社会の語はいつから、どう使われたか。その初出を、近思録として日本国語大辞典は、解説の見出しの後に補注する。それによれば、その文献での年代は、1176年である。中国語の語義では、社shè というのは、土地の神を祭ったところという意味で、人びとの集りという意味の、会huì をつけて、村人たちが土地の神を祭ったところに集まる、といっている、のであるから、これは現代の意味での社会とは別のことである、世界大百科事典で説明がある。ちなみに近思録について
、>中国語に関しては,宋代の儒学者程伊川(1033-1107)の遺著《二程全書》に〈郷民為社会〉とあるのが引用されるのが常である(この句は朱子と呂祖謙によって編さんされた《近思録》にも収録されている)。現代の中国語で用いる〈社会〉は,日本語からの逆輸入によるものである。
したっがって、社会性を問うことは、日本人には、それまでに、使われた、世間 で考えることになるか。辞書議には、福地桜痴、明治8年、1875年1月14日、東京日日新聞に、ソサイチーのルビ付きで使ったと説明している。
あるブログから、次に引用する。年代は前後する。
ブログ記事は2012年である
>グローバル的に見れば、世界中の73%の人が、"Think Globally, Act Locally" (世界規模で考え、ローカルに動く) という。
ソース
http://www.waldenu.edu/Documents/About-Us/Walden_University_Social_Change_Impact_Report_Global_Infographic1.pdf
http://ameblo.jp/cometoknow/entry-11350460145.html
2012年09月09日
世界的に見て日本人の社会性が欠如してきてる説(グラフあり)
テーマ:international
>
世界的に見て、日本人の社会性が欠如している疑惑が発覚した。
Topic for tomorrow date
(調査・発表は2011年9月)
多くの国の人が、自ら行動を起こすよりも、社会的な変化・変革と関わることが重要だと話している。
上のグラフによれば
左の白い線は社会的な変革に関わる(巻き込まれる)ことが重要だと考えている人の割合。
右の茶色い線は、過去6ヶ月の間に、社会的な変革活動に参加した人の割合。
グラフを見れば一目瞭然だが、メキシコ、ブラジル、中国、インドなど、BRICs系の発展途上国で
高い割合を示し、一方で、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本では低い割合。
ただ、過去6ヶ月の(茶色い線)・・・を見れば、日本の割合が一番低い。
(ということは、つまり日本人は社会活動に無関心・・・社会性が欠如しているということだろう)
社会変革活動というのが、どういったものを意味するのかは人によって違うかもしれないが
ソース(下記)によれば、医療問題、教育問題、環境問題、貧困問題、社会的な正義、
紛争、戦争とテロリズム、国の治安維持などに関する活動を指すようだ。
確かに、最近の多くの日本人は、個人趣味に走りがちで、社会的な活動には関心が薄い気がする。
世界大百科事典
社会 しゃかい
society
>
社会(society)
語義
複数の人びとが持続的に一つの共同空間に集まっている状態,またはその集まっている人びと自身,ないし彼らのあいだの結びつきを社会という。この定義では,街頭の群集や映画の観衆のような流動的・一時的な集りは排除されているが,人びとのあいだに相互行為があるとか役割関係があるとか共通文化があるとかいったような,社会学的によりたちいった限定についてはまだふれられていない。これらの点の考察はもう少しあとの段階で述べよう。
日本語の〈社会〉という語は,1875年に,《東京日日新聞》の主筆をしていた福地桜痴によって,英語のsocietyの訳語としてつくられたという。当時は,ほかに〈世態〉〈会社〉〈仲間〉〈交際〉などの訳語も行われていたが,しだいに淘汰されて〈社会〉に一本化されていった。つまりこの語は訳語として登場したのであって,それ以前の日本には概念としてなかったものである,という点が重要である。
日本大百科全書(ニッポニカ)
社会 しゃかい
society 英語
Gesellschaft ドイツ語
>
社会ということばは訳語であって、原語は結合、交際、寄り合い、仲間、社交などの意味をもち、共同の集会の場における諸個人相互間の交流(コミュニケーション)という集合行為を示すことばである。
日本国語大辞典
しゃ‐かい[:クヮイ] 【社会】
解説・用例
〔名〕
(「近思録‐治法類」の「郷民為社会、為立科条、旌別善悪、使有勧有恥」から出た語)
『近思録』は、朱熹と呂祖謙が周濂渓、張横渠、程明道、程伊川の著作から編纂した、1176年に刊行された朱子学の入門書である。
中国の古い語義では,〈社shè〉というのは土地の神を祭ったところという意味で,上記の用例ではこれに人びとの集りという意味の〈会huì〉をつけて,〈村人たちが土地の神を祭ったところに集まる〉といっているのであるから,これは現代の意味での社会とは別のことである。現代の中国語で用いる〈社会〉は,日本語からの逆輸入によるものである。
>語誌
(1)幕末から明治初期にかけて、西洋のsociety という概念に対応する訳語としては「交際」「仲間」「組」「連中」「社中」などが当てられていた。その中で、福地桜痴が明治八年(一八七五)一月一四日の「東京日日新聞」に初めて「ソサイチー」のルビ付きで「社会」という語を使用した。
(2)「和英語林集成」の初版にはないが、改正増補版(一八八六)では見出し語に立つようになる。ただし、最初は当時の「会社」と重なる部分が多く、かなり狭い意味で用いられていた。明治一〇年頃から一般に普及し、現在のような広い意味で使用されるようになった。
用例
*日本詩史〔1771〕三「以故社会綿綿二十有余年」
*輿地誌略〔1826〕二・伊斯把你亜「一会の男子壮健の者を選て、立刻に二万の軍を起すべし、而して其余衆、猶社会を空せず」
*哲学字彙〔1881〕「Society 社会」
*当世書生気質〔1885〜86〕〈坪内逍遙〉三「旧幕時代の社会(シャクヮイ)とちがって、今は何事も自由だから」
*浮雲〔1887〜89〕〈二葉亭四迷〉二・七「昔所謂お役人様、今の所謂官員さま、後の世になれば社会の公僕」
*悪魔〔1903〕〈国木田独歩〉八「山を下れば社会(シャクヮイ)あり。食物あり、衣服あり、住宅あり、父母あり、隣人あり」
*当世書生気質〔1885〜86〕〈坪内逍遙〉三「上方出の書生にや、此社会(シャクヮイ)にはいと希なる注意家とこそ思はれたれ」
*或る女〔1919〕〈有島武郎〉前・一四「東へ東へと心細く走り続ける小さな汽船の中の社会は、あらはには知れないながら」
、>中国語に関しては,宋代の儒学者程伊川(1033-1107)の遺著《二程全書》に〈郷民為社会〉とあるのが引用されるのが常である(この句は朱子と呂祖謙によって編さんされた《近思録》にも収録されている)。現代の中国語で用いる〈社会〉は,日本語からの逆輸入によるものである。
したっがって、社会性を問うことは、日本人には、それまでに、使われた、世間 で考えることになるか。辞書議には、福地桜痴、明治8年、1875年1月14日、東京日日新聞に、ソサイチーのルビ付きで使ったと説明している。
あるブログから、次に引用する。年代は前後する。
ブログ記事は2012年である
>グローバル的に見れば、世界中の73%の人が、"Think Globally, Act Locally" (世界規模で考え、ローカルに動く) という。
ソース
http://www.waldenu.edu/Documents/About-Us/Walden_University_Social_Change_Impact_Report_Global_Infographic1.pdf
http://ameblo.jp/cometoknow/entry-11350460145.html
2012年09月09日
世界的に見て日本人の社会性が欠如してきてる説(グラフあり)
テーマ:international
>
世界的に見て、日本人の社会性が欠如している疑惑が発覚した。
Topic for tomorrow date
(調査・発表は2011年9月)
多くの国の人が、自ら行動を起こすよりも、社会的な変化・変革と関わることが重要だと話している。
上のグラフによれば
左の白い線は社会的な変革に関わる(巻き込まれる)ことが重要だと考えている人の割合。
右の茶色い線は、過去6ヶ月の間に、社会的な変革活動に参加した人の割合。
グラフを見れば一目瞭然だが、メキシコ、ブラジル、中国、インドなど、BRICs系の発展途上国で
高い割合を示し、一方で、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本では低い割合。
ただ、過去6ヶ月の(茶色い線)・・・を見れば、日本の割合が一番低い。
(ということは、つまり日本人は社会活動に無関心・・・社会性が欠如しているということだろう)
社会変革活動というのが、どういったものを意味するのかは人によって違うかもしれないが
ソース(下記)によれば、医療問題、教育問題、環境問題、貧困問題、社会的な正義、
紛争、戦争とテロリズム、国の治安維持などに関する活動を指すようだ。
確かに、最近の多くの日本人は、個人趣味に走りがちで、社会的な活動には関心が薄い気がする。
世界大百科事典
社会 しゃかい
society
>
社会(society)
語義
複数の人びとが持続的に一つの共同空間に集まっている状態,またはその集まっている人びと自身,ないし彼らのあいだの結びつきを社会という。この定義では,街頭の群集や映画の観衆のような流動的・一時的な集りは排除されているが,人びとのあいだに相互行為があるとか役割関係があるとか共通文化があるとかいったような,社会学的によりたちいった限定についてはまだふれられていない。これらの点の考察はもう少しあとの段階で述べよう。
日本語の〈社会〉という語は,1875年に,《東京日日新聞》の主筆をしていた福地桜痴によって,英語のsocietyの訳語としてつくられたという。当時は,ほかに〈世態〉〈会社〉〈仲間〉〈交際〉などの訳語も行われていたが,しだいに淘汰されて〈社会〉に一本化されていった。つまりこの語は訳語として登場したのであって,それ以前の日本には概念としてなかったものである,という点が重要である。
日本大百科全書(ニッポニカ)
社会 しゃかい
society 英語
Gesellschaft ドイツ語
>
社会ということばは訳語であって、原語は結合、交際、寄り合い、仲間、社交などの意味をもち、共同の集会の場における諸個人相互間の交流(コミュニケーション)という集合行為を示すことばである。
日本国語大辞典
しゃ‐かい[:クヮイ] 【社会】
解説・用例
〔名〕
(「近思録‐治法類」の「郷民為社会、為立科条、旌別善悪、使有勧有恥」から出た語)
『近思録』は、朱熹と呂祖謙が周濂渓、張横渠、程明道、程伊川の著作から編纂した、1176年に刊行された朱子学の入門書である。
中国の古い語義では,〈社shè〉というのは土地の神を祭ったところという意味で,上記の用例ではこれに人びとの集りという意味の〈会huì〉をつけて,〈村人たちが土地の神を祭ったところに集まる〉といっているのであるから,これは現代の意味での社会とは別のことである。現代の中国語で用いる〈社会〉は,日本語からの逆輸入によるものである。
>語誌
(1)幕末から明治初期にかけて、西洋のsociety という概念に対応する訳語としては「交際」「仲間」「組」「連中」「社中」などが当てられていた。その中で、福地桜痴が明治八年(一八七五)一月一四日の「東京日日新聞」に初めて「ソサイチー」のルビ付きで「社会」という語を使用した。
(2)「和英語林集成」の初版にはないが、改正増補版(一八八六)では見出し語に立つようになる。ただし、最初は当時の「会社」と重なる部分が多く、かなり狭い意味で用いられていた。明治一〇年頃から一般に普及し、現在のような広い意味で使用されるようになった。
用例
*日本詩史〔1771〕三「以故社会綿綿二十有余年」
*輿地誌略〔1826〕二・伊斯把你亜「一会の男子壮健の者を選て、立刻に二万の軍を起すべし、而して其余衆、猶社会を空せず」
*哲学字彙〔1881〕「Society 社会」
*当世書生気質〔1885〜86〕〈坪内逍遙〉三「旧幕時代の社会(シャクヮイ)とちがって、今は何事も自由だから」
*浮雲〔1887〜89〕〈二葉亭四迷〉二・七「昔所謂お役人様、今の所謂官員さま、後の世になれば社会の公僕」
*悪魔〔1903〕〈国木田独歩〉八「山を下れば社会(シャクヮイ)あり。食物あり、衣服あり、住宅あり、父母あり、隣人あり」
*当世書生気質〔1885〜86〕〈坪内逍遙〉三「上方出の書生にや、此社会(シャクヮイ)にはいと希なる注意家とこそ思はれたれ」
*或る女〔1919〕〈有島武郎〉前・一四「東へ東へと心細く走り続ける小さな汽船の中の社会は、あらはには知れないながら」