2011.04.20(水)曇り~~
早朝は天気の兆しがあったのにいつの間にか雲は厚く今にも降りそうな雲行きになった
大阪梅田を7:20に出発した1号車のバスは今日は途中で集客せずに17名での小型だ
阪神高速の環状線で事故渋滞に危うく巻き込まれるところを北浜から一般道に降りて
夕陽丘から再び高速に入り順調に「道の駅大塔」へとやってきた
トイレ休憩とお弁当を受け取りに下車すると<<寒~~~@@>>
茶屋でアッツアッツのこんにゃくの炊いたんを買ってバスの中で食べた
茶屋の奥さんが「今日は高野山や野迫川は雪が降ったよ、ここも0℃なんでストーブに火を入れたわ」
とおっしゃった
十津川は大丈夫だって言葉を聞いて一安心
10:20 バスは先月のゴール地点の三田谷へと国道168号線から733号線へと狭い道を走ります
三田谷=びただに、と読むそうな、、この地方の発音の名残??とか 美田谷の漢字の変化??
168号線沿いの猿谷ダムの対岸の景色は山桜や新緑が素晴らしい
733号線は小型バスでもギリギリで工事中の所や小さな古いコンクリートの橋を進む
ようやく、くねくねと酔いそうになりながら今回の歩きのスタート地点に到着
ストレッチしたら一つしかないトイレに一目散、やりました一番~だけど二番になりました
結局は最後の人を待つのですからどうでもいいんですけどね、、、、
入れ替わりに2号車のバスのグループも到着して1号車のグループは先に出発です
三浦峠への登山口へと歩き始めると、平維盛の墓と伝えられるところや
大塔宮護良親王が落ち伸びてこの辺りの五百瀬の荘司に行く手を遮られ五色の御旗を渡して通行を許され
それを知った家来の村上義光が大いに怒り荘司の家来を水田に投げ飛ばし腰を抜かしたそうで
「腰抜田」と呼ばれるようになったと言われるところ(今は明治の大水害で埋没して地名のみ)を通過して
流れる神納川にかかる吊橋の船渡橋を渡ります、かつては渡し舟があったそうです
この橋はしっかりとした隙間の小さな網状の鉄の吊橋ですので大して揺れません
橋を渡って直ぐに標高差700mの三浦峠への長い登り道の登山口です
三浦集落の最後の民家を過ぎて古い石畳の残った山中へと進むと樹齢500年前後と推定される
巨大な杉があります、傍らにはかつて旅籠だった吉村家の屋敷跡があり防風林だったと思われるそうです
急な上り坂を25丁石、30丁石と行き着くと水場があります
一息入れて先へ行くと参詣道は2年ほど前から通行止めになってしまい迂回路を直進です
少し道は緩やかになり更に登って行きます
右手に先月登って雪渓を越えて下ってきた伯母子岳が良く見えています
雲を被ってしまいました~~
先ほどまで汗ばんでいたのに急に風が吹き荒れとても冷えてきました
(13:20) 1080mの三浦峠に到着しました、
およそ120年前の明治の大水害で被害に会った十津川の人たちはこの小辺路を通って
高野山から堺へ、そして神戸から遠い北海道へと移住して行ったのです
村との最後の別れの地、多くの人の涙の残る峠です
今も北海道に残る「新十津川」の地名がそれを語っていますね
小辺路が世界遺産に登録された時に記念樹のツツジを新十津川町から送られたときのものでしょうか
東屋もあり遅い昼食休憩です
お世辞にも立派とは言えないトイレもあります
が、、、、、とんでもない寒さに食事もろくに喉を通らない人がいます、、
トイレに駆け込んだ女性が「下から風が吹き上げて逆流しそうやった~~」と言って帰ってきました
皆、上着をありったけ着込んで這這の体で先へ進みます
2班も風の当たらない所で座って食事してますが寒さが堪えています
中には立ったままでおにぎりを頬張っている人もいます
雨は降ることはなさそうですがお日様も顔を出してくれそうもありません
見晴らしもありません長居は無用です、さっさと行きましょう
峠を南に下って暫くすると苔衣を纏い赤い帽子を着たお座り地蔵様がいらっしゃいました
天保10年の作だそうな
この平らな地は屋号を「古矢倉」と」いう茶店があった跡との説明板がありました
さらに尾根に沿って下るとだんだん暖かさが戻ってきました
更に出店跡などを通過して
自然林の中、段築の心地よい足元になんとか歩が進むようになりました
小さな五輪の塔がありました
やはり周囲には大きな木があります
密教の五輪の説明してもらいました
物質構成の要素である五大を円に擬していう語のことで
地、水、火、風、空、の輪の総称ですって
空とは永遠不変の固定的実体がないこと
般若心経の「色即是空」かな
ここでは‘そら’ではなく‘くう’と読みましょう
ワタシ、記事にしても、もう明日には忘れてますよ~~
そうか~空ねぇ~~なんて今ひとたび遍路巡礼の日を思いながら下って
矢倉観音堂までやってきた
ちょっと休憩しましょう 15:25
お堂の中に如意輪観音様、地蔵菩薩様、観音菩薩様の三体が安置されている
台石には大阪天満市場なんのそれがしと銘が刻まれてある・・・説明板より
地元の集落の人々が守り続けておられる
右側が崖になっているところもありましたが集落の外れの廃屋を過ぎて
<<明らかに最近までお住まいになっていたのね~~
この先の三軒のうちの二軒は大阪と奈良から移り住まわれた女性の一人暮らしとか
どうですか、そろそろ隠居住まいに~~>>
なんて話ながら村道にでました
矢倉集落を過ぎて西中大谷橋より西中バス停へ到着です 16:00
ここから嫌~な国道歩き8キロです
従ってフリーウオークでリーダーも添乗員も最後を守りますから
約2時間の道のり
自由に最後より遅れないように歩きます
ワタシ達4人の女性はかねて鍛えたウオーキングの成果を発揮して
ずんずん歩きます
途中でトイレ休憩してる間に二人の男性が追い抜いて行かれました
そして後方からもう一人男性が
若いもんに負けてられるか~~と笑いながら追い越して行かれました
この橋渡るの~~真ん中渡って行きよ~~
え~ほんまにこの橋渡るんかいなぁ?
地図見て、合ってる合ってる
西川に沿って国道は曲がりくねってなかなかホテルが見えません
もう足がくたびれた上に山靴では靴擦れになりそう
地元の散歩の奥さんが大きなイタドリを片手に笑顔で挨拶してくださり
シャクナゲも笑って迎えてくれてなんとか元気を取り戻します
お~~~やっと見えました~~~
ホテル昴の郷
17:35
予定より30分早く到着
早速部屋になだれ込んで
星の湯へと走ります
女性は4人以外はずっと遅れてますので
洗身もシャンプーも思いのまま
アメニティも揃ってて言うこと無し
露天風呂は檜の箱風呂と壺湯もあり浸かり放題~~
飲泉もあります
汗を流してお肌もサラサラ
シミ、シワはとれないけどね
また 22:00 に入りにきましょう
満天の星が見えるはずです
あんなに重い雲が垂れ込めていたのにすっかり良い天気になりましたもの
後続の方たちも到着してお風呂場が混雑したようです
ゆっくり夕食を待って
19:00
いっただきま~す
お料理が運ばれてくるのが待ち遠しいです
鮎の塩焼き
きのこ鍋
かき揚げ
茶碗蒸し
クレームブリュレ
未だ登場してません
お品書きの
※むこだまし
十津川村ではお米はわずかしか収穫できませんでした
お正月にお嫁さん達が「むこ様には白もちを食べさせたい」
と思いましたが、もち米がないので地元でとれるねばりのある
白い粟で、もちをついて食べさせました
そういったお話からこの粟は「むこだまし」といわれております
と、説明書きが添えてありました
葛あん仕立てになっておりあっさりとして餅の食感もありました
そして最後にご飯とお吸い物と香の物
はっはっは ***********消費したカロリーは何処へやら~~~
皆が寝静まった頃
今一度満天の夜空を楽しみに露天風呂へ
すると壁の向こうでは
一人悦に入って「さらば~~昴よ~~」と賑やかなこと
こちらの女性風呂も調子を合わせて拍手~
ちょっと雰囲気なくして夜空の北斗七星を見上げて
早々に退散
明日はきっときっとお天気ですよ~~
そっと~そっと~
おや~すみなさい~~
早朝は天気の兆しがあったのにいつの間にか雲は厚く今にも降りそうな雲行きになった
大阪梅田を7:20に出発した1号車のバスは今日は途中で集客せずに17名での小型だ
阪神高速の環状線で事故渋滞に危うく巻き込まれるところを北浜から一般道に降りて
夕陽丘から再び高速に入り順調に「道の駅大塔」へとやってきた
トイレ休憩とお弁当を受け取りに下車すると<<寒~~~@@>>
茶屋でアッツアッツのこんにゃくの炊いたんを買ってバスの中で食べた
茶屋の奥さんが「今日は高野山や野迫川は雪が降ったよ、ここも0℃なんでストーブに火を入れたわ」
とおっしゃった
十津川は大丈夫だって言葉を聞いて一安心
10:20 バスは先月のゴール地点の三田谷へと国道168号線から733号線へと狭い道を走ります
三田谷=びただに、と読むそうな、、この地方の発音の名残??とか 美田谷の漢字の変化??
168号線沿いの猿谷ダムの対岸の景色は山桜や新緑が素晴らしい
733号線は小型バスでもギリギリで工事中の所や小さな古いコンクリートの橋を進む
ようやく、くねくねと酔いそうになりながら今回の歩きのスタート地点に到着
ストレッチしたら一つしかないトイレに一目散、やりました一番~だけど二番になりました
結局は最後の人を待つのですからどうでもいいんですけどね、、、、
入れ替わりに2号車のバスのグループも到着して1号車のグループは先に出発です
三浦峠への登山口へと歩き始めると、平維盛の墓と伝えられるところや
大塔宮護良親王が落ち伸びてこの辺りの五百瀬の荘司に行く手を遮られ五色の御旗を渡して通行を許され
それを知った家来の村上義光が大いに怒り荘司の家来を水田に投げ飛ばし腰を抜かしたそうで
「腰抜田」と呼ばれるようになったと言われるところ(今は明治の大水害で埋没して地名のみ)を通過して
流れる神納川にかかる吊橋の船渡橋を渡ります、かつては渡し舟があったそうです
この橋はしっかりとした隙間の小さな網状の鉄の吊橋ですので大して揺れません
橋を渡って直ぐに標高差700mの三浦峠への長い登り道の登山口です
三浦集落の最後の民家を過ぎて古い石畳の残った山中へと進むと樹齢500年前後と推定される
巨大な杉があります、傍らにはかつて旅籠だった吉村家の屋敷跡があり防風林だったと思われるそうです
急な上り坂を25丁石、30丁石と行き着くと水場があります
一息入れて先へ行くと参詣道は2年ほど前から通行止めになってしまい迂回路を直進です
少し道は緩やかになり更に登って行きます
右手に先月登って雪渓を越えて下ってきた伯母子岳が良く見えています
雲を被ってしまいました~~
先ほどまで汗ばんでいたのに急に風が吹き荒れとても冷えてきました
(13:20) 1080mの三浦峠に到着しました、
およそ120年前の明治の大水害で被害に会った十津川の人たちはこの小辺路を通って
高野山から堺へ、そして神戸から遠い北海道へと移住して行ったのです
村との最後の別れの地、多くの人の涙の残る峠です
今も北海道に残る「新十津川」の地名がそれを語っていますね
小辺路が世界遺産に登録された時に記念樹のツツジを新十津川町から送られたときのものでしょうか
東屋もあり遅い昼食休憩です
お世辞にも立派とは言えないトイレもあります
が、、、、、とんでもない寒さに食事もろくに喉を通らない人がいます、、
トイレに駆け込んだ女性が「下から風が吹き上げて逆流しそうやった~~」と言って帰ってきました
皆、上着をありったけ着込んで這這の体で先へ進みます
2班も風の当たらない所で座って食事してますが寒さが堪えています
中には立ったままでおにぎりを頬張っている人もいます
雨は降ることはなさそうですがお日様も顔を出してくれそうもありません
見晴らしもありません長居は無用です、さっさと行きましょう
峠を南に下って暫くすると苔衣を纏い赤い帽子を着たお座り地蔵様がいらっしゃいました
天保10年の作だそうな
この平らな地は屋号を「古矢倉」と」いう茶店があった跡との説明板がありました
さらに尾根に沿って下るとだんだん暖かさが戻ってきました
更に出店跡などを通過して
自然林の中、段築の心地よい足元になんとか歩が進むようになりました
小さな五輪の塔がありました
やはり周囲には大きな木があります
密教の五輪の説明してもらいました
物質構成の要素である五大を円に擬していう語のことで
地、水、火、風、空、の輪の総称ですって
空とは永遠不変の固定的実体がないこと
般若心経の「色即是空」かな
ここでは‘そら’ではなく‘くう’と読みましょう
ワタシ、記事にしても、もう明日には忘れてますよ~~
そうか~空ねぇ~~なんて今ひとたび遍路巡礼の日を思いながら下って
矢倉観音堂までやってきた
ちょっと休憩しましょう 15:25
お堂の中に如意輪観音様、地蔵菩薩様、観音菩薩様の三体が安置されている
台石には大阪天満市場なんのそれがしと銘が刻まれてある・・・説明板より
地元の集落の人々が守り続けておられる
右側が崖になっているところもありましたが集落の外れの廃屋を過ぎて
<<明らかに最近までお住まいになっていたのね~~
この先の三軒のうちの二軒は大阪と奈良から移り住まわれた女性の一人暮らしとか
どうですか、そろそろ隠居住まいに~~>>
なんて話ながら村道にでました
矢倉集落を過ぎて西中大谷橋より西中バス停へ到着です 16:00
ここから嫌~な国道歩き8キロです
従ってフリーウオークでリーダーも添乗員も最後を守りますから
約2時間の道のり
自由に最後より遅れないように歩きます
ワタシ達4人の女性はかねて鍛えたウオーキングの成果を発揮して
ずんずん歩きます
途中でトイレ休憩してる間に二人の男性が追い抜いて行かれました
そして後方からもう一人男性が
若いもんに負けてられるか~~と笑いながら追い越して行かれました
この橋渡るの~~真ん中渡って行きよ~~
え~ほんまにこの橋渡るんかいなぁ?
地図見て、合ってる合ってる
西川に沿って国道は曲がりくねってなかなかホテルが見えません
もう足がくたびれた上に山靴では靴擦れになりそう
地元の散歩の奥さんが大きなイタドリを片手に笑顔で挨拶してくださり
シャクナゲも笑って迎えてくれてなんとか元気を取り戻します
お~~~やっと見えました~~~
ホテル昴の郷
17:35
予定より30分早く到着
早速部屋になだれ込んで
星の湯へと走ります
女性は4人以外はずっと遅れてますので
洗身もシャンプーも思いのまま
アメニティも揃ってて言うこと無し
露天風呂は檜の箱風呂と壺湯もあり浸かり放題~~
飲泉もあります
汗を流してお肌もサラサラ
シミ、シワはとれないけどね
また 22:00 に入りにきましょう
満天の星が見えるはずです
あんなに重い雲が垂れ込めていたのにすっかり良い天気になりましたもの
後続の方たちも到着してお風呂場が混雑したようです
ゆっくり夕食を待って
19:00
いっただきま~す
お料理が運ばれてくるのが待ち遠しいです
鮎の塩焼き
きのこ鍋
かき揚げ
茶碗蒸し
クレームブリュレ
未だ登場してません
お品書きの
※むこだまし
十津川村ではお米はわずかしか収穫できませんでした
お正月にお嫁さん達が「むこ様には白もちを食べさせたい」
と思いましたが、もち米がないので地元でとれるねばりのある
白い粟で、もちをついて食べさせました
そういったお話からこの粟は「むこだまし」といわれております
と、説明書きが添えてありました
葛あん仕立てになっておりあっさりとして餅の食感もありました
そして最後にご飯とお吸い物と香の物
はっはっは ***********消費したカロリーは何処へやら~~~
皆が寝静まった頃
今一度満天の夜空を楽しみに露天風呂へ
すると壁の向こうでは
一人悦に入って「さらば~~昴よ~~」と賑やかなこと
こちらの女性風呂も調子を合わせて拍手~
ちょっと雰囲気なくして夜空の北斗七星を見上げて
早々に退散
明日はきっときっとお天気ですよ~~
そっと~そっと~
おや~すみなさい~~