アマゾンから現代文庫本の版を入手した。10年前の単行本は書棚のどこに埋もれて置いているか。その印象のままに再び、ひも解いて変わらない思いがする。しかし、あとがきに述べる著者のこの著作に対することばが、少し変わった印象を与える。『あわせて日本語を作った男』という著作を入手した。こちらは、10か月前に書店で見かけて、伝記風の叙述に、読み物だからこのようなタイトルかと、手にとったのを書店の棚に戻してそのままにしていた。10年と言い、10か月と言い、めぐりあわせになり、とるものもそこそこに、しばし眺めようと思う。さて、この書に触れることは難しさがあるようであるから、国語のイデオロギーではないと著者が説明をしているのを聞いてみよう。
つぎは2日前の記事である。
「国語」という思想
2016-12-10 23:33:28 |
>
書名に『「国語」という思想』があり、その副題は「近代日本の言語認識」と見える。商品として説明するのは、「国語」を思想としての国語の歴史に、言語思想史、日本人の言語認識という評である。
次の検索はブロックがあってヒットしない。
岩波現代文庫『「国語」という思想』moreinfo - 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/6002630/top.html
小学校入学時に国語の教科書を渡されて以来,国語とは私たちにとって身につけるべきものであり,それがいつ,どのように形成されてきたのか.国語という概念にはどのような特質があるのかを深く問わないまま,現在に至っている方も少なくないと思います.
「国語」という思想 - 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/60/7/6002630.html
国語」は概念として,いつ,どのように形成されたのか.国民国家を確立しつつ,植民地帝国へと進む明治期の日本が国家統合の要として創出した「国語」.本書は,それをめぐってせめぎ合うイデオロギーの展開を上田万年・保科孝一らの言語思想を軸に克明に ...
https://www.google.co.jp/webhp?sourceid=chrome-instant&ion=1&espv=2&ie=UTF-8#q=%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%80%9D%E6%83%B3
アマゾン
「国語」という思想――近代日本の言語認識 (岩波現代文庫) 文庫 – 2012/2/17
イ・ヨンスク (著)
>
受賞歴
第19回(1997年) サントリー学芸賞・芸術・文学部門受賞 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
内容紹介
「国語」は概念として、いつ、どのように形成されたのか。国民国家を確立しつつ、植民地帝国へと進む明治期の日本が国家統合の要として創出した「国語」。本書は、それをめぐってせめぎ合うイデオロギーの展開を上田万年・保科孝一らの言語思想を軸に克明に跡づけて、思想としての国語の歴史と意味を解明しつくした画期的労作。
内容(「BOOK」データベースより)
「国語」は概念として、いつ、どのように形成されたのか。明治期日本の国家統合の要として創出されたのが「国語」であるならば、それをめぐっていかなる言語認識が展開されていたのか。本書は「国語」とそれをめぐるイデオロギーのせめぎ合いの軌跡を上田万年、保科孝一らの言語思想を軸に克明に跡づけつつ「国語の思想」の内実に迫る画期的な言語思想史。
内容(「MARC」データベースより)
「国語」以前の状況に始まり、言文一致、国語改革を巡る保守と革新の対立、そして海外植民地統治のための言語政策へ。国語とそれを巡るイデオロギーのせめぎ合いの軌跡を克明に描出。日本人の言語認識を呪縛する国語とは何か。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
イ/ヨンスク
李妍淑。韓国順天市に生まれる。延世大学校文科大学卒業。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。大東文化大学助教授を経て、一橋大学大学院言語社会研究科教授。社会学博士。専攻=社会言語学・言語思想史。1997年に本書でサントリー学芸賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
文庫: 480ページ
出版社: 岩波書店 (2012/2/17)
言語: 日本語
ISBN-10: 4006002637
ISBN-13: 978-4006002633
発売日: 2012/2/17
http://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/detail/1997gb1.html
>
1997年度 芸術・文学部門
Literary and Art Criticism 選評
イ・ヨンスク (い・よんすく)
『「国語」という思想』
―― 近代日本の言語認識(岩波書店)
1956年、韓国・順天市生まれ。
一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。
大東文化大学国際関係学部助教授を経て、現在、一橋大学大学院言語社会研究科助教授。
著書『言語・国家、そして権力』(共著、新世社)、『体験としての異文化』(共著、岩波書店)
「明治は文体の不統一を極めた時代である。一枚の新聞紙を開けて見ても、論説欄には漢文直訳風な堅くるしい文体があり、三面雑報には気の利いた西洋風の言文一致や、ひねった戯作風の俗文体が雑居してをり、又二面の処ところには平明直実な普通文があるといった風。そこで今日の文章を学ぶ者はあるだけの文体に一通り通じておかねばならぬとは、骨の折れた事である」
杉谷代水の『作文講話及文範』は明治期の代表的な文章論の一つだが、上に引いたのは「国文の諸体」を展望した章の一節。この本が出たのはちょうど明治末年のことで、「である」止めをはじめ、標準的な文体がほぼ定まりつつあった時期に当る。それでもなお、声を大にして不統一を嘆かねばならなかったほどだから、明治初期から中期にかけてのころ、文体がどんなに混乱し、どんなに貧困だったか、想像に余る。
小説家といわず、新聞記者といわず、政論家といわず、およそ言葉をあやつることを業とする人は、内容以上に、それを伝える語法の工夫に痛ましいばかりの苦労を重ねたにちがいないが、そうした彼らの仕事はもっぱら文学の問題として扱われてきた。
しかし、これからの時代にふさわしい文体をつくりだすという事業は文学的課題にとどまるものではなく、日本が近代国家として立つうえで欠かすことのできない言語政策でもあったはずだという観点からこの問題を洗い直したのが、イ・ヨンスクの『「国語」という思想』である。
たとえば、文体改革のうえで最も重視されていた言文一致も、日清戦争をきっかけに高まった国家意識と結びつくことで、「国家支配のための政治的装置」としての「国語」の理念を支える言語形式となったと著者は説く。そして、明治国家の言語政策の本質をこう要約した。「『日本語』という地盤が確固として存在した上に『国語』という建築物が建てられたのではない。むしろ、『国語』というはでやかな尖塔が立てられた後に、土台となる『日本語』の同一性を大急ぎでこしらえたというほうが真相にちかいだろう」
幕藩体制によって言語が地域的、階層的に分断され、日本語という「言語的統一体」の存在が疑われるような状況のなかでは、こうでもするより方法がなかったともいえるが、そのためにさまざまな無理と強引が生じたのはいうまでもない。「国語」の理念が独り歩きし、朝鮮や台湾での言語的植民地化をもたらしたことなどがその最たるものであろう。
国語という言葉は、その言い方自体がすでに政治的で、うっとうしい感じがついてまわるが、その発生と肥大化の経緯をここまで明確に論じおおせた著者の力量は尋常のものではない。なかでも、「国語」のイデオローグだった上田万年と、その衣鉢を継いだ保科孝一の足どりの調査の周到と考察の的確には脱帽のほかない。
向井 敏(評論家)評
つぎは2日前の記事である。
「国語」という思想
2016-12-10 23:33:28 |
>
書名に『「国語」という思想』があり、その副題は「近代日本の言語認識」と見える。商品として説明するのは、「国語」を思想としての国語の歴史に、言語思想史、日本人の言語認識という評である。
次の検索はブロックがあってヒットしない。
岩波現代文庫『「国語」という思想』moreinfo - 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/6002630/top.html
小学校入学時に国語の教科書を渡されて以来,国語とは私たちにとって身につけるべきものであり,それがいつ,どのように形成されてきたのか.国語という概念にはどのような特質があるのかを深く問わないまま,現在に至っている方も少なくないと思います.
「国語」という思想 - 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/60/7/6002630.html
国語」は概念として,いつ,どのように形成されたのか.国民国家を確立しつつ,植民地帝国へと進む明治期の日本が国家統合の要として創出した「国語」.本書は,それをめぐってせめぎ合うイデオロギーの展開を上田万年・保科孝一らの言語思想を軸に克明に ...
https://www.google.co.jp/webhp?sourceid=chrome-instant&ion=1&espv=2&ie=UTF-8#q=%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%80%9D%E6%83%B3
アマゾン
「国語」という思想――近代日本の言語認識 (岩波現代文庫) 文庫 – 2012/2/17
イ・ヨンスク (著)
>
受賞歴
第19回(1997年) サントリー学芸賞・芸術・文学部門受賞 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
内容紹介
「国語」は概念として、いつ、どのように形成されたのか。国民国家を確立しつつ、植民地帝国へと進む明治期の日本が国家統合の要として創出した「国語」。本書は、それをめぐってせめぎ合うイデオロギーの展開を上田万年・保科孝一らの言語思想を軸に克明に跡づけて、思想としての国語の歴史と意味を解明しつくした画期的労作。
内容(「BOOK」データベースより)
「国語」は概念として、いつ、どのように形成されたのか。明治期日本の国家統合の要として創出されたのが「国語」であるならば、それをめぐっていかなる言語認識が展開されていたのか。本書は「国語」とそれをめぐるイデオロギーのせめぎ合いの軌跡を上田万年、保科孝一らの言語思想を軸に克明に跡づけつつ「国語の思想」の内実に迫る画期的な言語思想史。
内容(「MARC」データベースより)
「国語」以前の状況に始まり、言文一致、国語改革を巡る保守と革新の対立、そして海外植民地統治のための言語政策へ。国語とそれを巡るイデオロギーのせめぎ合いの軌跡を克明に描出。日本人の言語認識を呪縛する国語とは何か。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
イ/ヨンスク
李妍淑。韓国順天市に生まれる。延世大学校文科大学卒業。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。大東文化大学助教授を経て、一橋大学大学院言語社会研究科教授。社会学博士。専攻=社会言語学・言語思想史。1997年に本書でサントリー学芸賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
文庫: 480ページ
出版社: 岩波書店 (2012/2/17)
言語: 日本語
ISBN-10: 4006002637
ISBN-13: 978-4006002633
発売日: 2012/2/17
http://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/detail/1997gb1.html
>
1997年度 芸術・文学部門
Literary and Art Criticism 選評
イ・ヨンスク (い・よんすく)
『「国語」という思想』
―― 近代日本の言語認識(岩波書店)
1956年、韓国・順天市生まれ。
一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。
大東文化大学国際関係学部助教授を経て、現在、一橋大学大学院言語社会研究科助教授。
著書『言語・国家、そして権力』(共著、新世社)、『体験としての異文化』(共著、岩波書店)
「明治は文体の不統一を極めた時代である。一枚の新聞紙を開けて見ても、論説欄には漢文直訳風な堅くるしい文体があり、三面雑報には気の利いた西洋風の言文一致や、ひねった戯作風の俗文体が雑居してをり、又二面の処ところには平明直実な普通文があるといった風。そこで今日の文章を学ぶ者はあるだけの文体に一通り通じておかねばならぬとは、骨の折れた事である」
杉谷代水の『作文講話及文範』は明治期の代表的な文章論の一つだが、上に引いたのは「国文の諸体」を展望した章の一節。この本が出たのはちょうど明治末年のことで、「である」止めをはじめ、標準的な文体がほぼ定まりつつあった時期に当る。それでもなお、声を大にして不統一を嘆かねばならなかったほどだから、明治初期から中期にかけてのころ、文体がどんなに混乱し、どんなに貧困だったか、想像に余る。
小説家といわず、新聞記者といわず、政論家といわず、およそ言葉をあやつることを業とする人は、内容以上に、それを伝える語法の工夫に痛ましいばかりの苦労を重ねたにちがいないが、そうした彼らの仕事はもっぱら文学の問題として扱われてきた。
しかし、これからの時代にふさわしい文体をつくりだすという事業は文学的課題にとどまるものではなく、日本が近代国家として立つうえで欠かすことのできない言語政策でもあったはずだという観点からこの問題を洗い直したのが、イ・ヨンスクの『「国語」という思想』である。
たとえば、文体改革のうえで最も重視されていた言文一致も、日清戦争をきっかけに高まった国家意識と結びつくことで、「国家支配のための政治的装置」としての「国語」の理念を支える言語形式となったと著者は説く。そして、明治国家の言語政策の本質をこう要約した。「『日本語』という地盤が確固として存在した上に『国語』という建築物が建てられたのではない。むしろ、『国語』というはでやかな尖塔が立てられた後に、土台となる『日本語』の同一性を大急ぎでこしらえたというほうが真相にちかいだろう」
幕藩体制によって言語が地域的、階層的に分断され、日本語という「言語的統一体」の存在が疑われるような状況のなかでは、こうでもするより方法がなかったともいえるが、そのためにさまざまな無理と強引が生じたのはいうまでもない。「国語」の理念が独り歩きし、朝鮮や台湾での言語的植民地化をもたらしたことなどがその最たるものであろう。
国語という言葉は、その言い方自体がすでに政治的で、うっとうしい感じがついてまわるが、その発生と肥大化の経緯をここまで明確に論じおおせた著者の力量は尋常のものではない。なかでも、「国語」のイデオローグだった上田万年と、その衣鉢を継いだ保科孝一の足どりの調査の周到と考察の的確には脱帽のほかない。
向井 敏(評論家)評