ハンマーとダンスのこと
>フランスとスペインで、作家・エンジニア・ビジネスマンとして活躍するTomas Pueyo氏がオンライン・パブリッシング・プラットフォームの『Medium』上で提唱した、新型コロナウィルス対策のあり方を比喩的に表現したものである。
ハンマーは感染拡大抑制のための強烈な一撃、海外における都市封鎖、日本における緊急事態宣言を指す。ダンスはハンマーの効果によってもたらされた小康状態の間に様々な施策・準備をして次の大波に備えることを指す。これを「ダンス」としたところにPueyo氏の抜群の言語センスが感じられる名言である。by 山崎勝義
分かりよい論評である。泥沼化と表現するなら、そうした、そうなったのはなぜか、そこのところに詳しい分析が欲しい。政府のやることがちぐはぐになった、それは専門家会議叩きがマスコミに起こった、その役割をマスコミは評価しなかっただけでなく、専門家ではない権威を担ぎ出そうとした、地方の首長が政府に異を唱え始めた、その典型に東京都、大阪と、テレビ会議なるもので、東京近県の知事たちの発言には実効性すらうかがえないまま、東京都から発したかと思われる第2波の食い止めはそれぞれに対策しない、経済活動をダンスの動きにあわせようとした苦肉の策は、若者には好都合に3密を助長する行動の一環、それは旅行などの騒ぎにはつながりにくいと思われて宴会が潜行していたことである。かかりにくい、重症化しにくいというハナからの情報がまちがっていることを訂正してこなかったので、世論の誘導は夜の街のような表現を生んで、そこに誤解が生じたまま、首長たちは記者会見場で警告プラカードをかざすだけという無策ぶりであった。
もはや泥沼。なぜ日本のコロナ対策はここまでグズグズになったか
国内2020.08.05 172 by 山崎勝義『8人ばなし』
>原因の一つは、最初のハンマーによる打撃が(諸外国と比べて)それほど力を入れていない割に効果が出てしまったことである。このせいで日本はフルスウィング恐怖症になった。やり過ぎが恐くて恐くて仕方がないのである。最近の政府の物言いを聞いていると、何がどうなろうとも緊急事態宣言はあり得ない、といった感じである。ハンマー放棄である。これにより「緊張」も「張り」も消えてしまった。同時に「弛緩」も「減り」も消えてしまうこととなった。
もう一つの原因は、日本人が絶望的にダンスが下手ということである。確かに、日本では如何なる上流と言えどダンスパーティーはやらないし、高校最後の年でもプロムはない。経験がないのだから下手なのは当たり前、と言えないこともないのだろうが、これでは安っぽい比較文化論である。
ダンス期間、即ちパンデミックの小康状態における様々な準備は大げさな物言いをすれば国防問題である。国民の生命と財産を守るための計画立案能力を問われているのである。こんなふうに書けば如何にも日本政府は頼りないに違いない。何しろ小康状態の終わり(即ち、大波の始まり)に無理矢理の「Go Toキャンペーン」である。これではダンスどころか、組んず解れつ掴み合いの大祭りである。この期に及んで国民を困惑させてどうする。
長期戦と腹をくくったならそれらしく、シンプルなハンマーとダンスの繰り返しに終始すべきである。
このウィルスとの闘いは2週間単位である。故に一回のハンマーは行動規制2週間、様子見1週間の計3週間の緊急事態が一つの目安となる。これが奏功したらすぐにダンスである。そしてまた感染が頭を擡げて来るようなら次のハンマー、と続いて行くという訳である。これをひたすら繰り返すのである。何度も言うが、長期戦は繰り返しである。負けなければそれでいい。十分なのである。
今、政府は迷走している。それはハンマーにもダンスにも臆病だからである。その憶病っぷりを毎日見せられてはこっちとしても堪らない。不安ばかりが募る。