどと思い歩きます
 
お~~~なんと!ビューティフル~~~、JR東海の紀勢線のポスターですよ
                                  
                                                (何方かカメラ恵んでください)
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昼間は2時間に1本しかないんだってなどと言いながら通過して5分ほどしたら列車の音
あ~~~!5分ゆっくり歩いていたら~~
今日は2班が先に歩いてますが、後の1班はまだビューポイントに到着してません
お互い、残念でした~~
 
 
高台を更に桜吹雪の坂を上がります
 
 
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上がりきって西行の松跡から下り始めます
ここは波田須の石畳、伊勢路では最も古い鎌倉時代のものです
短いですが、もちろん世界遺産です
 
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新鹿の海を見下ろしながら下りきって今回の二日間の歩き、合計32キロ終了です 14:50
 
 
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お疲れ様~~
ストレッチして、長い長いバスでの帰路につきます
梅田着 20:00
 
これより伊勢路へは西名阪と伊勢自動車道を経由しての現地入りになります
伊勢路の無事のスタートと2日間の歩きに感謝し、次月また元気に続きを歩けますように、、、願、、、