なのだ 二重判断と説明したのは、国語教育の教科文法を文節にして、国語を進めてきた方々であっただろうかと、それは研究所の所長に代々、ついておられた。
岩波国語辞典に編者として名をとどめている。
センテンスの判断は1回、それを言語にするとすれば、二重主語のような捉え方はどうしてか。
なのだ といえば、どうして二重の判断ができるのか、いまでは強調とか念押しの語尾の用法のようになってしまっているが、この日本語は根底にある解明すべき論法となる。
のだ 文末につけて、話ことばで、んだ と言う現象が、テレビ放送の関東弁で耳につくことがあった。 . . . 本文を読む