へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

テレビゲームの危険性に思うこと

2008年03月26日 03時25分27秒 | Weblog
インベーダーゲームあたりから盛んになったテレビゲーム、大人も子供も夢中になっているようだが、その陰に潜む危険性に気が付いていないようである。
私は全く関心がないので、「一体どこが面白いの?」と言った感じなのだが、好きな人に言わせれば「こんな面白い物はない」と言った返事が返ってくるであろうが、私が関心を持たない理由は「遊んでいる」と言うより、「遊ばされている」と感じるからで、一種の「中毒(依存症)」に罹っているようなものではないだろうか?。
お酒やタバコ等と同じ様に、知らないうちに中毒(依存症)になり、後になってから様々な悪影響がでてくるのだが、その事に気が付く事は極めて稀なことではないだろうか?。
私自身、タバコは吸わないのだが、お酒は結構強い方で、若い頃はバカ飲みもしたものだが、十数年前にある事がキッカケでやめました。
そのキッカケとは、飲んだ翌日の朝に感じる「虚しさ」である。
私の場合は、酔いが醒めた後に感じる「虚しさ」の為にお酒をやめたのですが、「虚しさを紛らす」為に飲み続ける人もいるでしょうが、その結果として健康に悪い影響が出ることは考えていないでしょう。
さて、本題の「テレビゲームの危険性」なのだが、「遊んでいるつもりが、遊ばされている」と言うように、物事に対する考え方が「受動的」になり、与えられた情報以外に考えが及ばなくなり、ゲームの世界と現実の世界の違いが解らなくなってしまうのである。
今回の「無差別殺人事件」などはその典型ではないだろうか?。
「人間は欲望の動物である」と言った人も居るように、「常に新しくより強い刺激を求める」という悲しい「人間の性」を考えると、中国製食品の危険性よりも、テレビゲームの危険性のほうが「遥かに高い」ように感じてならない。
問題は「事件を引き起こす」と言う事だけではなく、「正常な人権関係を構築出来ない」「学力(知識・応用力)の低下」「体力、忍耐力の低下」・・・・と、広範囲に及ぶだろう。
「テレビゲームだって結構頭を使う」と言う方もいると思うのだが、どれ程テレビゲームが発達したとしても、「所詮は人間が考えた物」でしかなく、自然界で日常的に起きる「想定外」と言う事は起きるはずもなく、孫悟空がどんなに暴れまわっても、所詮は「仏の手の平の中だった」と言うのと同じ事だろう。
テレビゲームでは、リセットすれば始めからやり直す事も出来るだろうが、現実の世界では「リセットして始めからやり直す」などと言う事は出来ることではない。
今回の事件に対する様々な批判を聞いていると、何となく「テレビゲーム的な考え方」のように感じてならないのだが・・・・。
その一方で「警察の対応」については、現状の組織(人員的なものも含めて)を考えると「テレビゲーム的対応(想定外の事には対応出来ない)」になるのは仕方ないのではないだろうか?。
警察の対応を批判するより、「テレビゲームの危険性」の方を問題にするべきだと思うのだが・・・・。
コメント (3)
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