へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

木を見て森を見ず    2

2008年03月10日 01時30分02秒 | Weblog
昨日のブログでは、書きたいことの「ほんの一部」しか書くことが出来なかった為、同じテーマでまた書くことにしたのだが、部分的に見れば「表現の違い」が出ることを予め承知をしておいてください。
番組の中では「学力」と言うものに主題が置かれている為に、「いかに子供たちに勉強をさせるか」と言う事に話がいってしまうので、昨日は「学力=学ぶ力」と言う書き方をしたのだが、今日は「何を学ぶか?」と言う部分に触れて見たいと思います。
「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」と言うように、世の中には様々な人が居り、「様々な生き方」をしているのだが、人それぞれ生き方によって必要とするものも違ってくる。
解り易く言うなら、「平屋の家を建てるのには高層ビルを建てるような基礎は必要ないが、平屋を建てる基礎では高層ビルは建てられない」と言うことと同じで、平屋の家で満足できるのであれば、「ブロックを並べた程度の簡単な基礎」でも良いのだが、「後になって二階を増築しようとしても出来ない」と言う事を考えると、将来を見越して「ある程度の基礎」は必要になる。
以前に聞いた言葉であるが、「守・破・離」と言う言葉を思い出した。
名前は忘れてしまったが、ある芸術家の話で、「始めは基本(基礎)を守り、次に基本を破り、最後は基本から離れる事によって自分の物(芸術)になる」と言うのだが、この事からもわかるように「全ての事は基本(基礎)が無くては始まらない」と言うことである。
「学ぶ事の意味がわからない」と言うのは、「学ぶ=勉強=学校」と言う「短絡的な考え方」による物で、「学校を卒業したら勉強しなくて良い」などと言う法律は何処にも無いように、社会に出れば出たで学ぶ事は山ほど有り「学ぶ事が無くなる」などと言う事は絶対にありません。
あと3ヶ月で66になる私でさえ「勉強する事だらけ」で、何か一つの事を解決すると「新たな問題が発生」して来るのだが、「その問題の解決策」には、遥か昔に「難しい試験問題で苦労した」と言う事も役に立っている。
「知識(基礎)」は、お金と違って「使えば使うほど増える」と言う性質があるのだが、反対に「使わないと役に立たなくなってしまう」と言う性質も併せ持っている。
また「何時何に役に立つかわからない」と言う「不確定要素」と言う厄介な問題があるため、「ないがしろ」にされてしまうのだが、「一種の保険」と言う考え方も出来ると思うのだが・・・・。
さて、表題の「木を見て森を見ず」であるが、この「森」は「自然の森」であって「人工的な森」では無い事は言うまでも無いのだが、「自然の森」では、人間が手を加えなくとも、様々な樹木が調和を取って長く維持されるのだが、「人工的な森」では、人間が手を加えて維持して行かないと、やがて「崩壊してしまう」と言う事になる。
人間の学力(学力と言う表現をするからいけないのかもしれないが)にも同じ事が言えるはずで、「受験に必用な学力」だけでは、社会に出てから苦労する事になるだろう。
学力=知識、と言う考え方をすれば、「知識は人生を豊かにしてくれる」と言う言葉もあるように、「身に付けておいて損はない」と思うのだが・・・・。
知識が無い為「折角のチャンスを逃す(運も実力のうち)」と言う事だってあるだろう(運に後ろ髪は無い)。

コメント (11)
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