現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

父の日

2019-06-16 | 思い遥かに

父の日に思う。母の日には、思ったか、想いをもって過ごしたが、いつも、はて命日はいつだったかと、いまだに書くことがない。それでは父の日の命日はいつだったか、1月2日の早暁であった、1995年が大震災で平成17年と繰って、くしくもその難を逃れた父は佐渡にいて、翌18年に亡くなった。それから22年がたつ。明治生まれであった。思えば敗戦の年、12月に引き揚げ家族となった。持てる荷物と両手に子たちを引き連れて上海から母の日には、思ったか、想いをもって過ごしたが、いつも、はて命日はいつだったかと、いまだに書くことがない。それでは父の日の命日はいつだったか、1月2日の早暁であった、1995年が大震災で平成17年と繰って、くしくもその難を逃れた父は翌18年に亡くなった。それから22年がたつ。明治生まれであった。敗戦の年、12月に引き揚げ家族となった。持てる荷物と両手に子たちを引き連れて上海から博多へ、そして宮崎の社宅に伯父によって誘われ落ち着いた。その地で翌年、わたしは生を享けて、すぐにも兵庫へと転じた。それまでの父は大陸経験をして外地の生活、中国天津、上海、マレーシア、シンガポールと7年ほど貿易商勤務をしているが、それを語ることはほとんどなかった。すべてを、記録となるようなものは写真をはじめ、すべて捨て、着のみ着のままに帰国したからであるか、あるいは戦争体験は軍隊になく、甲種合格で赤紙はもらっていたが、免除された業務に、それよりもさらに戦争を知る運命があったのである。それから子たちを育て上げた、いわば裸一貫からの敗戦後、半世紀はどのような道であったろうか――


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。