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日本語の主語

2014-07-12 | 日本語あれこれ百科
120 主語って何かな 日本語には主語があるのかな

文法の議論である。
日本語文法で主語がある、それとも、主語がない、という議論は、主語とは何かを規定することで考えることになる。

主語を辞書で確かめると、成分の一つとあって、文の成分には、ほかに述語があるというふうに指示する。
これによって、主語と述語の対応が理解できる。

すなわち、主語とは動作・作用・属性などの主体を表す部分となる。
主語においていえば、動作主体、作用主体、、属性主体となる。

ここで文の成分とは、一つの文を構成している部分であり、それには、主語、述語、修飾語などの総称とある。
加えて、独立語があるが、文の成文の他のものと直接関係することがなく、文中で比較的独立しているものとなるが、文中に用いられた感動詞、接続詞などをさしている。

国文法では以上のようであると、辞書に説明があり、わかりよい。
それで、主語がなくても文として成立する日本語に、主語がなくてもよいのか、なくてよいならば、その主語とは何かをあらためて考えるように、このような問いがあるので、説明をすることになる。

つまり、日本語では文が成立するためには、主語が文の必須の要素でないことを議論するのである。
文が主語をもたないで表現されるとすると、それが必須要素でない場合には、ほかに文を成立させる成分は述語だけに求めることになるが、まだ考えなければならないことがある。

さきのように辞書義の解説には論理学の修辞、賓辞を挙げて命題の文を解説する。
それを述語の規程にふくめて見ていくと、日本語文の、犬は哺乳類である、というときの、いぬは というのを主語にすべきかどうかの議論も現れて来るのである。

フリー百科事典ウイキペディアに、次のように説明する。20140713 cited 15:30

>主語(しゅご、英: subject)は、文の構成素、文の成分の1つ。典型的には、英語やフランス語において述語(述語動詞)形を特権的に規定して文を成立させる、主格をなす名詞句または代名詞として観察される。また、他の言語においても、英仏語の主語と構造的に平行な関係にある名詞句や代名詞を「主語」と呼ぶことがある。
もともとは、アリストテレス以来の伝統的な論理学における「述語」(katēgoroumenon) の対概念である hypokeimenon に由来し、それが中世以降のヨーロッパ伝統文法にとりいれられて成立した概念である。その後のデカルト派言語学から生成文法などに至る近現代の言語学にも受け継がれているが、その定義は言語学者間で一致していない。日本では、江戸時代末期から明治にかけて西欧文法の知識を導入したとき、その文法を手本にして国文法の体系化を進める過程で定着した。

ここに日本語文法とは異なって、特権的に規定して文を成立させ、という説明がある。
英語やフランス語においては主格となり、名詞句または代名詞として主語が現れて、それは必須の要素である。

ただ述語の対概念であることから、主語の規定については文法的な議論を持つことの言及がある。
日本語は西欧文法を手本にして国文法の体系化を図ったとする、これには、その規定を取り入れてしまった経緯がうかがえる。

日本語文法の主語は述語の動作、然様、属性の主体として分出されるものであり、多くは主格の助詞をともなったかたちで現われる。
日本語の文は文章の単位にふくめ、文単位を文法によって析出すると、そこには必ず主語が表現されていることが分かる。

なお、参考にさきのウイキペディアに解説する日本語の主語についての記述を引用する。20140713 cited 15:30


日本の中学校では多くの場合、次のように教える(いわゆる学校文法、つまり橋本進吉文法の場合)。
  日本語では、「が」「は」などの助詞を伴った文節が主語である。主語が省略されることも多い。
しかし、専門的には日本語の主語について統一した見解は今のところなく、日本語学・言語学においては日本語の主語をめぐる議論が今も続いている。これは、主に次のようなことに起因していると考えられる。すなわち、英語のように文法上主語の出現が義務的に起こる言語では主語の存在が自明であるため、「主語とは何であるか」ということ自体はあまり大きな議論とならない。しかし、日本語においては主語は少なくとも文法上は出現(あるいは音形化)が義務的な要素ではないので、また、主語とは別に「は」や「も」で表される主題という要素が存在するので、日本語の主語とはどういったものか、そもそも日本語には主語があるのかなどといったことが議論の対象となる。たとえば、次のような議論が想起できる。
  太郎には 才能が ある。
 形態を重視する立場:「が」を伴った文節が主語であるから「才能が」が主語である。
 統語・意味を重視する立場:「才能が ある」「太郎には ある」ではひとつの文として完結しない。したがって、「太郎には」が主語であり、「才能が ある」は、連語述語と考えることができる。(鈴木重幸・高橋太郎ら、言語学研究会の主張。)
 主語の存在を否定する立場:「太郎に」は主題を示す「は」を伴っており、これは主題である。また、「才能が」は主格補語である。

以上である。



デジタル大辞泉による。

しゅ‐ご【主語】
1 文の成分の一。文において、述語の示す動作・作用・属性などの主体を表す部分。「鳥が鳴く」「山が高い」「彼は学生だ」という文で、「何が」に当たる部分をいう。日本語では、主語がなくても文として成立する。
2 論理学で、ある対象について何らかの主張をする判断(命題)において、主張がなされる当の対象。例えば、「犬は哺乳類である」における犬。主辞。⇔述語。

じゅつ‐ご【述語】
1 文の成分の一。主語について、その動作・作用・性質・状態などを叙述するもの。「鳥が鳴く」「山が高い」「彼は学生だ」の「鳴く」「高い」「学生だ」の類。
2 論理学で、判断(命題)において、主語について何か主張されている概念。例えば、「犬は哺乳類である」における哺乳類。賓概念。賓辞。⇔主語。


どくりつ‐ご【独立語】
国文法で、文の成分の一。文の成文の他のものと直接関係することがなく、文中で比較的独立しているもの。文中に用いられた感動詞・接続詞など。





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