ただしい 事実に合っている、まちがっていない、と用いるが、その意味するところはよく考えれば、何についてのことか単純なことである。
日本語で正しいというのはきわめてわかりよいことのようである。正しくないのは、曲がっていたり、よこしまであったり、ちがったりすることを言うから、そうでないものを見れば正しいことになる。
日本国語大辞典は補注に、漢文訓読文に多く、平安朝のかな文献にはほとんど見られない、と説明する。
それでは、なんと言ったのだろうかと知りたいことだが、使っていないのだから、ほかの語で代替したということでもなく、よし よろし とか言っていたのだろう。
日本国語大辞典より
>よ・し 良し・善し・好し・吉し・佳し・宜し
〔形ク〕よ・し〔形ク〕物事の本性、状態などが好ましく、満足すべきさまであるの意。「あし」「わるし」に対していう。古くは「よろし」よりも高い評価を表わす。くだけた口語表現では終止形・連体形が「いい」の形をとる。
語誌
(2)中古には「よし・よろし・わろし(わるし)・あし」と四段階の評価があり、ヨシはヨロシよりも高い評価を表わしたといわれる。「日葡辞書」にヨシは「良い、非常によい」、ヨロシイは「良い、適当な(もの)」などと説明されており、中世も同様の傾向にあったと考えられる。
さてこれは、言葉の論理で近代以降になると移入する考え方が影響する。
真理、真偽、真善美の追求に正義が用いられる。
日本語は正義に真偽の判断を受け入れて、それは、せいぎ の読みが一般である。
ウイキペディアの説明に、
>明治以降「義」に代わって使用され、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などに基づく道徳的な正しさ[要出典]に関する概念である。対義語は「不義」。正義の実質的な内容を探究する学問分野は正義論と呼ばれる。広義すなわち日本語の日常的な意味においては、道理に適った正しいこと全般を意味する。以下では、もっぱら西洋における概念(すなわちjusticeないしそれに類似する言葉で示されるもの)を記述する。
というふうに、日本語に移入する、西洋における概念を注意する。
ただし・い【正しい】
〔形〕[文]ただ・し(シク)
①まがっていない。よこしまでない。法華義疏長保点「身端なおくして心正タダシとなり」。
徒然草「道を―・しくせばその化とほくながれん」。日葡辞書「タダシイヒト」
②よいとするものや決まりに合っている。法・規則などにかなっている。きちんとしている。
平家物語2「家に諫める子あればその家必ず―・し」。
徒然草「道のおきて―・しく是をおもくして放埒せざれば」。
「―・い字を書く」「礼儀―・い人」「規則―・い生活」「時刻―・く来る」「―・い答を出す」
広辞苑に「ただしい」検索結果
語源由来辞典
>よこしまは、本来、横の方向であることや、そのさまを意味し、そこから、心の向きが正しくない(横を向いている)ことを意味するようになった。
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