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日本語論84 作文指導

2018-08-24 | 現代日本語百科2025
特集――文章の技術 論文・レポート・感想文 栗原裕氏による。大学教育で、文章表現技法の教科目を担当する経験から、学生の論文、レポートに言及する。作文指導が添削にあるという前提に立てば、ここに紹介された教科目名、文章表現法の総括は畏友国語学者のものとしているが、筆者に感じるところあって、相当なものであろう。4回目を通して返却したものは学生文集となるそうである。他人が読めるようになること、書き慣れること、さまざまのジャンルを書くこと、その3点を指導の眼目にした文章作法であるという。さて栗原氏には大学生の論文、レポートの作成を、論文とは何か、そのテーマとはなにか、指導におけるその説明を書いている . . . 本文を読む

日本語論83 文章と私

2018-08-23 | 現代日本語百科2025
特集――文章の技術 文章と私 林郁さんの一文を読む。人名辞典より、林さんは、平成時代の小説家と言う、昭和後期からと言うと、現在は高齢である。わたしより10年早い生まれである。その語り口調、そこに、この文章の表現性があると感じる。が、同時に昭和後期になる世代感覚がある。文章を書くことが興趣となって戦う命ともなっている。ことをこととする、文章を紡ぎ言葉にするとそれが事である、こと、わざになるひとである。作家カナリア説を唱える。 . . . 本文を読む

日本語論82 句読

2018-08-22 | 現代日本語百科2025
文章と句読は文法の句読点に規則があれば、それにしたがう。しかし句読法を考えると、文章の詩句ともなれば、おのずと句読法をもって句読点をつけるかどうかのことがある。和歌では上の句、下の句と分けて、俳句では上5中7下5また座5とする定型律において、休止符を兼ねるが、句読点は打たないならいである。もとより文章に句読をすることがあって、区切り符号のもとはと言えば、漢文の素読に点を打っていたから、文章体に句読法があったのである。その一方で、文に句読点を施すことが学校教育の作文などに採りいれられて、文法規則にするかどうかを議論してきている。成文化されてはいないが、手引きになるものを含めて、句読点は普及している。それに加えた符号、また区切りとしての、記号が、欧文の影響もあって、横書き文書に使われるようになっているが、それを縦書きの、従来の文章には応用しにくさがあって、区切り符号と言う言い方とともに、句読をどういう機能で使うか、正書法として明文化するものができない。 . . . 本文を読む

日本語論81 文章の技術

2018-08-21 | 現代日本語百科2025
月刊 日本語論 5月1994 Vol.2 No.5 特集――文章の技術 入社試験・小論文でのタブー 太田俊郎氏による。文章論というものはほかのハウツーものと違って、どれほどマスターしてもいっこうにいい文章は書けない、と言う。けだし、正鵠を得る物言いである。新聞社入社試験の800人の学生の小論文をみて、経験するところから、これだけはするなと言うタブーを挙げる。第一は、主語をけちるな。第二は、同じ表現を繰り返すな。第三は、文体で乱れるな。このタブーを、最初の400字くらいで見分ける。900人受験者がいて、そのうちの600人はまずふるいにかけられるが、それでも、このタブーはすべきでないとして、残る300人が、こうして本選に入る、というわけである。表現の正しさは言うまでもないが、鱗が落ちましたと言って、目からを省略するようなのはやはりいただけない。この文にあるタブーの指摘は、文章を読むものをしてイライラさせないことである。正鵠を得るか、射るか、などの表現のことはやはり、気になるところだろうし、主語をけちるなとなると、これはもうほとんど、わたしには文章の書き方として、これでは失格である。 . . . 本文を読む

日本語論80 文章の単位

2018-08-20 | 現代日本語百科2025
文章に章段、文段の単位をおけば、一方で、章句、文句を下位に置くことができる。詩句をもって文章とするならば、和歌をもって歌句、俳諧をもって俳句となる。文法に、文章文法論を設定すれば、文章論の文法、文法論の文章、そして文章論であっても、文の文法と、文章の文章法が、文章の単位を設定することになる。章段は章と句であり、文段は文と句である。文法の節は文節として、あるいは主節、従属節として、文における単位で処理できる。ここに、文章文法論は、文章論と文論にして、文章法と文法に分けてもよい。あるいは、文法文章論として、文法と文章法に分けるが、この文法には日本語文法を欧米語の文法と対照して議論をする。いずれにしても、文法は主語と述語の議論を基本として文の単位で述べるが、その必須要素を設定するかどうかが対象となる。文章は、同じ主語と述語を議論しても、文の単位を超えて文章にそれを求めることができ、さらには主題主語を明らかにできる。言語主体による主語あるいは主体主語を文章で明らかにできる。 . . . 本文を読む

日本語論79 文章と翻訳文

2018-08-19 | 現代日本語百科2025
日本語文章に翻訳文を考えると、文語文と翻訳文の対照をする。比較をしてもそこにはおのずと言語の用法が異なることがある。それは日本語から出て漢文をとらえた場合と、一口に言ってしまって、西欧の文の影響である。文語文章は漢文訓読の文章からつくられてきたとみることができるが、近代になってその文章に新たな翻訳による作品が作られて、それが日本語の文章となったのである。その区別にはただ、国語の学習に、翻訳文学作品が日本語の文章としてあり、それが明らかにするのは、原作者が日本語の使い手ではないことである。漢語によってつくられてきた文章に、物語によって工夫されてきた文章が語りものとしてあり、それは歌の文章であったものから、日本語の文法に通底する語句の用法となって、漢文ではない文章の作品に、翻訳語の影響をもって出来上がる日本語作品である。明治期に現れた翻訳調にはその工夫が見て取れる。 . . . 本文を読む

日本語論78 口語文章、文語文章

2018-08-18 | 現代日本語百科2025
日本語の文章はどのように書かれてきたか。わたしたちの祖先は文章をどう書いたか。話し言葉と書き言葉とするが、そのそれぞれに文章があるということか。口語文、文語文という区別は近代になって意識されてきたのは言文二途のことからであるから、それをさかのぼって口語文章、文語文章をとくに示すものはない。文語文章が代表して日本語の文章であったのである。 しかし、実はここに日本語文章を明らかにしようとすると、文学作品には文章体である物語文学、説話文学などの作品に、随筆、日記、紀行などの文章を見ることになる。そしてこれらの和文には話しことばのもとになる句が認められる。歌句、唱句、佳句があり、歌説話、歌物語に和歌文学はその背景となる。そしてさらに、説話には漢文訓読の日本語文章があった。漢語を用いる文章は書き言葉としての伝統を持つことになり、それは漢学の才として官吏の教養であった。文章語は明治以降、近代社会に脈々と受け継がれて文語文と口語文の境界を形作った。 . . . 本文を読む

斟酌

2018-08-14 | 現代日本語百科2025
斟酌に、手加減する意味が現れる。忖度が悪だくみに用いられる。どちらも、漢字の難しい語である。斟酌は、もと、水、飲料などをくみ分ける意から、酒を酌み交わすことにもなる。さらに、控えめにする、辞退する、と、転義に近い意味内容になる。 . . . 本文を読む

日本語論77  章句論

2018-08-13 | 現代日本語百科2025
日本語の文法単位を文に設定し文を絶対に議論を行ってきた。日本語に文があるというものであった。その考え方は学校教育に実践的に取り入れて、文の単位を説明する。日本語に文を相対に認めて日本語には文章があって文の単位を持たないとすれば、文章には章句があると設定し、文は必須単位でなくなる。文章を単位に文法記述をすることが日本語の分析に可能であるか。文章である章と句また文をもつとする。 . . . 本文を読む

日本語論74 日本語とリカージョン

2018-08-10 | 現代日本語百科2025
 日本語は漢語を取り入れた言語である。そのころに和語また大和語があったと、そのように推定すると、漢文訓読によって和語に漢文法をいれた、という仮説を立てることができる。その仮説では、その後の日本語には英語を受け入れ、英文法を範とした、とすることができる。 漢文を約1600年、そして欧州の諸言語を数百年前から順次、外来語としていれることになり、さらに英文を約160年、それぞれから学び受け入れてきたことをもって、日本語は漢語を学び、英語を学び続ける言語である、との考えをめぐらせることになった。 . . . 本文を読む