国語を国の言葉とすると、その国とは何か。国は里であると、郷里であるとして、その国にある言葉は国語である。里は地域それぞれにあるから、郷里は方言をとらえることになる。それをそのままに考え巡らせれば、国に日本をおきそれを里として、郷里の言葉は日本語である。国語に漢語と和語と外来語を語として見るなら、国語はひろくこの地域に使われている言葉であるが、そこに和語ををおくのはなぜか。やまとことばとする。漢語は漢文である。外来語がそこで、国語と本来に対する。国語と外国語である。そういうことであったかと、国語を国字に見て、文字において、和字と国字と、そこにあるのは和らげの言葉、それを書き表すことである。国字には和製漢字の意味を与えているので、それは漢字の出自のこととして考えておく。国字そのものを文字の、すなわち本来のくにのことばであることを、和字、国字に見ることがあった。国語はしたがって、和訳のことであった。近代にいたって国の語である語をとらえることで、国語国字とした。いかに自分たちの言葉を自分たちの国の言葉とするかが必要となったのである。
特集記事、国語か日本語か、国語意識の発生 古田東朔氏が、日本語論6月 1994 Vol.2 Mo.6 に、江戸時代前期に使われた例を述べている。新井白石、室窮鳩桑に、国語 が見える。次いで、国学者による、ミクニコトバ の例である。御国と異国の対比で、皇国とする例が本居宣長に現れて、国語、国詞と用いることが、その語に現れる。御国語、御国詞を略した言い方に至る。そこで、洋学者による国語について、訳語をとらえる言い方が、言語の大役、対照に現れる。江戸時代後期の流れで、国語に方言として、また地域の言語として、日本に限らず概念がとらえられるようになるここで古田氏は幕末期からの国語の用法に、フリガナによる呼称を挙げている。コクゴに、クニコトバとなる、オランダ語との意識による。国語、国詞の語に、みくにことば と、こくご と、和蘭から和英へと移る時期がある。和英語林集成は第3版に国語、日本語になる、コクゴ、ニホンゴが併載されるようになる。1886年の出版で、外国語との対比に用いられるようになってきたと見ている。
デジタル大辞泉の解説
こく‐ご【国語】
1 一国の主体をなす民族が、共有し、広く使用している言語。その国の公用語・共通語。
2 日本の言語。日本語。
3 「国語科」の略。「国語の先生」
4 外来語・漢語に対して、日本固有の言葉。和語。大和(やまと)言葉。
[補説]書名別項。→国語
こくご【国語】[書名]
中国の歴史書。21巻。左丘明の著といわれるが未詳。春秋時代を中心とする周・魯(ろ)・斉・晋・鄭(てい)・楚(そ)・呉・越の各国別の記録。「春秋左氏伝」と並び称された。春秋外伝。
国語(読み)こくご
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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国語
こくご
Guo-yu
中国,古代の歴史書。『春秋外伝』ともいう。 21巻。国別の春秋時代史。「国語」とは「各国の歴史物語」の意。
百科事典マイペディアの解説
国語【こくご】
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日本語を指す〈国語〉という言葉は明治の初期に生まれ,1894年上田万年が講演の題名〈国語と国家と〉に用い,〈国体の標識〉としての〈国語〉と表現してから定着した。日本(語)特有の表現であったが,中国,韓国,台湾などの漢字使用国でも用いられるようになった。
世界大百科事典 第2版の解説
こくご【国語】
一般には〈日本語〉の意味で使われているが,〈何ヵ国語も話せる〉というような場合は,他と異なる記号の体系としての言語をさす。しかしより厳密にそれぞれの国の自国語という意味では,ある国家の公的な言語をさし,〈国家語〉あるいは,〈公用語〉ともいう。アイヌ語はこの意味で国語ではない。国家語をもたない国家はないが,ある言語が,2ヵ国以上の国家語となることはありうる。たとえば,英語はイギリス連邦諸国,アメリカ合衆国の国家語である。
こくご【国語 Guó yǔ】
中国,春秋時代の歴史を国別にまとめた書。21巻。著者は不明。孔子の門人の左丘明の作とする説があり,《左氏伝》を〈春秋内伝〉と言うのに対して,〈春秋外伝〉と称される。春秋時代には斉・晋・楚・呉・越がかわるがわる中国の覇権をにぎり,歴史はその興亡を主軸として展開された。本書はこの5国,いわゆる春秋の五覇に,旧大国である周・魯・鄭の3国を加えて構成されている。記載する年代は,周の穆(ぼく)王35年(前967)から貞定王16年(前453)までで,《春秋》が記載する年代(前722‐前481)よりはるかに長い。