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日本語文法議論23812
文学に親しんだというと趣味と研究と合わせたような本の読み方で古典作品に興味があってスタートしてからの学生時代のゼミナールで文学語法に重心を置いたからその後に古典、国語国文学から日本語学日本語教育に至る興味と実益の広がりをもつことになり日本文化そのものに及んでいる。あくまで文献実証と言葉の領域にとどまる。
時枝仮説の演繹は文章論の解決をすることで可能かどうか、そして三上学説は当初の読後感から日本語文法ではないという言語学対象の衒学の面白さでそこに数式や建築のことであればよかったのだろうけれど古典語を知るものからすれば国語研究を知らないという思いであったから選書の理解には大いに学ぶところで疑問符をつけた。
現代語法序説 1953
現代語法新説 1955
続・現代語法序説 ―主語廃止論― 1959 復刊1972年
新訂版 現代語法序説 ―主語は必要かー 1959
出版の経緯に復刊事情も併せて見れば、序説、新説、続、となって1953、1955、1959が1972と衣替えしている。
なお手元にあるのは序説、新説、続、ともに1972復刊本、くろしお出版である。
三上理論を主語廃止論とすると、続 によるべきであるか。
その第2章 いわゆる主述関係、S-Pの呼応 35ページ以下による。
>このような論理的内容をさながらに表すのが日本語構文である。矢印で従属を示して次のように書くことができる。語純情、甲を先頭に置くことをみれば、付けたりにも考慮を払って公平であることがわかる。
甲ガ\
乙ニ―紹介シタ
丙ヲ/
西洋人は右の論理的内容を無視する。そしてもっぱら付けたりを誇張し、「紹介」に絶対必要な三人のうち甲一人だけを強引に引き立てる。
しかし、この記述になる理論はさかのぼって見直すとどうなるか。
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