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0219art of writing

2025-02-19 | まさごと
 


0219-25 大雪になった。日本海側の気候に襲ったのは積雪2メートルとか3メートルとか、名神東名高速など通行止めがニュースになるも、この三河湾に面するこの周辺地域からは想像もできない大変さである。雪崩に雪かきの落雪の危険が増す。寒波は居座るとか予報士は言っているがもっとひどくなるような予想でのことか、ほかに言い方はないものか。日本語の使いようがその場しのぎのものになりつつある。雪の日にエッセイを書く人の思いは届くかな、ブログの発信はエリアだけのものでない。





専門にかかわると論文を読み話を聞きとなるが、いくつかの英語論文というのと大学で助教をしているというから、これから前途のある研究者である。
インタネットの時代にSNSで発信するという情報もちらほらあるよう、そこから見るところで、アカデミックライティングのその向こうをうかがい知る。
文学部であるのである程度の推察をして、自身の発想はとしたが、テーマの展開はまだこれからのものでもあろう、など、勝手なこと、ぶつくさぶつくさ。
著作についての読了には手法はそういうことから、あとは?

審査する読みかた、という意味で、査読という語はなじみがない人が多い。レフェリー付きの論文と言われたり、何のことか。
解説には、投稿された論文をその学問分野の専門家が読んで、内容の査定を行うこと、 さどく、英語ではpeer review ピアレビュー と見える。
その査読を受けることを綴って、話題を呼んだのが、次の、阿部幸大のブログ である。

https://abc-kd.hatenablog.com/entry/2020/05/16/104120
Write off the grid. 阿部幸大のブログ
2020-05-16
アートとしての論文 人文系の院生が査読を通すためのドリル
>Ars longa, vita brevis という有名なラテン語の格言がある。最初の ars は英語の art だが、これはラテン語でも英語でも、いわゆる「芸術」にかぎらず、「技術」一般を指す言葉である。「技術は長く、人生は短い」。医療も、料理も、スポーツも、そして論文執筆も、すべて一種のアートである。

内容は分量的にも関心があるか、興味の有無、あるいは必要がなければ読み通すのは大変かもしれない。
あの手引書を一日で読了してしまったので、流して読むとよいかもしれない、しれない、しれない、で、大学院の学生が刺激を受ける、しかも文学、人文系であるなら。。

査読論文が就職活動の武器だというから、そういう業界のことである。

同上、ブログより。
>うえで「実情はそうではない」と書いたが、じっさい就活時に査読論文が3本揃っているプレイヤーは稀であるらしい(だったら自分も書かなくてよくね?と思うならこの文章を読む必要はない)。これは誰のせいでもない、というか、就活の基準と大学院の制度が噛み合っていないことを意味しているのだろう。
だがそれが達成しにくいのは、能力や制度の問題だけではなく、そもそも人文学において論文の執筆方法というものがうまく言語化されて共有されておらず、「賢さ」や「面白さ」といった漠然としたイメージによって、むやみに神秘化されているせいであるように思われる。あえていえば、それは教育のせいである。
そこで、本稿では私の経験と挫折と試行錯誤といくつかの成功体験を活かして、論文の書き方を解体し、誰にでも練習できるよう、いわばドリル化してみたい。もちろん、これは論文が書けるようになる方法の唯一の正解などではないし、優秀な人々は「そんなことしなきゃ書けないの?」と嗤うだろう。
だが論文は才能などなくても、そこそこのものは書けるようになる。過去の私と同様、そのことに救われる院生が多いことを私は確信している。さらに、博論以前に「査読論文くらいは何本でも書ける」というレベルに達する院生がぐっと増えれば、人文学はもうすこし盛り上がるのではないか、とも思っている。







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