人々が集まれば人の集団ができる。家族的な集まりにはリーダーとなる雄がいてそこにし従う雌がいる。従うかどうかわからないが、雌雄が逆になれば社会が異なるかもしれない。父系と母系の集団である。それがまた家族同士でない集団の集まりとなると、その集団を統率することが必要になる。利害の衝突が餌や領地やす減を求めての争いが起こるからである。するととそこに、オスによる武力の戦いが起こることもある。そうして集団は秩序と階級を発生させて社会を構成する。
日本人の社会性社会の語はいつから、どう使われたか。その初出を、近思録として日本国語大辞典は、解説の見出しの後に補注する。それによれば、その文献での年代は、1176年である。中国語の語義では、社s......
社会の語はいつから、どう使われたか。その初出を、近思録として日本国語大辞典は、解説の見出しの後に補注する。それによれば、その文献での年代は、1176年である。中国語の語義では、社shè というのは、土地の神を祭ったところという意味で、人びとの集りという意味の、会huì をつけて、村人たちが土地の神を祭ったところに集まる、といっている、のであるから、これは現代の意味での社会とは別のことである、世界大百科事典で説明がある。ちなみに近思録について
>中国語に関しては,宋代の儒学者程伊川(1033-1107)の遺著《二程全書》に〈郷民為社会〉
とあるのが引用されるのが常である(この句は朱子と呂祖謙によって編さんされた《近思録》にも収録されている)。現代の中国語で用いる〈社会〉は,日本語からの逆輸入によるものである。
したっがって、社会性を問うことは、日本人には、それまでに、使われた、世間 で考えることになるか。辞書議には、福地桜痴、明治8年、1875年1月14日、東京日日新聞に、ソサイチーのルビ付きで使ったと説明している。