現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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日本語論 95 和語、倭語

2018-09-05 | 現代日本語百科2025
和語もしくは倭語を古代から用いる。日本国語大辞典の用例に沿ってみる。日本国現報善悪霊異記、810〜824、上・二八に、吾が聖朝の人、道照法師〈略〉新羅に至り、其の山中に有りて法花経を講ず。時に虎衆の中に人有り、倭語を以て問を挙げたり、とある。神羅にいたり、虎衆にある人が和語を用いた、それは吾が聖朝の人、道照法師という文意が読み取れる。その語には11世紀半ばの用例もあり、一方で13世紀に和語の表記が見える。和語は倭語であったとしてよい。17世紀のポルトガル語によるローマ字書きに、わご の発音が確認できる。18世紀に、和語、倭語の表記を見ることができるが、19世紀、音訓新聞字引、1876、萩原乙彦、和語 ヤマトコトバ ヤサシキ と見える。倭の捉え方は中国の史書にあまるが、倭を和として、その両方の表記に、わご とした読みがあった。日本国語大辞典では、この19世紀の用例で、やまとことば の訓読みをする。そこで、辞典の、やまとことば の項目、表記には、大和言葉 大和詞 の見出しにある意味は、和語に同じであるが、 >*信心録(ヒイデスの導師)〔1592〕序・一「コレ ヲ ニッポン ノ コトバニ ヤワラグ ベキ ヨシ ヲウセ ツケラルル ニ ヨッテ、モダシガタウ シテ、マタ コレ ヲYamato cotoba (ヤマト コトバ) ニ ヒルガエシ、ハン ニ キザム モノ ナリ」 という記述は、日本の言葉と、Yamato cotoba の区別をおいたようである。 >*ロドリゲス日本大文典〔1604〜08〕「ワコ、セワ、Yamato cotoba (ヤマト コトバ)、ヤワラゲ、カナノ コトバ」 の説明では、和らげの仮名の言葉を指示している。 . . . 本文を読む

日本語論94  国語を日本語に

2018-09-04 | 現代日本語百科2025
1994年6月、国語か日本語か。およそ4半世紀になる前の議論である。日本語ブームの捉え方もあった。日本語をテーマにする新書判型の出版数により、日本語を扱う書物が売れたとする。見坊 豪紀 、1977年、日本語ブームの回顧と展望、辞書と日本語、玉川大学出版部)は、1975年頃の日本語ブームを検証した文章である、という。日本語にとって、日本の呼称を語そのものの、その由来を明らかにすること、同じく、国語を国語としてきた由来をたどることが、語誌として必要とされてきた。日本国号の論議は新しいものではない。国号について、日本の国号 岩崎小弥太、吉川弘文館、昭 45 に議論があり、それは日本の別称をおおく示していた。国号とは、主に国の称号、あるいは名称のことと解説するウイキペディアには、2通りの意味において使用するとして、帝国、王国、大公国、 公国、首長国、土侯国、共和国、民国などの統治体制、これを政体とする、を表す部分を含めた国の名称を指す場合と、もう1つは政体を除いた国の名称を、国号ということがあるとして、いわば呼び名を挙げる場合を注意している。 . . . 本文を読む

日本語論93 国語

2018-09-03 | 現代日本語百科2025
国語を国の言葉とすると、その国とは何か。国は里であると、郷里であるとして、その国にある言葉は国語である。里は地域それぞれにあるから、郷里は方言をとらえることになる。それをそのままに考え巡らせれば、国に日本をおきそれを里として、郷里の言葉は日本語である。国語に漢語と和語と外来語を語として見るなら、国語はひろくこの地域に使われている言葉であるが、そこに和語ををおくのはなぜか。やまとことばとする。漢語は漢文である。外来語がそこで、国語と本来に対する。そういうことであったかと、国語を国字に見て、文字において、和字と国字と、そこにあるのは和らげの言葉、それを書き表すことである。国字には和製漢字の意味を与えているので、それは漢字の出自のこととして考えておく。国字そのものを文字の、すなわち本来のくにのことばであることを、和字、国字に見ることがあった。国語はしたがって、和訳のことであった。近代にいたって国の語である語をとらえることで、国語国字とした。いかに自分たちの言葉を自分たちの国の言葉とするかが必要となったのである。 . . . 本文を読む

日本語論92  国語が日本語

2018-09-02 | 現代日本語百科2025
日本が nihon か、nippon かと、nihon も nifon であろうかと、このfは両唇摩擦音で、にほん ニッポン と、なやましいとして、その共存を許す故を以て、国語と日本語のいずれをも言語のことであるとする議論がある。国語教育、日本語教育、この二つの呼び分けにも、そこには、学習者、学習対象に違いあるを、その名称にゆだねる実態を言う。このような状況であったかと、かつての国史と日本史、ひいては、おくればせながらの国文学と、日本文学と、そのとらえかたにも、境界を見せなくなってきたのは、時代か。時代かと簡単に嘆くようなものの言いには、日本語教育の趨勢がある、観光客の増加による国内の日本もてなしびいきにある。ニッポン語なのであるから、その発音を外向きに、二ホンを、内向きに、その発音には出入りがあってよい、ホ、声門音の摩擦音は閉鎖音とするか、その位置が喉から、唇に出て、ポ、両親音摩擦、そしてその破裂となる、発音の難易度、にー と言ってみて、口蓋化を起こした口腔は口先へと発した、フォン ポンになる。ippon nihon banbon、それに対する nipponとなる語である。 . . . 本文を読む

日本語論91 国語と日本語とは

2018-09-01 | 現代日本語百科2025
国語は教科目としてとらえられて、国語の及ぶ範囲は言語に文学、言語現象を扱う分野となった。日本語は対外的に国語を日本語と呼び変えて、言語を第一とする。コミュニケーションの言葉と捉えるようになってきた。国語はいつから国語か、日本語はいつから日本語か、これもわかり始めてきたところ、国語の国となる地域と、日本の国名、地域名はどうして、にほん にっぽん なのかと、揺れたままである。わたしには、日本と表記して、そのままに用いることが漢字表記を正しいとする日本語なのであると、してきた。日本国旅券とあって、どこのパスポートでも自国の表記でアイデンティティーを証明する。日本の表記を、やまと という読みをすることは、現代語では、しなくなっているので、日本の呼称は、この文字のまま、正しいのである。 . . . 本文を読む

日本語論89  文章 書き起こし

2018-08-29 | 現代日本語百科2025
文章の書きだしに、文章を読ませる工夫がある、という。連載エッセイセミナー7 書き出しの技法 稲垣吉彦さんの文章である。文筆稼業で、売文ともなればその書き出しにこだわるというのはわかりそうな気もするが、必ずしもそういうわけでもないらしい。それを文芸春秋のコラムを紹介して、大宅壮一氏が書いたのは、アジア、アフリカの旅は、ひとくちにいって火事場見舞いのようなものである、と言うのであった。ことのほか書き出しに神経を使った大宅氏を、、ライフワークの作品の書き出しに、1週間をかけていたと、エピソードでとらえている。文章の書き出しの魅力であろう。書き出し文の興味ある試みをした森村稔氏は、その書き出しにある固有名詞に着目をしたそうだ。人名、地名が書き出しの1行目、2行目に現れる、絶妙の文章になっているということに気づいた、というわけである。固有名詞が引き出す情報の興味であるか。文章の書き出しが固有名詞にあるというのを解説して、なるほどと思わせるところであるが、読み手にそれで読みたくさせるか、その効果が絶対ではない。文芸春秋のコラムを読むときに、わつぃなどは、その書き出しで読むべき優先順位をつけていたからである。それは固有名詞で、そうなっていた。 . . . 本文を読む

日本語論87  文章と形式

2018-08-27 | 現代日本語百科2025
説明的文章があり、もうひとつは文学的文章。さらに、個人的文章。文章の種類を3分類にしている。文芸に散文と韻文を分ける種類があるが、文章形式が散文と韻文で文学ジャンルの分け方になる。ここに、個人的文章とその種類を考えて、ブログ、サイト、スマホ通信文など。   Literary genre . . . 本文を読む

日本語論86 文章の表記

2018-08-26 | 現代日本語百科2025
文章技術で守らなければならないものに、表記法である。誰がまもるか、まもるべき規則はあるか。書き手がまもり、編集者が統一する。それはマニュアルとして、文書校正のためにある。しかし正書法という規則が日本語ではない。本来あるものか、必要でないものか、近代になって出版技術が進んで、いまはワードプロセッサーが文書編集を行うようになったので、機械を作動させるための規則が表記法に出来上がっている。それで、緩やかではあるが、機械にとっては動くか動かないかの重要なシステムであるから、こうしてタイプ打ちにするときに、わたしたちは共通した標準的な書き方をするようになった、と、あくまでも、そのように行われているというものである。機械を使う人間の規則に対する行為は、すべてが是とされるものではないから、このわたしのブログを見ても、その表記には書き手の自由意思が、時として、現れている。したがって、ここに書いている文章は、だれにとっても読みにくいことこの上ない代物であろう。 . . . 本文を読む

日本語教育の語彙17 自動ドア 

2018-08-25 | 現代日本語百科2025
第3部、第15章 ドアが開きます 語彙と意味を考える手始めに日本語の特徴をしめす。ドアが開きます ドアを開けます この表現で、誰かが、動作主となり、主語となって、ドアを開けます となると、考えることになる。ここでひょいと、そういえば、自動ドアという、電車にも、列車の扉にも、そのように書いてあった。丁寧にも、その表記は、自働ドアでもあったから、ドアおのずと開け閉めをしていたのである。その意味するところは、自動ドアを動かすことには変わりないのであるが、日本語では特徴的になる。 . . . 本文を読む