けふの日は暮るる外山のかぎわらびあけばまた来むをりすぎぬまに 六条知家 新撰和歌六帖
中日新聞の今週のことば、コラムに引かれた、鉤蕨の歌である。
山焼き野焼きが行われる桜の花の季節を過ぎたころ、それをもとめて、暮れた日に、あした、また来ようと歌う。この歌の解説には、鉤蕨にふくまれる発癌性物質のあることにおよび、時代とはいえ、微妙なことである。
この歌を表記する、けふの日は という初句に引かれたのであるが、やはり、けふ、というのは、気を経る、であるのかと思う。
てふ が、ちょう、となって表記されるのは、発音があって、チョーの、てふ が、宛てられたとするようでもあるから、キョー についても、そのようであるならと思わないでもない。
中日新聞の今週のことば、コラムに引かれた、鉤蕨の歌である。
山焼き野焼きが行われる桜の花の季節を過ぎたころ、それをもとめて、暮れた日に、あした、また来ようと歌う。この歌の解説には、鉤蕨にふくまれる発癌性物質のあることにおよび、時代とはいえ、微妙なことである。
この歌を表記する、けふの日は という初句に引かれたのであるが、やはり、けふ、というのは、気を経る、であるのかと思う。
てふ が、ちょう、となって表記されるのは、発音があって、チョーの、てふ が、宛てられたとするようでもあるから、キョー についても、そのようであるならと思わないでもない。